「早起きは三文の徳」と言います。現在では労働基準法や就業規則で、取り決めがありますから、自分勝手に早く出社したり、遅くまで会社に居残る分けには行かない時代になっています。
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私が若い頃には、まだ「早起きは三文の徳」が一般的だったと思います。一番目の就職先が父が営んでいる時計屋だったので、朝8時に店を開け、夜10時に閉めるという毎日でした。休みは月1回と、正月の三が日。大晦日は商店街の人通りがなくなるまで。大体元旦の朝2時ごろでした。
父の反対を押し切って、朝8時から夜8時までに短縮した記憶があります。
今日のテーマは、「早起きは三文の徳」とは直接関係ありませんが、私が若かったころまでは、仕事を終日する事は美徳でした。
挨拶も「もうかりまっか」「ぼちぼですわ」、または、「ごせいがでまんな」と通る人がねぎらってくれました。
前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。
漢文では『群卿百寮 早朝晏退 公事靡盬 終日難盡 是以遅朝 不逮于急 早退必事不盡』です。また読み下して見ましょう。
『群卿百寮、朝は早く晏く退く。公事盬むこと靡く、終日にても盡き難し、是を以て、朝遅ければ急なるに逮ばず。早く退けば必ず事盡不。』
また、現代文にして見ますと、
『役人は、朝は早く来て夜は遅くに帰る。公事は休む事無く、終日働いても尽くしがたい。ゆえに、朝遅く来れば急な仕事に間に合わず、早く帰れば必ず仕事が残ってしまう。』
これは、役人が仕事をする上で必要な姿勢ですが、仕事は人の為にする事という事では、冒頭の挨拶と同等のような気がします。
今では、自分の生計を立てるために、あるいは贅沢をするため、またある人は好きだから仕事をするようになってきました。もちろん、今でも、世の為人の為を思って仕事をしている人もいると思います。
なぜ、この第八条を『礼節』と関係があると思ったのかと言いますと、この世の為人の為に仕事をすると言う事につながると思っています。
世の中の人が必要とするから、朝早くに出社し、滞りなく仕事をこなす。そして、今日の内に仕事を終わらしておかないと、その仕事を待っている人がいる。言葉を変えれば、需要と供給の関係ですが、そこには、人を思いやる気持ちが介在していると思います。これが『礼節』の基本ではないでしょうか。
世の為人の為と言う言葉が現代に則さないのでしょう。言葉が浮いています。それでも、こういうちょっと「気恥ずかしさ」を覚える言葉が言える時代の方が、良かったような気がします。やはり年寄りの戯言でしょうか。
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「情けは人の為ならず」と言う言葉を聞いたことがあると思います。『情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。 〔近年、誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある〕』(出典:大辞林 第三版 三省堂.)、学校教育では教えないのか、[補説]文化庁が発表した「国語に関する世論調査」では、本来の意味を理解している人と、間違って覚えている人の割合が、ほぼ半々になっています。
故事や諺には、思いもかけない効果があります。特に人生の岐路にある時や、思い悩んでいる時の光となる事もあると思います。なんでもかんでも市場に合わせて、言葉を増やしていくのもどうかと思います。
世の為人の為が、結局は自分の身に巡って来ると言う考えを、ギブアンドテイクのように考えてしまいがちですが、私は、人に対して優しい気持ちを持ち、思いやる事に、清々しさを感じるのです、それで、すでに自分の為になっていると思う方が、気分がすっきりすると思うのです。
懐古趣味と言われるかも知れませんが、人の商売や仕事に対して、ねぎらいの言葉が出た時代の方が、私利私欲の為だけではなく、世の為、人の為に、仕事が成り立っていたのだと思います。仕事と言うのは、社会の為と言う意識を社会が共有出来ている時代の方が、仕事に『せい』が出ますね。
私が考える、『礼節』の根幹です。