今日の一文字は『憂』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二十九段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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憂
思い出
尾畠さん、今日は広島でボランティア、尾畠さんって、あの2歳の男の子を発見した78歳の男性です。
凄い活動力に頭が下がります。少し最高温度は下がっていますが、暑い日が続きます。熱中症にならないよう、頑張ってもらいたいと思います。
昨夜の夜は、『君の膵臓を食べたい』 を観ました。内容を知らずに、チャンネルを変えている時に、小栗旬さんがでているので、もしかしたら、良いドラマかな、と思ってみました。小栗旬さんは、名前が出てこないのですが、好きな俳優さんの一人です。
それにしても、凄い題名ですね。私も親友を膵臓癌で、今から20年近く前に亡くしました。その時は、年甲斐もなく、人前で大きな声を出して慟哭してしまいました。
この歳になると、友人も次から次へと亡くなっていくのですが、これは仕方が無いと思い、次は自分かと順番待ちの気持ちです。
しかし、若い間に、病気にせよ事故にせよ亡くなるのは、辛いですね。
昨夜の番組は、ずっと病気で亡くなる事を、本人も、親族も『仲良し君』も思っていた時に、しかも後数日で病気のために亡くなってしまうであろう運命だったはずの女の子が、最後の遅咲きの桜を『仲良し君』と二人で、北海道旅行に行こうと、期待に胸を膨らませて、待ち合わせの場所に行く途中で、『通り魔』に殺されてしまう。なんとも割り切れない思いで『仲良し君』もいたと思います。
自分の人生の中でも、ある日突然予期しない時に、膵臓癌で亡くなった親友以外に二人も亡くなりました。その二人はまだ20代でした。
人生は、ある日突然、前触れもなく岐路に立ちます。そして、時間は待つことなく、刻々と過ぎ去っていくのみです。
ありきたりな感想ですが、今、この時の大切さを教えてくれる、ドラマでした。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第二十九段 〔原文〕
靜かに思へば、よろづ過ぎにしかたの戀しさのみぞせむ方なき。
人しづまりて後、永き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、殘し置かじと思ふ反古など破りすつる中うち に、亡き人の手習ひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折り、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いと悲し。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『 静かに思えば、過去の恋しさだけが脳裏に浮かぶでしょう。
皆が寝静まったあとで長い夜の暇つぶしにと物を片付けたり、残しておかないようにと、書き損じと思われる紙を破り捨てたりするうちに、今は亡き人が書いたものや、遊びに書いた絵が出てくれば、ただただ当時の気持ちが蘇る。
生きている人からの手紙でも、時が過ぎて、どんなときに、いつ頃もらったのかと思えば、懐かしさを覚える。
亡くなった人が使っていた道具類は今も変わらずにそのままなのが、また却って悲しい。』
『憂』
憂うれ いという言葉の意味に、思うようにならなくて、つらい。と言った意味があります。
この「第二十九段」には、ぴったりの意味ではないでしょうか。
帰らない事を考えても、思うようにはなりません。この事を憂鬱といいます。ですから、過ぎ去った過去に対して憂うれ う事になります。一種の病気でしょう。初めから解決できない事を、あれこれ考え続けるのですから。人の頭は困ったものです。
一番は、何と言っても「戀」でしょうね。左右の糸を裁断出来ない心ですから、それはもう、鬱になるしかありません。
亡くなった人を懐かしむのは、まだ納得できる材料が頭の中に存在します。特に亡くなった事に立ち会ったり、葬儀に出席して、その思いを断ち切る事ができます。
それでも、ふと、何かの拍子に「憂うれ い」を感じる事があります。
母が亡くなったのは、18年も前の事です。父が他界してから14年が経ちます。
一番思い出すのは、何かを聞こうと思った時に、ふと、親に聞けば直ぐに解るのに、いまさら誰にも聞けないな、と思う事です。この歳になっても昔の風習や、知り合いの事などは、親に聞かなければ分かりません。
特に地域の事など、生きている間には、思いもしなかったので、すべて闇の中です。それでも生きては行けますが、愁うれ いを感じる事があります。
母は、頭の良い人で、昔で言う学のある人でした。ですから、何でも良く知っていましたし、文才もありました。色々殴り書きした物を残しています。
父の場合は、表彰状が山のようにあります。民生委員や町会長、保護司と地域で名士だったと思います。父も同じように色々書いて残しています。
未だに、一まとめにして段ボールの中にありますが、整理しようとも思っていません。
兼好の書く「亡くなった人が使っていた道具類は今も変わらずにそのままなのが、また却って悲しい。」 と言う言葉がしみじみ伝わってきます。
『思い出』
亡くなった人の思い出は、時に触れ思い出す事がありますが、生きている人との思い出も、忘却できずにいる事も、沢山あります。
良い事、悪い事、懐かしく思う事、色々です。
たまたま、昨夜、「第50回 思い出のメロディー」がNHK総合テレビで放映されていました。
歌と言うのは、いつも感じるのですが、その歌を聞いていた時に、タイムスリップします。言葉では言い表せない郷愁に駆られます。「歌は世につれ、世は歌につれ」 の言葉通りの感情が込みあがります。
一世を風靡した中村雅俊 さんが、連続テレビ小説「半分、青い。」 でヒロインの祖父役をしていますが、私は若い頃の彼よりも今の方が好きです。特に彼の歌は、昔はその歌い方に癖があり、馴染めませんでした。しかし、最近の彼の歌は、非常に良い。哀愁があり、心に沁みる ように聞こえます。
きっと、良い歳の取り方をされたのでしょう。昨夜も「あの素晴らしい愛をもう一度」と「ふれあい」を歌ったのですが、実に心に響きました。特に「ふれあい」 の方が私には懐かしく思い出されます。
『悲しみに出会うたび あの人を思い出す こんな時そばにいて 肩を抱いてほしいと
なぐさめも涙もいらないさ ぬくもりがほしいだけ ひとはみな 一人では生きてゆけないものだから』
覚えている部分だけ書いて見ました。詩も良いですね。
中村雅俊さんは、私よりも4つほど下なのですが、ずっと私よりも年上だと思っていました。
石原裕次郎さんや小林旭さん、勝新太郎さんが歌う歌とか、西田敏行さんなど俳優さんが歌う歌は、歌の上手い下手を超越して心に響く歌唱力 を感じます。
歌を歌う時にも、その歌詞の中に入り込んで、演じているのかも知れません。美空ひばりさんも、もちろん歌手ですが、役者としても立派なものです。
現在の俳優さんの中にも、『徒然草』を読んで見る。【27】に記載したように高畑充希さんのような人もいます。
私は知りませんが、沢山の才能豊かな人がひしめいているのかも知れません。
芸人さんにも歌の上手い人が多いですが、多才な人が多い事に驚かされます。
そして、いつの日か、現在光り輝く人たちも、思い出になってしまうと思うと、一抹の寂しさを感じますが、何だか、人の人生と、四季の替わりが重なって見えます。