論語を読んで見よう
【為政篇2-1】
[第四講 徳治という難問]

 儒教と言う言葉を聞いたことはあります。韓国は儒教の国と聞く事が多いです。しかし、儒教という事も正確には分かっていません。
 儒教感と言っても、ごくごく単純に年上の者に随うようなイメージしかありません。
 日本人が考える儒教の思想と、中国や韓国が考える儒教にも違いがあるのではないでしょうか。思想でありながら、その伝わり方により、また時代背景により変化して今の儒教感があるのではないでしょうか。

 孔子は、儒教の生みの親であるとの認識がありますが、それも少し調べて見たいと思います。
 ほんのさわりの部分だけ調べて見ました。
 結論から言うと、『論語』そのものが『儒教』の基礎と言えるのではないでしょうか。

 歴史的に見ると、孔子が生まれた時代に中国では、春秋時代と言われる戦国時代で、春秋時代以前には、身分制度によって世の中が平定していたようです。しかし、身分制度が打ち破られ、秩序が崩壊し混乱した世の中になっていたものを、道徳的・宗教的な再興再編を試みたのが孔子であり、この教えを儒教と呼んでいるようです。

 私が今回参考にしている『現代人の論語』によると、孔子以前に儒教はあったとし、書経と詩経は孔子以前に成立していたと、『論語』に言及していると書かれています。
 また、儒教の経典は五経(書経・詩経・易経・春秋・礼記)ですから、その中に孔子以前のものがあれば、儒教は孔子以前に存在していたとするのが妥当でしょう。
 ちなみに、インターネットの百科事典と言われているウィキペディアでは、五経すべてが孔子以前からの書物であるとの記述がみられます。
 インターネットの大方の情報では、孔子が儒教の開祖であるとの記述があります。
 しかし、ここでは、参考文献を信じ、儒教は孔子以前の前儒教、孔子による原儒教、孔子以降の経学儒教と発展したと理解しておくことにします。

 私が初めに結論を述べたように、論語がもっとも原儒教(孔子の儒教)であると考えられるのではないでしょうか。  その教義は、五常(仁、義、礼、智、信)からなり、これを身に付ける事により徳が養われ、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)と言われる関係、すなわち上下関係を明確にすると言ったものだったようです。

 孔子の唱えた思想は、長い年月を経て、東アジア諸国に広がり、日本もその影響は濃く、宗教としてではなく学問として時の為政者の思想の基礎をなしたと考えられます。聖徳太子も儒学の影響を受け、聖徳太子の制定した十二階の冠位には徳仁礼信義智の儒教の徳目の名称が付けられたようです。  これは、今で言えば、社長・専務・常務・部長・課長・係長のような地位を表す称号で、日本では初めて身分に名前が付けられたと言われています。なぜ、徳仁礼信義智の6つに対して12の段階があるかといいますと、それぞれに大小があり、合わせて12階と言う事のようです。

 また、このブログでも取り上げましたが、聖徳太子の十七条憲法も多分に『論語』の影響があったと思われます。

 今回の【為政篇2-1】は『現代人の論語』の題名は、[第四講 徳治という難問]になっています。名前の通り、政治をどのような思想で行うかが書かれてあります。
●白文
『子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之』。

●読み下し文
『子曰(
のたまわ)く、政(せい)を為(な)すに徳を以ってすれば、譬(たと)えば北辰(ほくしん)のその所に居て衆星(しゅうせい)のこれにむかうが如し』。

 前述したとおり、春秋時代は政治の混乱期にあり、孔子の思想は『徳』をもって政治にあたれば、世の中の混乱は治められると考えていたと思われます。
 
 その譬えとして、北辰とは北極星の事で、北極星は動かず、その周りを他の星が廻り随うようなものであると説いています。

 考え方としては分かる気もしますが、2500年もの間に「徳」すなわち、善の人格を備えた品格のある政治がなされたでしょうか。
 儒教がバランスの取れた状態で浸透すれば、上下関係も公正な状態を保てるのかも分かりませんが、バランスと言うのは常に気を付けておかないと崩れてしまいます。

 儒教の国ではない、今の日本でも政治家の2世化(悪い意味で)や友人への配慮(利益の供与など)、あるいは、賄賂や収賄がニュースになる事が稀ではありません。余りにも親兄弟に対して優遇する事もあり、バランスの取れた政治は行われてこなかったようです。

