さて、今日は「不動智神妙録」の四番目の項目にある、間不レ容レ髪を紹介しながら、読み解いて行くことにしましょう。
- 間不レ容レ髪
間不レ容レ髪と申す事の候。貴殿の兵法にたとへて可レ申候。
間とは、物を二つかさね合ふたる間へは、髪筋も入らぬと申す義にて候。
たとへば手をはたと打つに、其儘はつしと声が出で候。打つ手の間へ、髪筋の入程の間もなく声が出で候。
手を打って後に、声が思案して間を置いて出で申すにては無く候。打つと其儘、音が出で候。人の打ち申したる太刀に心が止まり候えば。間が出来候。其間に手前の働が抜け候。向ふの打つ太刀と、我働との間へは、髪筋も入らず候程ならば、人の太刀は我太刀たるべく候。
禅の問答には、此心ある事にて候。仏法にては、此止まりて物に心の残ることを嫌ひ申し候。故に止まるを煩悩と申し候。
たてきつたる早川へも、玉を流す様に乗って、どっと流れて少しも止まる心なきを尊び候。
【出典】池田諭(1975)『不動智神妙録』, p.44.-p.45.【読み解き】
「間、髪を容れず」って言葉、聞いたことありますよね。よく「かんぱつをいれず」っていう人がいますが、「かん、はつをいれず」って言います。
でも、もう「かんぱつ」が一般的になっているかも・・・・。
話はずれますが、「目線」って言う言葉も、元々芸能界で使ってたらしくて、すでに市民権を得ています。今では、「視線」と「目線」も内容により使い分けているのが実情だと思います。
話を元に戻しましょう。「間、髪を容れず」の場合は、読み方を変えてしまうと、本来の意味が解らなくなるような気がするのですが、私だけでしょうか。
ここに書かれてある、「禅問答」って面白いですね。問う人と、答える人の、丁々発止のやり取りは、まさに真剣勝負。問う、答える、の間(あいだ)の間(ま)によって相手の力量が解るそうですが、これこそ「間、髪を容れず」そのものでしょう。
空手道も真剣な気持ちで稽古しなければ、武道にはなりません。相手の攻撃と自分の反撃の間を如何に短くするか、いや無くす努力が稽古と言えるかも知れません。突き詰めれば、「残心」にも心を残すべきではないと考えています。
まさに、一瞬一瞬の繋がりで生きている事を実感しなさい。という事では無いでしょうか。
【参考文献】
・池田諭(1970-1999)『不動智神妙録』 徳間書店.
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