論語を読んで見よう
【子路篇13-4】
[第十三講 君子とジェネラリスト]

 今回も辞書なしでは、読む事もままならない漢字の羅列です。まぁ、漢文ですから、仕方がないのですが、不得意です。
 最初の樊遅は、はんちと読むらしいです。はんちは孔子の弟子の一人で、名前です。圃は、田圃(たんぼ)のぼです。ここでは菜園の事を言っているようです。圃自体は、畑の意味です。

 この講を読むと、如何に聖徳太子が『論語』の思想を基に、十七条憲法を作成し、徳治政治を行おうとしていたかが読み取れると思います。

 しかし、思想と言うものは、往々にして机上論に走り過ぎるきらいがあります。どのような主義主張があっても、それを実践するのは、善悪どちらも心に宿す人間ですから、バランスが大切になってきます。

 ここで、孔子の人間としての完成度を垣間見ることができるのではないでしょうか。

 どのような孔子がここに現れるのでしょう、『論語』を読んで見たいと思います。
●白文

『樊遅請学稼、子曰、吾不如老農、請学為圃、子曰吾不如老圃、樊遅出、子曰、小人哉樊須也、上好礼則民莫敢不敬、上好義則民莫敢不服、上好信則民莫敢不用情、夫如是則四方之民、襁負其子而至矣、焉用稼』。
●読み下し文
『樊遅(
はんち)、稼(か)を学ばんと請う。子曰(のたま)わく、吾、老農に如()かず。圃()をつくることを学ばんと請う。曰(のたまわ)く、吾は老圃に如かず。樊遅出ず。子曰く、小人なるかな、樊須(はんしゅ)や。上(かみ)礼を好めば、すなわち民は敢(あ)えて敬せざること莫(な)し。上(かみ)義を好めば、すなわち民は敢えて服せざること莫し。上(かみ)信を好めば、則ち民は敢えて情を用いざること莫し。夫(そ)れ是(か)くの如くんば、すなわち四方の民は其の子(こ)を襁負(きょうふ)して至らん。焉(いずく)んぞ稼を用いん』。(子路篇13-4)

 内容をもう少し意訳してみましょう。
 『樊遅と言う弟子が、穀物の育て方を学ぼうと、孔子に質問しました。孔子は、穀物の専門家にはかなわない。と答えました。すると樊遅は、それでは野菜の栽培について教えてください。と孔子に言いました。孔子は、野菜の専門家にはかなわない。と答えました。樊遅が孔子の前から退きました。孔子はそばに居た弟子に、「樊遅は小人ですね、上の者が礼を好めば、民は上の者を敬う。上の者が、正義を好めば、民はあえて服従しない事はない。上の者が信を好めば、民はあえて薄情にはならない。であるから、世の中の民は子供を背負って、この上の者に集まって来る。なぜ、自分で穀物を育てる必要があるのか。」とつぶやきました。』こういった要旨です。

 『現代人の論語』には、樊遅について鈍才としています。果たしてそうなのかと、思っています。また、この返答に対して、儒教に痛烈な批判者である福沢諭吉が実学を称えた事を記して、実務軽視の弱点であるとしています。
 そういう一面も伺えますが、私は少し考えが違います。

 「ものには仕方がある」とよく言います。同時に、男女は平等ではあっても、区別されるべきだとも考えています。
 男女の問題はさておき、孔子は、決して肉体労働に対して、軽視している分けではないと思うのです。

 孔子がここで言いたかったのは、樊遅に対しては、「貴方は何を専門にしているのか」を考えさせるための、答えだったのではないでしょうか。すくなくとも孔子としては、樊遅は弟子ですから「君子」になるための方法を説いていると思います。
 人には役割分担があると、言いたいのではないでしょうか。
 また、そばで聞いていた弟子の誤解を避けるため、「君子」の本分を教え、同じように「何を学ぶ」必要があるのかを、説いているのだと思います。

