文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【72】

 今日の文字は『記憶きおく』を行書で書きました。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第七十一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 記憶

 
★ 台風は本州を抜けた模様ですが、昼頃には北海道の東にいる模様です。

 大阪は、前回暴風雨を体験して、待機していましたが、私の所は思いのほか通常と変わりがありませんでした。

 それでも、各地で爪痕を遺しているようで、災害に遭われた方のお見舞いを申し上げます。

★ 昨日、沖縄では、基地問題を抱えて開票がおこなわれ、前知事の意思を継いだ玉城デニー氏が当選されました。圧勝と伝えられていますが、39万票と31万票ですから、圧勝とも思われず、県民の思いはやはり基地問題は、すっきりと結果が出せないように思いました。難しい問題だと思います。

 しかし、この問題は、どこかで決着がつかないと、国が決め、裁判で決着した事が覆されるような事では、今はやりの言葉ですが、国のガバナンスが問われると思います。どうするのでしょうか。

★相撲協会の問題も、まだくすぶっている感じがしますが、なんだか、マスコミとコメンテーターと言う人達が、ニュースになるので煽っているだけのように聞こえます。

 この問題は、当の本人(貴乃花氏と協会の双方)が、もう少し自分の考えを表明し、事実を明らかにしないと、いつまでも分からないまま、勝手な憶測を呼んでしまうと、思います。

 別に表立ってやる必要もありませんが、話し合いがあって、初めて問題が明らかになるような気がします。

 組織ですから、協会の呼び出しに応じない場合は、本人が引退(退職)届を提出しているのであれば、それで決着がついているはずです。周りが煽る事はもうやめた方が良いでしょう。引退(退職)したのであれば、私人ですから、その意思を尊重するのが、民主主義だと思います。

 本人が事情を言わない事も、私人であれば許される事なので、そっとしておくのが筋ではないかと思います。

 マスコミやコメンテーターが憶測を重ねても、解決するものではありません。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第七十一段 〔原文〕

 名を聞くより、やがて面影はおしはからるゝ心地するを、見る時は、又かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、この頃の人の家のそこ程にてぞありけむと覺え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覺ゆるにや。

 またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『名前を聞くと、直ちに雰囲気を想像する事が出来るのに、会うと想像していた顔をした人はいない。

 昔の話を聞いても、今の時代にある、この家のあたりであった事だと思ったり、昔話に登場する人物も今の時代の人に見立てて考えるのは、誰もがすることなのだろうか。
 またどんな時にも、今人が言う事も、見る物も、思い出せないが、前にあった事のように思うのは私だけなのだろうか。 』

 

 

『記憶』

 名前を聞いて、その人を想像するという事は、私にはありません。兼好法師だけが持つ能力かも知れませんが、現在でもそういう想像を働かせる人がいるかも知れません。

 兼好法師の時代では、名前に何らかの本人を想像させるものがあったのかも知れません。

 今とは違って、姓(本姓)と名字(苗字)が分かれていて、そのうえ地域の名前を家名としていたりすると、名前から一族を想像させるに十分な情報を得られたのかも知れません。

 昔の話を聞いて、現在と比較するとか、現在ではこういう事かと推測する事は、あると思います。

 まさに、兼好法師の書いた、この徒然草の一つづつの段を読むとき、想像できるのは、自分の記憶にある風景であるとか、写真で見たとか、知識の中から似たような物を選んで、考えるでしょう。

 ただ、比較はしても、置き換える事はしないと思います。それは、昔の人と環境も違えば、思想も違うと思うからです。

 近い過去であれば、この辺りであったのだろうと想像を逞しくする事もあると思いますが、その出来事、あるいは物語が、遠い過去の事であれば、想像できないからです。私が想像力に欠けているのかも知れませんが。

 例えば関ケ原に行って、この辺で武士たちが戦ったのだと、想像する事が出来ても、それは、映画などの映像を思い出すだけであり、実際の模様を想像できるだけの知識はありません。

 現在の時代の流れは、思いのほか早く、建物も自分の記憶にあった物が、僅かに残っているだけで、確かこんなだったと、懐かしく思うに留まります。

 自分が育ったこの町でさえ、昔の面影は随分無くなってしまいました。それは、大阪と言う都会だからかも知れません。

 高校生のころまでは、そんなに速く、時は、流れていなかったように思いますが、東京オリンピック(1964年)の前後から急に世の中の変化が速くなったように感じます。

 また、コンピュータが世の中を席巻するようになってから、ますます急加速しているように感じるのは、私だけなのでしょうか。

 町を歩いていても、確かここに、こんな建物があったな、と思う事もしばしばあります。

 人物にしても、平安時代、鎌倉時代と時代が進むにつれて、服装も髪型も随分変わっています。

 一番近い昭和の時代でさえ、出来事も風習も比べて置き換えるには、余りにも変わり過ぎたように思います。

 兼好法師であれば、理解出来ると思いますが、諸行無常の速さが、そして時の流れが、小川のせせらぎから、濁流となって流れているのが現在だと思っています。

 最後の一節「またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のする」は、現在ではデジャヴと言われていますが、日本語では既視感と言われて、現在でも推論の域をでない状態で、これから解明されていく、脳の働きだと思います。

 このデジャヴは、誰でも体験していると思いますが、確かめた事はありません。私も、何度か体験した事があります。

 兼好法師が言う、名前を聞いてその名前から実態を想像する事も、昔話を現在ある物に置き換える事も、そして、デジャヴも、すべて人間の脳の働きです。

 まだまだ、脳はこれからの科学の進歩により解明されていく事でしょう。私たちが、自信を持って実体験と思っている事も、記憶の悪戯いたずらかも知れません。

 歴史がその時の覇者、権力者により、事実とは違った形で残されて行くことは、少し歴史を垣間見ると解ってきます。

 最近は、私達が学んだ歴史も、どんどんくつがえされ、何が本当なのかも分からなくなり、拠り所が持てません。

 私達の記憶も、自分の都合の良いように、書き換えている可能性があります。もちろん性格によると思いますが、都合の悪いように書き換える事もあるでしょう。

 要するに、記憶は、正しい事と、間違っている事が混在していると言う事を認識するべきでしょう。

 自分の記憶さえ正しくないのに、自分の言う事は正しいと、どうして言えるのでしょう。そして、その間違いかも知れない記憶や知識に頼って、導き出した意見が、どうして正しいと断言できるのでしょう。

 人間だれしも謙虚でいる事は、 決してへりくだっているのではなく、人間とはそんな脳を使って、思考する物である事を知っている事も、人間が生きる上の大切な条件なのかも知れません。