空手道の名言 Part-19

 今日も松濤二十訓の中から「敵に因って轉化せよ」と言う言葉を書いて見ました。ひらがなの部分は変体仮名を用い、漢字は草書で書きました。

 これは、形に拘ったり、自分の仕方に拘ったり、人間と言うものは、稽古、練習を積めば積むほど自信になったり、拘りが出来ると思います。

 特に長年空手道の修業に身を置くと、自然と身についてくると思っています。しかし、空手道は相手のある事ですから、あまり自分のやり方に拘っていると対峙するべき相手を見失う事になります。

 これは、私の個人的な考えですが、相手によって轉化する事が最善とは思いません。

 器用な人はそれでも良いと思いますが、私はそうではありません。昔の話ですが、ある人が家にいる時は、人の事を呼び捨てにして、その人の前では敬語にするのは当たり前だと言った人が居ます。

 このように人によって対処の仕方は変わって来るのでしょう。ですから、こういう人は、人によって方法を変えれると思います。

 相手を研究して、その人の短所、長所、特徴に合わせるようにする人も居るでしょう。この一条のように。また、このような人が多いと思います。

 しかし、私はそんなに器用な事は出来ませんから、何も考えないようにしています。悪く言えば出たとこ勝負ですが、実戦の場合は相手を研究など出来ない事が殆どですから、私はこちらの方が性に合っています。

 孫子の兵法第三章「謀攻篇」が頭をよぎります。『故曰、知彼知己者、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戰必殆。』が原文ですが、「ゆえいわくかれおのれれば、ひゃくせんあやうからず。かれらずしておのれれば、いっしょういっす。かれらずおのれらざれば、たたかごとかならあやうし。」と書き下し文にする、意味は分かるようになります。

 この一節の『かれおのれれば、ひゃくせんあやうからず』の「かれり」そして、その彼によって変化する事が大切なのかも知れません。

 ただ、相手を研究して、弱点を探りはしませんが、相手によって自然に対処しますから、結局、相手によって変化している事になります。こう考えると、この一条のとおり、「敵に因って轉化」している事になるでしょう。