文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【104】

 今日の文字は『揶揄やゆ』です。からかう意味を文章にすると、こんな漢字を使います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 揶揄  
 

★文春オンライン
『14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?』
(プチ鹿島 2018/11/02 07:00)

 「シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリスト、安田純平さんが解放された。
 すると、またしても自己責任論が噴出した。おかえりなさい、安田さん。おかえりなさい、自己責任論。」

 小泉元首相や小池都知事の名前を挙げて、さも自己責任論が間違いであるような記事を見ました。

 また、昨日以下の記事には、次のような事も書かれています。

★ITmedia ビジネスオンライン(2018年11月01日 07時00分)
『シリアから解放の安田氏に問われる、ジャーナリストとしての“2つの姿勢” 』
【記事の中から抜粋】
 1994年にジャーナリズム界の最高賞である「ピュリツァー賞」を受賞した元新聞記者レノックス・サミュエルズ氏の弁。
『拘束された安田氏はジャーナリストとして「無謀」だったのではないかと指摘した。』

 私は、『自己責任論』に賛成の立場を取ります。だからと言って、その人をバッシングする事も日本人らしくないと思っています。

 日本人は、表現の自由、言論の自由が横行して、『武士の情け』という事も出来なくなったのでしょう。

 ただ、今日の毎日新聞では、
★『安田純平さん:外務省が聴取 解放の経緯「分からない」』
(毎日新聞2018/11/02 06:00 )
「身代金の支払いは望んでいなかった。解放された理由は分からない」と、本人が語ったという記事がありました。

 まず、危険な地域に、如何に使命感に燃えて行ったとしても、それは、個人的な感情ですから、覚悟をしないとなりません。ですから、『自己責任』は揺るぎません。
 だからと言って、国の立場は、この人を救うために最善の努力はするでしょう。
 そして、救われたら、最初にやらなければならない事は、謝罪と、感謝の意を表す事です。
 「身代金の支払いは望んでいなかった。」では、身も蓋もありません。
 身代金の問題とは別に人が動いているのですから、多額の税金が投入されたのです。
 国会議員は、無報酬で動いているのではありません。このジャーナリストと同じように生計を立てるために働いているのです。
 違うのは、ジャーナリストは、如何に使命感に燃えようとも、個人の考えに基づいた行動です。かたや、国会議員は、個人的な見解や使命感で動いているのではない事を留意するべきです。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百三段 〔原文〕

 大覺寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞをつくりて解かれけるところへ、醫師くすし忠守 參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな」となぞなぞにせられたりけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちて退まかり出にけり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『大覚寺殿で、主君に仕える人達があつまり、なぞなぞを作って解いているところへ、医者の忠守が来られた。

 侍従大納言公明卿が「我が国のものとも見えない忠守だ」となぞなぞを出題した。「唐瓶子」と解いて一緒になって笑ったら、怒って出て行ってしまった。』

 

 

『揶揄』

 この段は、少し説明がいるでしょう。この文章だけでは、なぜ、忠守と言うお医者さんが怒りだしたのか、解りません。

 この忠守と言うお医者さんは、どうも帰化されていたのか、それとも先祖が唐であったのか定かではありませんが、このダジャレで揶揄される原因は、あったのでしょう。

 ダジャレと言っても、結構複雑にひねっています。

 『我が国のものとも見えない忠守だ』では、見た感じ日本人とは思えない。と忠守の事を表現しています。

 当時は中国や韓国から日本に文化を伝えるために来て、帰化した人は沢山いたように思うのですが、帰化すると言う事は、好んで日本人になったと思いますから、その人に対して『我が国のものとも見えない』と本人の前で言えば、それは、怒るでしょうね。

 しかも、この忠守と言う人は、大覚寺統に仕え著しく出世した人です。

 ここで言う「なぞなぞ」と言うのは、この文章から察するに、「なになにとかけて何と解く」と言う「なぞかけ」の事だと思います。それにしても、解いてから、その心は、と聞いていないので、少し現在の謎かけでもなさそうです。謎解きと考えた方が良いかも分かりません。取りあえず、「なぞかけ」として、その心を考えて見ましょう。

 そのなぞかけに対して解いた言葉が『唐瓶子』です。この『唐瓶子』は、「からへいし」と読めますので、単に中国風の徳利と、解いたのです。

 なぜ、中国風の徳利が、笑いの種になったのでしょう。そして、なぜ、『我が国のものとも見えない忠守だ』の謎かけに対する答えになったのでしょう。

 『我が国のものとも見えない』は、唐、すなわち中国風で解決できます。では、忠守と瓶子の繋がりはどうでしょう。

 単純に瓶子は、徳利の事ですが、医者の忠守と言う人が徳利に見えたとは思えません。

 そこで、もうすこし、忠守の名前を解明してみましょう。『平家物語』に登場する、平清盛の父の名前が忠盛と言います。読み方は同じですが、この忠盛が斜視すがめだったことから、公卿たちに伊勢の特産品酢瓶すがめの瓶子」と囃し立てられたと言う事が書かれています。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
 
 これは、平忠盛の目の斜視すがめ酢瓶すがめをかけ、そして平氏と瓶子を掛けて、囃したことになります。

 では、ここで揶揄されたお医者さんの忠守は、なぜ『唐瓶子』なのでしょう。ここで、一ひねりしないと、この『唐瓶子』に結びつきません。

 平忠盛と、このお医者さんの名前、丹波忠守と言いますが、同じ読み方をします。「酢瓶すがめの瓶子」とからかわれた忠盛と同様に、「瓶子」と言ったのでしょう。

 ここで丹波忠守は、帰化人であった事から、『唐瓶子』と解いたと思います。

 これだけでは、笑いに結びつかないと思うのですが、人をからかう人は、笑いでその場を盛り上げたのかも知れません。

 居ても立っても居られない、お医者さんは、その場から立ち去ったと言う話だと解釈しました。

 しかし、なぜ、こんな人を揶揄して、からかうような事をする必要があったのでしょう。

 先述した通り、丹波忠守と言うお医者さんは、宮内省の長官にまでなった人ですから、この揶揄は、妬みや嫉妬の類の可能性があると思われます。出る杭は打たれるの類で、嫌味を言ったのかも知れません

 ちなみに、平忠盛も、『内昇殿は武士では摂関期の源頼光の例があるものの、この当時では破格の待遇だった。中御門宗忠は「この人の昇殿猶未曾有の事なり」(『中右記』3月22日条)と評した。』(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)とあるように、出世頭だった人で、その子供は平清盛ですから、武家社会の礎を築いた立役者として、テレビや映画でも出てきますから、歴史を知らない私でも、その名は聞き覚えのある人です。

 それにしても、今も昔も人の気持ちは変わらないものです。人の出世など気にかけずに自分を大切にした方が、よほど精神衛生上良いと思います。

【参照】
(出典:一分で読む現代語訳徒然草http://tsurezure.choice8989.info/main/tsurezure101.html)

(※瓶子は「へいし」と読むことから、「平氏」とのダジャレになっている。さらに忠守も「ただもり」と読むが、これもまた平清盛の父である平忠盛と同音であり、忠盛は斜視(すがめ)ゆえに「伊勢平氏(瓶子)はすがめ(酢甕・斜視)なりけり」と揶揄されたエピソードを元ネタとしている。)