空手道の名言 Part-5

 今日も松濤二十訓の中から「空手に先手なし」と言う言葉を書いて見ました。

 「先手必勝」と言う言葉が頭をよぎります。これを座右の銘にしている人もいます。

 確かに戦う場合、と言うより戦う事が必然である場合には、相手の機先を制する事が大切な要素だとは思います。

 「懸」と言う言葉が、宮本武蔵の遺した「五輪書」()にも出てきます。この中に「三つの先」とありますが、「懸の先」「待の先」「躰躰の先」と、すべてが「先」に関わってきます。

 自分から仕掛ける場合も、待って相手が出る所を仕掛ける時も、相手と揉み合っている時も、すべて自分が懸かるタイミングを見計らっての事です。

 すべからず、戦いの場においては、私も「先手」と言うものが勝つための仕方だと思います。

 では、私はどうなんでしょう。過去に自分から手を出した記憶はありません。

 ただ、これも「五輪書」にある「枕をおさゆると云事」や「けんをふむと云事」と同じで、相手の出方を観察する事は怠らないようにしたと思います。

 それでも、最初の一撃をもらった事は度々ありました。もしこれがダメージを受ける程強かった場合には、勝負は負けになっていたと思います。

 ここで富名腰義珍翁が言われている「空手に先手なし」は、そう言う意味では無いと思っています。要するに自分から戦いを挑まない事ではないでしょうか。

 また、「空手に先手なし」と言うのは、極限状態を前もって避ける事ができるようにする事だとも思っています。常日頃から禍を起こさない、そして禍の起こりそうな事を避ける、また行かない。そんな事が大切なのだと思っています。