『礼と節』を徹底解剖 Part-5

 まだ、記憶に新しいですが、「面従腹背」を座右の銘にしていると、臆面もなく公言した輩がいました。それも日本では最高の大学と呼ばれる東京大学を卒業したそうですね。

 「面従腹背」という言葉を、自分を正当化するために使った人を初めて見ました。ちなみに、面従腹背とは、「うわべは従順にみせかけ、内心では従わないこと」(出典:『大辞林 第三版三省堂.)と言う意味で使われ、権力者に言葉巧みにすり寄って、立身出世を企てる人の事を揶揄して使う事が多いと思います。同じような言葉に「面従後言」という言葉もありますが、同じように面と向かっては媚び諂[へつら]い、陰で悪口を言う事を言います。
 「面従腹背」を座右の銘と言えると言うのは、正直者と言う事も言えますが、これを聞いた過去の上司は、どんな気持ちで聞いたのでしょう。

 歴史的な観点から見ると、このような人が稀であったと言い難い事は確かです。もちろん、現在でも心の中では「面従腹背」や「面従後言」が当てはまる人がたくさんいる事は否めません。しかし、言葉に出して言う事でもないと思います。
 もしかして、遠藤周作著作の「鉄の首枷 – 小西行長伝 (中公文庫)」などの影響なのでしょうか。

 前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。

『十七条憲法 原文』
第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
第二条 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
第三 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
第四条 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
第五条 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
第六条 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
第七条 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
第八条 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
第九条 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十条 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
第十一条 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
第十三条 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
第十四条 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
第十五条 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
第十六条 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
第十七条 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
[出典]金治勇(1986)『聖徳太子のこころ』大蔵出版.

 現代文を要約したものを下記に示してあります。バーをクリックすると見る事が出来ます。
『十七条憲法 現代文要約』
1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。

 本日のテーマは、『十七条憲法』第六条です。
 漢文では『懲悪勧善 古之良典 是以无匿人善 見悪必匡 其諂詐者 則為覆国家之利器 為絶人民之鋒釼 亦侫媚者対上則好説下過 逢下則誹謗上失 其如此人皆无忠於君 无仁於民 是大乱之本也』です。
 では、読み下す事にします。『悪を懲し善を勧むるは 古の良き典である。是を以て人の善を匿さ无、悪を見て必ず匡せ。その諂い詐く者は、則ち国家を覆す利器であり、人民を絶つ鋒剣為。亦佞しく媚びる者は、上に対しては則ち好んで下の過ちを説き、下に逢いては則ち上の過ちを誹謗る。その如き此れ人は皆忠无く、民に於いて仁无し。是は大乱之本也』と読みました。
 また、現代文にすると、
 『悪を懲らしめ善を勧めるのは、古き良きしきたりである。是にならい人の善行を隠すことなく、悪行を見たら必ず正せ。へつらい欺く者は、国家を覆す武器を持っているようなものであり、人民を滅ぼしかねない鋭い剣となる。また、口先が上手く媚びる者は、上に対して好んで下の過ちを告げ、下の者には、上の過ちを誹謗する。そのような人は皆忠義がなく、民に於いては思いやりがない。これは大混乱を招くもとである。』と分かりやすくなります。

 この文章を読んで最初に頭に浮かんだのが、冒頭の『座右の銘の件(くだり)です。この条文を絵に描いたような事柄です。しかも、元文科省の官僚であり、 文部科学省大臣官房総括審議官、文部科学省官房長、文部科学省初等中等教育局局長、文部科学省文部科学審議官、文部科学省事務次官などを歴任した人が言った言葉ですから、聖徳太子は預言者でもあったのかと、思うほどです。

 しかし、権力者や上司が礼節のある人とは限らないのが世の中です。ですから、十七条憲法を示して訓戒としたのだと思います。

 私も、そんな人間関係には閉口した時期がありました。ですから、『面従腹背』になる気持ちが分からないではありません。特に良い大学を出て、出世街道をまっしぐらに歩む人達に、その道を変える事は容易な事ではありません。逃げ場のない所で、上司の下で働かざるを得ない人達にとって、『座右の銘』としてじっと我慢をし、耐えてきた人生だったのでしょう。

 私も、若い頃から、人間関係では特に思い悩む事が、多かったのではないかと、思っています。しかし、人間関係で苦労するのは、自分だけではないのだろうとも思っています。

 私は、『面従腹背』という気持ちを持ったことはありませんが、『仕事に徹する』事で、この思いを解消してきました。屁理屈に聞こえるかも知れませんが、『仕事』と言う文字を『事に仕える』と意味づけしていました。どういう意味かと言いますと、人に仕えるのではなく、事、すなわち、与えられた事に対して、仕えようと思ったのです。仕事自体に感情はありませんし、自分の気持ちを害する言動もありません。仕事に専念する事で人間関係から脱却する事ができたように思いました。
 面白いもので、仕事に専念すれば結果に現れます。そしてその結果を評価する側は、また違った接し方をしてきます。すると、意外と人間関係は改善されます。

 逆の場合もあります。自分が上司の立場で気を付けた事は、部下の出来る方法を探してみる事を優先しました。自分の出来る方法が、人に合っているかは分かりません。

 山本五十六氏(第二次世界大戦時、最終階級元帥海軍大将)の「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。は、上司になったら一度は読んで見る価値はあると思います。

 人間関係に悩む事と『礼と節』に、どんな関係があるのかと、思われると思います。これが意外と密接な関係があると思うのです。

 『衣食足りて礼節を知る』という言葉は、聞いたことがあると思います。『礼節』と言うのは、人間が持つ事のできる余裕だと思うのです。動物は、「礼節」が無くて、他の動物を襲うわけではありません。生きる為に他の動物を襲います。あるいは、身の危険を感じて襲い掛かります。いわゆる食物連鎖です。ところが人間の場合は、たとえ空腹であっても、心の余裕で空腹を我慢する事もできます。残念ながら人間は、逆もやります。ですから、心の持ち方か大切なのです。

 人間関係に心が囚われていますと、心に余裕ができません。相手に対する「礼節」に欠ける事もままある事だと思います。

 この心に余裕を持たせる事と、『礼と節』の起こりに密接な繋がりがあり、特に武道には、必要欠くべからざるものと思っています。