中学校の三年間で習う、1110文字の内の5つの漢字を書いています。漢字は2020年度施行の学習指導要領に対応しています。
表示は左端が対象漢字、続いてカタカナは音読み、平仮名は訓読み、画数、部首の順です。そして、ことわざ・故事・文章などから一つを選んでその漢字の使われ方を示す事にしました。
ちなみに、文部科学省では学年ごとに習う漢字は、1学年250字程度から300字程度、2学年300字程度から350字程度、3学年では、その他の常用漢字(小学校で習う漢字1026文字以外の常用漢字1110文字の大体)と学年ごとに決まっていないようです。
891. [賦][フ][画数:15画][部首:貝]
『運否天賦』
賭け事なんかの時に、使うセリフで聞いたことがあります。
運が良くても悪くても、人間の預かり知らない事だという事だと思います。
運命論者ではありませんが、人生を長くやっていますと、時々、人の力ではどうにも出来ない事に、気が付かされます。そんな時、やはり運命を考えてしまうのも、やむを得ないのではないでしょうか。
力の限りを尽くして、後は天に任せてしまう。「人事を尽くして天命を待つ」と言うのも、ただ諦めるのではなく、明らかにする意味があると思います。
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892. [譜][フ][画数:19画][部首:言]
『北越雪譜』
この北越雪譜と言うのは、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍である事は知っている人もいると思ういます。
私が興味を持ったのは、越後縮の仲買商や質屋を営んでいた鈴木牧之と言う人です。江戸時代と言うのは士農工商と言った身分制度があったにも関わらず、後期はその身分も財力でかなり変わったように聞きます。
でなければ、身分制度の末端にあった商人が、このような文化的な物を遺せるはずはありません。しかも、この人は随筆家でもあったようです。
身分制度を越えて、才能が芽生えた時代なのかも知れません。単に私の想像に過ぎませんが。
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893. [侮][ブ][あなど-る][画数:8画][部首:人]
『大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず』
これは、武道を志す者には、必須の条件だと思います。
松下村塾で数々の才能を開花させて有名な、吉田松陰の言葉にも「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」と言うのがあります。
また、我流儀の創始である富名腰義翁の著作「空手道教範」の総論の「真の空手」の中に、「一旦事ある場合、自ら正しいと信じたら千万人の反対を押し切り、如何なる困難でも辞せぬと云う意気がなければいけない。」と書かれています。
私は、少しこの二つの言葉にも異論はあります。それは「自ら顧みて」と「自ら正しいと信じたら」と言う言葉には、即同意は出来ません。
しかし、一旦覚悟を決めた以上は、例えそれが他の意見と相違があったとしても、受けて立つ気持ちは、常に持っています。
もちろん、覚悟をするからには、自分だけの考えに固執するのではなく、正しいと思える根拠を探求し、なお且つ正しいと思えれる場合に限ります。
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894. [舞][ブ][ま-う][まい][画数:15画][部首:舛]
『我が好きを人に振る舞う』
よく、自分がされて嫌なことはしない、と言われます。これも一概に正解と言えない場合もあります。
理由は自分は平気でも、人は嫌な場合もあるのが、人間だと思います。
特にこの言葉のように、自分の好きな事は、人も好きだと考えるのは、傲慢だと思います。
難しいのですよ、人は。生きて来た環境も、経歴も、能力も、そして好き嫌いも、十人十色です。頭ごなしに人の趣向を決めつけてはいけないと思います。
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895. [封][フウ][ホウ][画数:9画][部首:寸]
『故歩自封』
よく、そんな事例は無い、とか、先例は無かったなどと言われますが、そんな先例も一番最初には、初めての事だったと思います。
この四字熟語のように、現在の状態を甘んじて変えようとしなければ、何の進歩もありません。
時には、冒険をして来た歴史から学んだ方が、良い時もあったのではないでしょうか。
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