「五輪書」から学ぶ Part-75
【風之巻】兵法、他流の道を知る事

 【五輪書から】何を学ぶか?  

 今日から「風之巻」が始まります。題名にあるように、自分の流儀以外を知る事なので、ふと、何度も引き合いに出しましたが、孫子の言う「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆しを思ってしまいます。

 しかし、孫子を例に取り、武蔵が言う事と比較してきましたが、若干ニュアンスの違いが読み取れたと思います。

 今回は、どのような意味で、他流を知ると言うのでしょう。

 「風之巻」の構成を見ると、かなり具体的に他流を観察しているようにも見えます。この観察した事を、武蔵の独特な考え方と、着眼で分析し、どう生かすのでしょう。

【風之巻】の構成

1. 兵法、他流の道を知る事
2. 他流に大なる太刀を持つ事
3. 他流におゐてつよみの太刀と云事
4. 他流に短き太刀を用ゆる事
5. 他流に太刀かず多き事
6. 他流に太刀の搆を用ゆる事   
7. 他流に目付と云ふ事
8. 他流に足つかひ有る事
9. 他の兵法に早きを用ゆる事
10. 他流に奥表と云ふ事
11. 後書 
 
『原文』
1. 兵法、他流の道を知る事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用した)
他の兵法の流々を書付、風之巻として、此巻に顕す所也。他流の道をしらずしてハ、一流の道、慥にわきまへがたし。(1)
他の兵法を尋見るに、大きなる太刀をとつて、強き事を専にして、其わざをなすながれも有。或は小太刀といひて、みじかき太刀をもつて、道を勤むるながれも有。或ハ、太刀かずおほくたくみ、太刀の搆を以て、表といひ奥として、道を傳ふる流も有。これミな實の道にあらざる事也。此巻の奥(内*)に慥に書顕し、善悪利非をしらする也。我一流の道理、各別の儀也。他の流々、藝にわたつて身すぎのためにして、色をかざり、花をさかせ、うり物にこしらへたるによつて、實の道にあらざる事か。又、世の中の兵法、劔術ばかりにちいさく見立、太刀を振ならひ、身をきかせて、手のかるゝ所をもつて、勝事をわきまへたる物か。いづれもたしかなる道にあらず。他流の不足なる所、一々此書に書顕す也。能々吟味して、二刀一流の利をわきまゆべきもの也。(2) 
【リンク】(1)(2)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 1. 兵法、他流の道を知る事

 我流儀以外の兵法の流儀について書き、これを風之巻とする。
 他の流儀を知らずしては、自らの流儀を確かなものとして、識別する事ができない。
 他の流儀をたずね見ると、大きな太刀を使い、強い事を強調する流れも有る。あるいは、小太刀と言って、短い刀を使い道を勤しむ流れもある。あるいは、数多くの切り方を考え、その構をもって、表といったり奥義として、道を伝える流儀もある。
 これは全て真実の道ではない。この「風之巻」の中に確かに書き表し、良い悪い、是非を知らせる。我流儀の道理は格別である。
 他の様々な流儀、芸は、暮らしを立てるために、余分な動作を付け加え、見た目に興味をそそるように作っているので、本当の道ではない。
 又、世の中の兵法は、剣術ばかりを取り立てて、太刀の振り方を習い、身体を使い方や手の動かし方で、勝とうとしている。いづれも確かな道ではない。
 他の流儀が不足している事を、一つづつこの「風之巻」に書き記す。よく熟読し、二刀一流の利便を知る事である。
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 『私見』

 「風之巻」を書く理由が書かれてあります。今で言えば、宣伝文句、謳い文句、キャッチコピーと思います。

 但し、武蔵は生計を立てるために、宣伝しているのではなく、純粋に、その当時の剣術の在り方を嘆いて、警鐘を鳴らす意味合いが濃いと思います。

 先の「火之巻」後書では、『私見』でかなり穿った見方をしましたが、この「風之巻」では、なるべく武蔵が考える兵法に寄り添いながら、素直に学ぶ姿勢が崩れないように、読み解きたいと思います。

 それでも、『私見』ですから、また脱線してしまうかも知れません。

 武蔵の言う事に沿って世の中を見ますと、もう少し、人間が生きる方向を考えた方が良いのではないか、と、思う事も随分あります。
 
 現在は人の気持ちが集まって、気運が高まって物事を動かすには、どうしても先立つ物を考えなければなりません。天秤にかける事になってしまいます。理想と現実の狭間にあるのは、お金、と言う代物です。

 もちろん、明治維新でも、大勢の外国人や外国製武器の存在が関与していたと言われています。今でも、戦争の大半の原因の根底にあるものは、経済、すなわちお金です。

 例えば、原子力発電などの事を考えると、今すぐにでも止めれば良いと思いますが、経済を考えると、一方的に止める方向に進める事は出来ません。もちろん、生活というものを考えなければ、簡単な事です。一度、リセットした方が良いのではないかと、思ってしまいます。

 戦後、国を復興させようと、先輩たちが現在の経済大国を造ってきました。その恩恵を、余りにも我々は受け過ぎています。
 
 前回の投稿でも書きましたが、「足るを知る」事をどこかで、国民が、いや地球上の人々が、気付かなければ、変わる事はないのでしょう。僅か70年の月日が、人間を飽食から崩食、そして呆食へと変えてしまったようです。

 武蔵が自らの兵法を高く評価する事は、理解できますが、その事については、私が求める道とは隔たりがあり、受け入れがたく思っています。技術的な事とは違い、精神的な考え方の問題ですが。

 それでも、武蔵が警鐘を鳴らす対象を、現在の人間の過ぎた欲に向ければどうでしょう。警鐘は、鳴らし続けるべきだと思います。

 天秤の一方の受け皿に、このまま人の欲を積み重ねていけば、いつか、片側に傾き、気付いた時には、地球上に人間は住めなくなっているのではないでしょうか。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html