お習字から書道へ Section 41

 お習字の方は、空手と違い、まだライフワークと言う分けにはいかないので、毎日筆を持って書くのは、少し苦痛に感じる事があります。

 しかし、空手を長くやっていると、毎日の練習が積み重なって自分のものになっていく事も、経験しています。

 一日一文字でも、書き続ける事が、前に進めてくれます。

 空手の場合で言えば、その場突き10回、その場蹴り10回、多分1分もかからないでしょう。お習字の方は、用意して、書いて、それから筆を洗って、と言う作業が入りますので、もう少し時間がかかります。それでも、1文字なら5分もあればなんとかなります。「一日一善」は無理でも、「一日一文字」、「一日10突き」「一日一型」なら、やってみましょう。
 
 さて、今朝も文字を選んで書く事にします。と、その前に東京書道教育会の次の課題が、半切なので、一枚書く事にします。34.8×136.3(cm)ですから、ちょっと集中力がない時は、書けません。

 「星河不動天如水風露無聲月満楼」「せいがふどう、てんみずのごとし、ふうろこえなく、つきろうにみつ。」と読みます。漢詩ですが、『天の川は動かないが、天は水のように静かである。風や露には声はなく、月の光はたかどのに満ちている。』(陳安)と言った意味でしょうか。

 洗濯ばさみでつるして撮りましたので、綺麗に撮れませんでした。これは、第一回目の練習です。後何枚か書いて、良い物が出来れば、提出する事になります。

 さて、いつものように部分の名称から文字を選んで書いて見ます。

 前回は、「ひへん・にちへん」「めへん」「しろへん」を取り上げました。
 文字は、「早」「明」「春」、「直」「眼」「睦」、「百」「的」「皆」、を楷書で、「明」「直」「皆」を書写体で書きました。

 今回は、「たへん」「みみへん」を取り上げました。
 文字は、「甲」「画」「番」、「聖」「聞」「職」、を楷書で、「番」「聖」「職」を書写体で書きました。

 ここで、東京書道教育会の課題のために書いた半切〔34.8×136.3(cm)〕の写真と、部分の文字の違いを説明しておきます。半切は先述したように、吊り下げて撮り、そのまま画像にしたものを掲載しています。
 部分(へん・つくり)の名称の漢字を選んで書いたものは、プリンターでスキャンしたものを、文字の背面を半紙の色の中の一色に変えたものです。したがって、綺麗に文字が見えると思います。
 ただ、半紙全面に書くと小さい家庭用のプリンターなので、全部が入りきらないため、半紙のA4部分に書いています。
 


 「たへん」と言うのですね、「にんべん」や「ごんべん」、あるいは「うかんむり」などは聞き覚えがあるのですが、他の旁や偏の名称となると、ここで改めて知る事になっています。

 「甲」や「画」と言う字には、確かに「田」があるようですが、「甲」下に、「画」は上に突き抜けています。書き順も「甲」の場合と「田」では違います。

 書き順が違うと、文字の出来具合も変わって来ると思います。その辺りを注意して書きました。

 「画」の場合は、七画目から折れがあって横画になる、起筆の位置に注意しないと、文字のおさまりが悪くなってしまいます。
 

 
 「番」の書写体では、楷書の一画目がないのですね。

 この文字の注意点は、中心軸を合わせる事だと思って書きました。そして、左払いと右払いの角度に注意すると変化が生まれますが、この角度を間違うと不安定になりますので、手本をよく観察して書きました。

 


 「聖」と言う文字を書いていて、下の文字は「王」では無かったような気がしました。「壬」のように一画目は左払いだったような気がしています。いつの間にか、「王」に変わっていました。

 書写体の方は、左払いのように見えましたので、左払いで書きました。

 この文字のポイントは「耳」と「口」と「王」又は「壬」のバランスの取り方にあると思っています。

 感覚としては、「耳」の五画目の線の方向と口とのバランスにあると思っています。

 書写体は、「耳」の一画目が横に長いので、その分口を下目にしています。もちろんこれも手本がそうなっているので、そのように感じて書いたのですが。
 

 

