空手道の名言 Part-17

 今日も松濤二十訓の中から「戦いは虚実の操縦如何にあり」と言う言葉を書いて見ました。

  この条は、言葉は簡単ですが、難しい言葉が羅列されています。それは、『虚実』です。

 戦いの中で『虚実』とは、何を指しているのでしょう。

 競技空手であれば、フェイントに当たるのでしょうが、富名腰義珍翁は組手そのものを否定する人であったと、言い伝えられています。

 であれば、時代の背景から、この戦いとは、いわゆる実戦と考えられます。

 私は、相手の様子や技量などは考えても解らない方なので、自分から何か考える事をしないようにしています。よく言われる『無心』と言われるものです。

 しかし、これがなかなか難しい精神状態なので、私は『無心の前の一心』を心がけています。

 それでも、実戦の場合は、戦いの前にすでに戦いが始まります。その中では相手を威嚇したり、逆に小心者を演じたり、様々な人がいます。

 そんな中で、突如として攻撃に移る人が居ますが、これに惑わされないようにしないとならないのは言うまでもありません。そういう意味では『虚実の操縦』は、覚えておいても良いと思いますが、それは、相手の反応としてで、自分自身は、泰然自若としておいた方が良いと思っています。

 一番良いと思う方法があります。それは、そんな状態、要するに禍にならない事を心がける事だと思います。

 私は、若い頃は喫茶店に入っても、隅っこの壁際にしか座らなかったそうです。先日妻が変な人だと思ったと言っていました。まだ、学生の頃の話です。

 まず、戦いになる前にそういう状況を作らない事に徹していたのでしょう。それでも、富名腰義珍翁が遺された『空手道教範』には次のように書かれています。

 「一旦事ある場合、自ら正しいと信じたら千萬人の反對をも押切り、如何なる困難でも辭せぬと云ふ意氣がなければならない。」と。

 

 そんな気構えで居たいと思っています。