文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【153】

 今日の文字は『ろう』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百五十二段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

『やはり元貴乃花親方は、“同じ穴のムジナ”だったのか』
(ITmediaビジネスONLiNE 2018/12/21 08:15)

「—–前略—–
 いくら厳罰を科す形を整えたつもりでも、根本的な解決策にはおそらくつながるまい。新たな処分基準を定めた協会幹部も八角理事長以下、お馴染みの顔ぶれだ。「伏間殿」と揶揄(やゆ)される独特の世界を牛耳る面々が今回の貴ノ岩の不祥事を受けても何の責任も負わず、ノホホンと居座っている。
—–中略—–
 そう考えると、約1年前の暴力事件も、元日馬富士や白鵬、鶴竜らが、元貴ノ岩に普段の素行の悪さを注意したことが発端となったのかもしれない。どちらにしても暴力行為が問題であることに変わりはないが、少なくとも元日馬富士だけでなく元貴ノ岩にも力士としての品格が著しく欠如していたことは確かであろう。
—–中略—–
 つい最近まで善玉だったはずが、何かのきっかけで途端に悪役へと立場が急変する。本当に何を、そして誰を信用すればいいのか分からない。これは元貴乃花親方・花田光司氏に関しても、同じ構図が当てはまるような気がしている。
—–中略—–
 「せっかく教え子の貴景勝が優勝して一度は指導力に関する評価も上げていたはずだというのに、ここまで逆の目が出てしまうとは……。これでは貴景勝もかわいそう。まあ、彼(元貴乃花親方)が何でも愚直な性格なのは致し方ないところだ。しかしながら元貴ノ岩の不祥事への対応の仕方は、いくら自分が相撲界を離れたからと言ってもあまりに無責任過ぎる。というか冷酷で非情だよ。あれで彼の真意が見えたような気がしてならない。
—–中略—–
 だから、元貴ノ岩が被害者になった不祥事を格好のネタにして、今の理事長ら幹部たちを引きずり下ろす材料に仕立て上げようと、改革路線を満天下にアピールしながら世間を味方につけ“クーデター”を図った。つまり、自分がのし上がろうとすることしか考えていなかったのではないか。そう推察されても仕方がない」
—–中略—–
●“同じ穴のムジナ”だったのかも

 日本相撲協会内部にいまだ漂う旧態依然とした空気に、嫌気がさしていた面々は、当初「貴乃花こそ全てを変えてくれる男」と大きな期待をかけていた。ところがその流れも完全に消え、現在はかつてのヒーローについてこんな批評まで飛び交っているという。

 元貴乃花親方も結局は“同じ穴のムジナ”だったのかもしれない――。

 私利私欲にまみれず、相撲界の体質改善に本気で立ち上がろうとする人物は、この先も現れないのだろうか。

(臼北信行)」

  この記事、一見公平に書くつもりであった事は分かります。まず、相撲協会に対して「何の責任も負わず、ノホホンと居座っている。」と書いていますが、それ以上の事は書かれていません。

 そして、「元貴乃花親方も結局は“同じ穴のムジナ”だったのかもしれない」と結んでいます。

 個人的にですが、昨年の暴行事件直後から、マスコミの報道の仕方に疑問を持っていました。前にもこのブログで少し書きましたが。

 ここでも、「彼(元貴乃花親方)が何でも愚直な性格なのは致し方ないところだ。」と、揶揄かも知れませんが、擁護とも受け取れます。

 そんな事は、この事件の前から元貴乃花親方については分っていたはずです。

 私にとっては、いまさら、という感じが否めません。いつも言うようですが、もっとマスコミはバラエティであっても、ニュースを取り上げるなら、面白おかしくではなく、真相を報道してもらいたいと思います。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百五十二段 〔原文〕

 西大寺靜然じゃうねん上人、腰かゞまり眉白く、誠に徳たけたる有樣にて、内裏へ參られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊との氣色や」とて信仰の氣色ありければ、資朝卿すけともきょうこれを見て、「年のよりたるに候」と申されけり。

 後日に、尨犬むくいぬの淺ましく老いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「この氣色尊く見えて候」とて内府だいふへ參らせられたりけるとぞ。

 

 

『現代文』

『西大寺静然じゃうねん上人が、腰が曲がり眉は白く、誠に徳が高い様子で内裏だいりへ参られたのを、西園寺内大臣殿が「なんと尊い雰囲気だ」と尊敬する様子ようなので、資朝卿すけともきょうがこれを見て「年を取っただけです」と言われた。

 後日、見苦しく老いさらばえ、毛も禿げた尨犬むくいぬを連れて「この様子、尊く見えます」と内府だいふに献上されたと言う事である。』

 

 

『老』

 何とも嫌味な人ですね、資朝卿すけともきょうと言う人は。

 ただ、言っている事は、的を得ていると思います。しかし、言うだけに止めて置けば、賢い人に見えますが、犬を持ち出して念を押すと、折角の良い言葉も帳消しになってしまいます。

 まるで、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の手本みたいですね。

 尨犬むくいぬのくだりはさておいて、資朝卿すけともきょうが言いたかったことは、見た目で判断してはいけない、と言う事だと思います。

 確かに、個人的に、生き方としては、沢庵和尚種田山頭火は好きですが、風体はもう少し綺麗で居たいと思っています。

 これは、人からどう思われるかではなく、個人的な趣向だと思います。

 綺麗に歳を取りたいと思っています。ここで言われているような『誠に徳たけたる有樣』に見えなくても良いのですが、傍によるのも嫌がられる様にはなりたくありません。

 特に私は匂いには敏感ですから、臭くはなりたくありません。別に人に合う事もないのですが、口や足、体臭にはそれなりに気を付けています。自分が我慢できないですから。

 先日テレビで、口臭を無くす方法が紹介されていました。これを実践しています。簡単な方法ですが、効果はあるような気がしています。

 寝る前に、歯磨きしてから、オリーブオイル大さじ1杯を口に含みそのまま1分間うがいをします。それだけです。

 自分では気が付きにくい臭い、営業をしている頃は、人の家に上がる事が分かっている場合は、近くの駅で、新しい靴下に履き替えていました。

 特に口臭など、煙草を吸う人は注意した方が良いですよ。私の知っている人は、1m 位の距離で息が出来なくなるほど臭い人がいました。本人は気付かないのでしょうか。これは、問題です。それも一人ではありません。

 話が横道にそれてしまいました。

 ここで言われているのは、如何にも偉い人に見えるような、経験のありそうな、そして偉いような人に見えても、見た目で判断してはいけないと言う事だと思います。

 最近は、亀の甲より年の劫と言われるような老人になる事も難しい時代です。簡単に知りたい事はネットで探せます。

 であれば、年の功に当てはまるのは知識ではなく、色々な経験から得た判断力や、人間性によって、若い人からも一目置かれるような老人になりたいですね。一目置かれても仕方ないのですが、邪険にされるよりは・・・、と思うだけです。