 「聞」は、書写体が見つかりませんので、この文字は楷書です。

 手本を観察した結果「耳」の右の縦画の位置に注意する事にしました。結果は、右側の余白が十分に取れた文字になり、窮屈さが無くなったように思えます。
 また、上の「日」と言えるのか分かりませんが、二つの「日」に変化を持たせることと、大きさに注意しました。
 

  

 「職」は、手本をある程度再現できたと思っています。

 自分で何も見ずに書くのとは、雲泥の差があります。結構良い字になったのではないでしょうか。自画自賛です。

 

   

 一口メモ 

  前回からの続きで、『はじめての書道楷書』(関根薫園著)で、中国の李淳と言う人の手による「結構八十四法」と言う文字の組み合わせ方を説明していきたいと思います。

 今日は第十五回目です。取り上げるのは、「蓋下がいか」「趁下しんか」「縦腕じゅうわん」「横腕おうわん」の4つです。

 「蓋下がいか」を説明するために取り上げた文字は「金」ですが、説明と文字との関係がちぐはぐで、この通りに書くと、例にあげた「金」と言う文字にはなりません。書いてあることと、文字とのどちらを取れば良いか迷います。なぜなら、説明には、『脚部がその中央部にくるようにする。』と書いてあるのですが、実際の文字は、かなり左に寄って見えます。確かに『ひとやね』の部分の左払いと右払いの交点を中心と考えますと、下の部分はその交点の下にあります。しかし、右払いが大きく右に伸ばしてありますので、左に寄って見えるのです。確かに右払いを長く伸ばすと下に空間が広がります。

 「趁下しんか」の例は「吝」です。この説明にある脚部とは「口」です。この「口」を平らにして左右の均衡をとるように形をまとめるような説明があります。これも、実際の文字では平に書かれてあると言うより、小さくまとめてある感じです。見る人の主観で書かれてあるので、私には、今のところ理解出来ていません。

 「縦腕じゅうわん」は「風」を例に上げています。一画目と二画目を丸みをつけ途中で「枯痩」しないよう、と説明があります。要するに力強く筆を運ぶことです。ここで「枯痩」とは、「こそう」と読むそうですが、辞書では「生気がなくやせ衰えること。」とありますが、私は、書道の書籍には、こういう表現があるたびに、分からなくなります。文字の表現に「典雅」とかの文学的表現があるのも、私には腑に落ちる表現ではありません。しかし、こういう表現の意図するところが分からないと、書道の文字の良さも理解しにくい事もあるでしょう。私がこの表現をあまり好ましいと思わない理由は、主観であっても良いのですが、どのようにでも取れる言葉遣いは、私などの初心の者には、誤解を生んでしまうからです。

 「横腕おうわん」この説明は、文字「毛」をあげていますが、東京書道教育会で言う『曲がり』の書き方の説明として捉えられます。『起筆で筆先を突き起こして、十分に筆勢を保ち続け、少しまるみを持たせて転折で力まず、一呼吸おいて一気に収筆にもっていく。』このように説明しています。
 ここでも、疑問点があります。この84の名称は結構法ですから、部分と部分との繋がりの仕方であるべきだと思います。なんどか、点画の筆の使い方に説明が及んでいますが、私の個人的な気持ちでは、部分の繋がりの仕方だけにしてほしいと思っています。複雑にすればするほど、物事の本質から乖離して行きますから。

 ちょっと、愚痴が過ぎました。

 

【参考文献】
・青山杉雨・村上三島(1976-1978)『入門毎日書道講座1』毎日書道講座刊行委員会.
・高塚竹堂(1967-1982)『書道三体字典』株式会社野ばら社.
・関根薫園(1998)『はじめての書道楷書』株式会社岩崎芸術社.
・江守賢治(1995-2016)『硬筆毛筆書写検定 理論問題のすべて』株師会社日本習字普及協会.
江守賢治(1981-1990)『常用漢字など二千五百字、楷行草総覧』日本放送出版協会.
・江守賢治(2000)『楷行草筆順・字体字典』株式会社三省堂.