 このブログでは『空手道という武道』の中に、国連の要請を受けて、アインシュタインは戦争を無くすための方法について自説を述べ、フロイトに見解を問うています。フロイトはそれに対し、主に精神分析の見地から返信しています。その中で、フロイトは【法は暴力に支えられており、そして法の支配は時に破綻して暴力の支配にとってかわられるものだ】と言っています。と書きました。アインシュタインですから、最近の事です。アインシュタインは、 1955年4月18日に亡くなり、フロイトは1939年9月23日に亡くなっていますから、つい最近と言うのは言い過ぎかも知れませんが、孔子が憂いて徳治政治を待望してから2500年もの年月を要し、人はまだバランスの取れる人間には、なり得ていないように思います。

 フロイトは、書簡の末尾で、〈文化の発展が生み出した心のあり方と将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安」が戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではないか〉(出典:アインシュタイン/フロイト 浅見昇吾 訳『ひとはなぜ戦争をするのか』 講談社学術文庫.)と文化の発展が戦争を回避できると期待を寄せています。これは、孔子の言う『文化』と『礼』を持って徳治政治が可能である事を示唆していると思います。

 どこかで、経済的な豊かさを求める人類から、文化を発展させて幸せを感じる事ができる人類に、軌道修正する必要があると思います。

 柳生宗矩が活人剣として、剣術から剣道へ、嘉納治五郎が柔術から柔道へ、唐手術から空手道へと名前を変えたのは、単なる流行りでない事は明らかです。

 文明が栄えて人類は経済的な豊かさを手に入れました。孔子や聖徳太子が望んだ文化の発展は遅々たるものです。やはりここでも、バランスが大切ではないのでしょうか。

 私は三流の武道家で、思想を云々できる立場にはありませんが、文化と文明は、人間にとって2500年も前に、日本でも1500年も前に重要性を説いた人がいたのです。文明だけでバランスの取れるものではないと思います。文化の発展にお金を掛けようとするのが間違いだと思っています。文化は人から人へ継承すれば良いのです。 

  日本空手道髓心会ホームページの『会章(シンボルマーク)』の意味にも、『一燈照隅 万燈照国』(最澄)の言葉を載せているのは、世の中の一隅を照らす存在になってほしいと願うからであり、この『論語』にあるように上に立つ為政者が徳を持つことは、絶対条件と思いますが、それに従う人達がそれぞれに徳を持つ事が十分条件になると思います。

 空手の場合であれば、道着一枚あれば、畳一枚の広さがあればどこでもできます。60年前は、空手を修行する者の合言葉だったと記憶しています。

 文化は、個展や演奏会、あるいは各種競技会、競売のためにあるのではありません。まして現在のように、文化によって財をなす事を目的にするのは、すでに文化とは思えません。
 文化を分化と言う人もいます。理由は閉鎖的なものだという意味です。ある意味分化も止むを得ない歴史がありました。ですから歌舞伎や相撲と言ったものが歴史に風化されずに残っています。これも文化を継承していくための智慧かも知れません。歌舞伎や相撲だけではなく、華道や茶道も同様です。しかし、閉鎖的な社会には弊害もある事は事実です。なぜなら、儒教や共産主義と同じで、考え方は理想と思いますが、バランスを取るのが難しくなるからです。それは、神の手によって行われるのではなく、人が行う行為だからだと思います。

 理想である政治の仕方は、「君主政治」であると習ったことがあります。いつ習ったのか定かではありません。しかし、これには但し書きが付きます。君主が「神」あるいは「神」のように私利私欲がなく、ここで言われている「徳」によって政治ができる人の下で、成り立つという事です。

 世界に目を向けても、リーダーシップの名のもとに強権な政治、圧政が目に付くようになってきました。
 為政者だけではなく、それに対抗するマスメディアにもそのような傾向が目立ちます。
 やはり、フロイトの言う【法は暴力に支えられており、そして法の支配は時に破綻して暴力の支配にとってかわられるものだ】という仮説が正しいのでしょうか。私は「言葉」による暴力も、暴力に変わりがないと考えています。なぜなら、暴力には相手の人生を翻弄する力があるからです。

 文化を習い実践する事に意味があり、嗜(たしな)むためのものであると思うのです。私は、そのように思い、今でも僅かづつでもその神髄に近づこうとしています。その文化が閉鎖的な社会を作らず、人々の心に、言動に、自明となる日が一日も早く来ることを願ってやみません。


【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.