今日の一文字は『方言』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第三十四段』を読んで見て、感じた文字です。
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方言
味
アジア大会マラソン井上大仁選手、32年ぶり金メダル、今見てました。水泳の池江 璃花子さんの6冠も凄かったです。過去最高と言うのが凄いですね、スーパーウーマン。
みんな頑張ってます。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第三十四段 〔原文〕
甲香かひこう は、ほら貝の樣なるが、小さくて、口の程の、細長にして出でたる貝の蓋なり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所の者は「へなたりと申し侍る」とぞ言ひし。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『 甲香は、法螺貝のようだが、小さく口のあたりが細長く突き出た貝の蓋である。
金沢という浦にあったのだが、地元の人は「へなたりと呼びます」と言っていた。 』
『方言』
「御国訛りは通行手形」と言った時代がありました。私が子供の頃にも十分通用していた言葉です。もちろん私の時代に関所もありませんでしたし、通行手形が必要な事も無かったのですが、どこの生まれか解ると言う意味で使っていたと思います。
ただ、標準語が正しい日本語で、訛りには、少し卑下するようなイメージがあったように思います。
私の大学が千葉県だったため、千葉の市川に住むようになったのですが、その当時は、ほぼ、対人恐怖症 だったかも知れません。
私は大阪で生まれて大阪で育ちましたから、もちろん大阪弁しかしゃべれません。
当時は、標準語がどんなものかは知っていましたので、人との会話で、自分が話す時には、まるで通訳するように、一度大阪弁で考えて、口に出す時には、標準語を使うようにしていました。今から考えると、変な訛りの標準語だったと思います。今でもそうだと思いますが、自覚はありません。
大阪にいる頃は、比較的お喋りの方だったと思います。それが急に寡黙な青年になりました。と言うか、喋れなくなったのです。
そんなに卑下する事もないのに、大学は地方から出てきている人が多いのですが、みんな、一応標準語で会話をしていたような記憶があります。
今考えると不思議に思いますが、大学のある所は、千葉の習志野と言う所に校舎がありましたが、日本では一番のマンモス校と言えば、悪い話題を提供している大学です。そう、噂の日本大学 です。
この大学の私がいた学部はお茶の水駅の近くに校舎があるのですが、科によって校舎が分散しています。なんといってもマンモスですから。
自分が通っている所は、千葉でも習志野原野と言う所に、ポツンと校舎だけがあるような所でした。隣が習志野の駐屯地、第1空挺団等が駐屯する陸上自衛隊のある所です。北習志野の駅が出来たばかりで、その駅から歩いて30分、交通の便は、徒歩だけです。回りは原野でしたが、卒業する頃には大規模な団地が出来ていました。
しかし、人に言う時には、東京の大学。と言っていました。別に虚勢を張るつもりはなかったのですが、みんながそう言っていたように思います。
やっぱり、大阪から見て東京は良かったのでしょうね。
学友の中に、岡山県人がいたのですが、彼が言うのは、岡山県の女性が一番言葉がキツイ、汚い、悪いと言っていました。
東映の実録路線では、広島のやくざが登場しますが、私はそれほど汚い言葉とは思いません。大阪では普通に使う大阪弁から、八尾の周辺で使われていた河内弁、そして船場の言葉など多種多様です。
中学の友達に、河内の方から来ている子がいて、第一声が「おんどれ」 でした。普通に人を呼ぶのにです。しかし、聞き慣れて、意味が解るとそんなに悪い言葉とも思えませんでした。
私は方言は通行手形とは思いませんが、その人が馴れた言葉を使う方が、その人らしさを顕せるのではないかと、思っています。
大阪弁を全国区にしたのは、明石家さんまさん だと聞きますが、桂三枝さん や、笑福亭鶴瓶さん も功績が大きいのではないかと思います。
「武藏の國金澤」 とありますから、現在の神奈川県の金沢文庫のあたりでしょう。金沢文庫には知り合いがいたので、何度か訪ねた事がありました。直ぐに海があった記憶があります。
現在では、「へなたり」と言うのは方言でなく、学名だそうです。歴史が変えたのか、それとも京都の方が方言だったかも知れません。
『味』
テレビを観ていて思うのは、大阪弁が上手に話せる人が、大阪弁を話しているのは、実に気分の良い物です。
無理して大阪弁を使わない方が、ドラマに悪い印象を与えないと思う事もあります。
私がそういう風に思うと言う事は、東北弁や土佐弁、九州弁など地方の言葉をドラマで聞く事がありますが、やはり少し違和感を感じながら、その土地の人は聞いているのかも知れません。
役者さんもそれを指導する人達も大変でしょうが、やはり正確に方言を使って欲しいと思います。
標準語よりもその人が育った言葉で話す方が、やはりその人となりを表現しているように思えます。
それにしても、大阪で育った私ですが、大阪弁もどんどん変わってきていて、昔使っていた何気ない言葉も忘れてしまいました。同時に自分も消えて行っているのでしょうか。
画一的な、標準語も伝達の道具としては、機能を果たしていると思いますが、なんだか味気ないような気がします。
東京に住んでいる時に、と言っても千葉ですが、この千葉は、学生の時の市川とは違って、総武線の次の駅、下総中山と言う所に住んでいた事があります。その時に、江戸っ子と付き合いがありました。この人も当時は千葉に住んでいましたが、まるで東京の噺家さんのような喋り口 で、小気味が良かった事を覚えています。
ですから、標準語や東京弁と言いますが、江戸っ子の言葉とは違います。
今、西郷せご どんがNHK大河ドラマで放送されています。このドラマには色々な地域の人が出てきます。この時坂本龍馬が標準語だったら、勝海舟が土佐弁だったら、まったくその人の味が出せないと思っています 。
残念ながら、昔大阪弁の武士が出てくる映画を観た事がありますが、大阪弁と武士は、しっくり来ませんでした。 やっぱり商人の町ですね。
それは兎も角、生まれ育った地域の言葉は、無くしたくはありません。ただ、宮城県の仙台の友達の所を訪ねた時に、友達の家族同士で話している会話は、まったく理解できないどころか、外国語のように聞こえました。
確かに、仕事や要件を伝えるには、標準語 が良いと思います。だからと言って、方言を無くしてしまっては、何だか文化遺産を壊している 、そんな気持ちがします。