 「人を見て法を説け」と言う言葉がありますが、説く相手が一人の場合は良いのですが、傍に人がいる場合は、その人と違った観点から説明をしないといけない場合もあります。

 では、何のために樊遅は、稼(穀物の育て方)を学ぼうとしたのでしょう。考え方は二つあると思います。『現代人の論語』に書かれてあるように鈍才であるが故の質問と考える。あるいは、『君子』と言えども、孔子に樊遅が質問したような質問を、民からされる事がある場合を想定して、本当に学びたかった。と考える事もできると思うのです。

 『現代人の論語』には、鈍才の理由に、顔淵篇12-22を挙げていますので、この顔淵12-22を調べて見ましょう。
 白文は『樊遅問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遅未達、子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直、樊遅退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、挙直錯諸枉、能使枉者直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆挙皐陶、不仁者遠矣、湯有天下、選於衆挙伊尹、不仁者遠矣』です。
 これを意訳してみましょう。
 『樊遅が孔子に、仁とは如何なるものかを尋ねました。孔子は、人を愛することです。樊遅は、つづいて、知について尋ねました。孔子は、人を知ることですと答えました。樊遅はまだ理解できない様子なので、孔子は「正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる」。樊遅は退いて、子夏に、さきほど先生に知について質問したが、「正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる」。と言われた。これは、どう言う意味ですか。と尋ねた。子夏は、これを聞いて、「とても含蓄のある言葉です。舜(君主)が天下を統治していた時の事、民の中から正直者の皐陶(こうよう)と言う人を選んだので、不仁者が寄り付かなかった。また、商(国)の湯(君主)が天下を統治した時、やはり民の中から徳のある伊尹(いいん)と言う人を選んだため、不仁者はいなくなった」。と説明した。

 さて、これで樊遅が、鈍才だとどうして言えるのでしょう。確かに知識は乏しいかも知れませんが、知識はその人の一つの能力に過ぎません。その一つの能力が人より劣っているからと言って、鈍才と言うのは、如何なものでしょう。現代でも価値が知識と財力に偏っていると思われます。まして、「君子」を説く、あるいは「徳」や「礼」を評価の対象にしている、孔子がこのような評価をするとすれば、孔子の人格を疑います。

 しかも、「正直者を取り立てて不正直者の上に置けば、不正直者をまっすぐにすることができる」の意味は、子夏の言うような歴史上の事実の羅列ではなく、正直者と不正直者を見分ける事ができる事が、「知」であると言っているように思えます。とすれば、子夏も樊遅同様に、孔子の言わんとした事を理解できたとは思えません。ただしこの『論語』を見る限りですが。

 「ものには仕方がある」ように「ものには見方」もあるのです。決して私が正しい読み方をしたとは言いませんが、こんな読み方もできるのではないかと、思ったのです。

 孔子ともあろう人が、と言っても、その片鱗も知る事は出来ませんが、少なくとも、人の師たる者が、自分の弟子を「小人」と言うとは、俄かには信じがたいものがあります。たとえ、そう感じても、同じ弟子にそんなことをいう筈は無いと、思います。少なくとも私なら。
 これにも、但し書きが必要でしょう。「小人」と言う意味が、「現代人の論語」に記されているように、(1)庶民 (2)無教養な人 (3)徳の道に外れた人とあります。孔子が「小人」と言った事が、これに当てはまるのなら、と言う意味で捉えた場合です。
 私がこの文章を読んで、孔子が「小人哉樊須也」と言ったのは、「小人」を学びに来ている分けではないだろう、と言う意味だと思います。

 親鸞聖人が書き残した『歎異抄』に、「たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」と言う言葉がある事を、[第十講 妖艶なる謁見]の最後に紹介しましたが、師弟や親子などの関係は、相互に信じあえるからこそ成り立つのだと思っています。

 如何に、3000人とも言われている弟子がいるとしても、自分自身の人格の問題にも関わります。ここで言われた「小人」と言う言葉には、折角孔子の弟子になり「君子」を目指しているのだから、目的を間違わないよう示唆したのではないでしょうか。

 だからと言って、孔子の言う『君子』であれば、国が平定し、下がこれに習う論法に納得しているものではありません。講が進む中で、持論を展開して行きたいと、思っています。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.