今日の文字は『備』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第六十三段』を読んで見て、感じた文字です。
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備
今朝、MSNニュースを見ていて、
「石原さんとしては、舞台経験も重ねて、“演技力でも私が上”という自負もありますが、綾瀬さんは出演するドラマがことごとく当たるので、忸怩たる思いがあるのではないでしょうか」(芸能関係者)」
という内容が書かれてある、NEWSポストセブンと言うコーナーがありました。
私も、以前はこの「忸怩たる思い」をここで書かれてあるような意味として捉えていました。
あるとき、何がキッカケか忘れましたが、「忸怩たる思い」を辞書で引いて見た事があります。
「自分のおこないについて、心のうちで恥じ入るさま。 「内心-たる思いであった」 「 -たらざることを得ない/渋江抽斎 鷗外」」
(出典:大辞林第三版 三省堂.)
さて、どこがちがうかと言いますと、上の芸能関係者が「忸怩たる思い」と言ったのは、あくまでも「悔しい思い」をしていると、言いたかったのでしょう。
最近、この言葉を国会議員の人が使っていました。実に見事に正解でした。国会議員の中には、漢字を読めない私のような人もいますが、この国会議員のように、正しく日本語を使ってくれると気持ちが良いですね。
それにしても、芸能関係者とは書いてありますが、記事を書いているのですから、ジャーナリストと推測できます。であれば、言葉を扱う仕事だと思います。誤用はさけるべきでしょう。
そう言えば、少し前になりますが、体操の塚原光男氏とMCの加藤浩次さんの対談を紙面で紹介していましたが、ここでも、間違った日本語が使われていました。
よく、間違う人がいますが、「喧喧囂囂」と「侃侃諤諤」を混ぜて、「喧喧諤諤」と言う人がいます。ここでも、塚原光男氏が平然と「喧喧諤諤」やっていますと、何度も繰り返した言葉が掲載されていました。
しかし、この「喧喧諤諤」と言う言葉が、今では辞書に載っているではありませんか。
「《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。「喧喧諤諤たる株主総会の会場」」
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
ちなみに、「喧喧囂囂」とは、
「大勢の人がやかましく騒ぎたてるさま。」
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
そして、「侃侃諤諤」は、
「正しいと思うことを堂々と主張するさま。また、盛んに議論するさま。」
(出典:デジタル大辞泉 小学館.)
この二つの言葉は、真逆の様子です。
塚原氏が言いたかった事は、「侃侃諤諤」と話の内容からは推測できます。加藤さんがこれを受けて、同じように「喧喧諤諤」と言ったのは、皮肉でしょうか。それは分かりません。
しかし、何でもみんなが使っているからと、辞書に載せてもよいのでしょうか。
私は、なんとも釈然としない、「やる方ない」気持ちがします。
この「釈然としない」、「やる方ない」と言う言葉が、私が「忸怩たる思い」を間違って覚えていた、代わりの言葉として、今このブログでも使っています。
ちょっと、先述の「悔しい思い」とは、主旨が違いますが、自分ではどうしようもない、鬱積した気持ちを表す言葉として選びました。
「やるせない」も同じような気持ちを表す言葉ですが、この場合はどちらかと言うと、悲しみが介在している気持ちの時に使う方が、伝わりやすいと思います。
まぁ、こんなことをぐちぐち言っていても始まりません、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第六十三段 〔原文〕
後七日の阿闍梨、武者を集むる事、いつとかや盜人に逢ひにけるより、宿直人とてかく ことごとしくなりにけり。一年の相は、この修中に有樣にこそ見ゆなれば、兵を用ひんこと、穩かならぬ事なり。