論語を読んで見よう
【願淵篇12-5】
[第四十六講 共同体を超える思想]

 前回には「孝」と「正直」のどちらを優先するかの話でしたが、ここでは、上の玉の右端の漢字「てい」が重要な意味を持ちます。儒教の徳目の一つです。白文にこの漢字を見る事は出来ませんが、「悌」は、「兄や年長者によく従うこと。また、兄弟の仲が良いこと」(出典:大辞林第三版 三省堂.)で、孝は、「親によく仕えること。親の喪に服すこと。また、追善供養。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)との事ですから、両方とも親族に対する礼の徳目です。

 この「孝」を『現代人の論語』では、「孝という徳を生命の連続性という観点から見直そうとする新しい動きがある」との記述がありました。

 ここで、『現代人の論語』では、「肉親間の不条理とさえ言える情緒に発する徳である以上・・」との記述がありますが、肉親間の情と言うものが、不条理すなわち、筋道の立たない事柄と言い切れるのか、私には理解しがたいのです。

 話は、すこし横道にそれますが、森鴎外の妻は、悪妻で有名らしいですが、トルストイの妻やモーツァルトの妻、ギリシャの哲学者ソクラテスの妻も悪妻として有名です。
 いや、ここは、悪妻の話ではなく、森鴎外の後妻である志げが、子供が亡くなった時に言った言葉を、思い出したのです。随分昔のテレビドラマですから本当にそう言ったか、また言葉自体がその通りではないと思います。記憶によりますと「赤さんは、付き合いが短いから、悲しくはありません」と言うような事を言ったのです。当時、赤ちゃんの事を赤さんと言ったようです。
 私は、驚きと同時に、その通りだと思ったのです。親子関係にしても、年月を経て、愛情が深くなっていくのが本当の姿ではないでしょうか。もちろん動物として母親には母性本能があるのかも知れません、志げさんが、悲しみをこらえるため、あるいは悲しみを越える為に言った言葉なのかも知れません。

 しかし、私にはそう思えませんでした。ですから、親子の情を、不条理とは思えないのです。親子は随分長い間生活を共にします。しかもまだ右も左も分からない頃から、親に反発する時期もあり、そして親の手から離れるのです。その間は、他人では経る事のできない、心の交流が、気付かない内に行われるのです。
 決して、親子の情は、不条理である分けではなく、必然的にできるものだと思っています。ですから、これが逆の方向に向かうと、愛情の裏返しが憎しみと言いますから、一緒にいた期間が長ければ長いほど、憎しみが増し、犯罪へと繋がるのだと思います。

 儒教がもし、単なる血のつながりを大切にするような、縁戚主義に繋がるのだとしたら、言い過ぎかも知れませんが、孔子の思想そのものに、欠点があるのだと思います。

 現在でも、友人や自分と関わりのある人への優遇は、後を絶ちませんが、これは、実に当たり前の事で、自然な行為です。ですから『徳治政治』が必要なのだと思います。『論語』を参考にして出来た、聖徳太子の『十七条憲法』は、上に立つ者の如何に、姿勢を正して徳を積み、礼を尽くさないといけないかが書かれてあります。

 であれば、縁戚主義に陥ったのは、何も孔子や儒教が問題では無く、バランスが取れなくなった君主や為政者に問題があると思います。

 さて、以上のような考えで、『論語』を読んで見たいと思います。
●白文
『司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我独亡、子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天、君子敬而無失、与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也、君子何患乎無兄弟也』。
●読み下し文
司馬牛しばぎゅう、憂えていわく、人皆兄弟けいていあり、我ひとりなし。子夏しか曰く、しょうこれを聞く、死生しせい命あり、富貴ふうき天にあり。君子は敬してしつなく、人とうやうやしくして礼あらば、四海しかいの内は皆兄弟たり。君子何ぞ兄弟なきをうれえんや』。【願淵篇12-5】

 また、現代文にして見ましょう。その前に、登場人物を紹介します。子夏は、以前にも出てきています。名が商、姓はぼく、字が子夏です。もう一人は、初めて登場します。司馬牛とは、姓は司馬 、名は耕、 字は子牛しぎゅう。述而篇7-22で登場する、孔子を殺そうとした宋の軍務大臣司馬桓魋かんたいの弟です。
 
 述而篇7-22の白文は『子曰、天生德於予、桓魋其如予何』読み下し文は次の通りです。のたまわわく、てんとくわれしょうぜり。桓魋かんたいわれ如何いかんせん』、内容は、「孔子が、自分は天から徳を得たので、桓魋かんたい如きに殺されるはずがない」と言っています。内容については、孔子の「天」に対する矛盾点が見えますが、それは、又の機会に解明しましょう。

 孔子を襲った人が桓魋かんたいですが、どうも五人兄弟の末っ子が今回登場の司馬牛のようです。とすると、天涯孤独となぜ言ったのか、推測しなければなりません。

 兄弟との関係は、一度こじれると他人よりも難しいものです。司馬牛がいつ孔子の弟子になったのか、桓魋かんたいが孔子を襲った時期との関係が見えませんが、粗暴な兄を快く思っていなく、兄の評判の悪さで、他から酷い扱いを受けたのかも知れません。他の兄弟は行動を桓魋かんたいと共にしていたとされていますので、自分だけ、縁を断ったのかも知れません。この事は参考にする文献が見つけられませんでしたので、勝手な憶測です。

 そこで、今回の文章になります。「司馬牛が浮かない様子で子夏に言った。みんな兄弟がいる、私は一人です。子夏は、こんな話を聞いたことがあります。生きるも死ぬも、金持ちになるのも、地位が高くなるのも、すべて天命であると。君子は、人との交際も言行を慎んで礼を尽くせば、世界中がみんな兄弟です。兄弟がいない事を嘆く必要はない。」このような内容です。

 これは、多分嘆いている司馬牛に対する、子夏の配慮でしょう。一つの道、一つの思想を行く者は、やはり孤独感に苛まれる事は、仕方のない事だと思います。人が自分と同じように思い、行動するのであれば、思想も宗教も必要ないと思います。独自の考えを持ち、その考えが世の為になると考えるから、思想、哲学、宗教と言えるのではないでしょうか。

 ならば、こういう慰めは、無用だと思います。この孤独感に潰される様であれば、すでに君子への道から外れていると思います。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.