『礼と節』を徹底解剖 Part-3

 『礼と節』と言葉を知っているだけで、その内容を説明できる人がどんどんと減ってきているように思います。

 暴力を無くす事はとても良い事です。
 
 まだ、100年も経っていない時代に、「まあ待て、話せば分かる」「問答無用」と言って当時の内閣総理大臣犬養毅を、武装した海軍の青年将校たちが襲い、殺害した5.15事件が想起されます。

 この時の犬飼毅氏の言葉についてではなく、この「話せば分かる」事が問題であって、最近では、テレビ番組でも、まともに「話す事ができない」人達がいます。言葉を生業にしている人達こそ、言葉も暴力と同じくらい相手を傷つけてしまうという事を、よく知った上で言葉を発しなければなりません。「話せば」こそ、礼儀が必要ではないかと思うのです。

 今回も、聖徳太子の『十七条憲法』の内、『礼節』に深くかかわり合いのある条を取り出して、考えて見る事にしましょう。

 前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。

『十七条憲法 原文』

第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
第二条 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
第三 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
第四条 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
第五条 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
第六条 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
第七条 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
第八条 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
第九条 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十条 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
第十一条 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
第十三条 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
第十四条 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
第十五条 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
第十六条 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
第十七条 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
[出典]金治勇(1986)『聖徳太子のこころ』大蔵出版.

 前回、かなり強引に要約したものが下記に示してあります。

1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。

 上記の十七条の内、『礼節』に関係するものと考えた条を、濃い文字にしました。そして、一つづつの条が下の図の、節度の壁を超えると、礼節を欠いた言動と言う事になります。(この図は日本空手道髓心会ホームページの『礼と節』の項目内で自作したものです)

 さて、濃い色の文字に変えた各条を、考えて見ましょう。

 第一条は、1.和を以て貴しとなす。ですから、仲良くしなさい、という事です。では、どうすれば仲良くなれるかが、次の文章に書かれてあります。『無忤為宗』とありますから、そのまま読むと『忤(さから)うこと無(なき)を宗(むね)と為(な)す』と読めます。次の『人皆有黨』から後の部分を一緒に見て見ましょう。『亦少達者 是以或不順君父 乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成』、この漢文を読みますと、次のようになります。
 『人皆党有り、亦達者少なし。是を以て、或いは君父に順わず、にわかに隣里と違う。然れども、上和ぎ下睦びて、論う事が諧うに於いて、則ち事理自ずから通ず。何事か成らざらん。』

 これを、もう少し現代風にしますと、
 『人に逆らわないようにして、人と仲良くしなさい。人には考えの合う人、合わない人がいて仲間をつくる。しかしその仲間の中に、その道に熟達している人は少ない。だから、上の者や父に従わず、すぐに隣の村の者と争う。しかし、上の者が和らぎ、下の者がむつまじくすると、議論する事ができ、直ぐに物事が解決する。』

 こんな風に読み解く事ができると思います。

 まったく、今と変わらないのではないのでしょうか。特に現代は、自分が賢い、その道に通じていると思っている人の如何に多い事でしょう。
 近頃のテレビ番組に出演している、知識人や有識者と言われている人を見ていますと、そんな気持ちを持ってしまいます。
 この第一条を読んでみますと、そんな事だから物事の解決を見ないのですよと、言われている気がします。

 このブログを読んでいる人や、髓心会のホームページを見ている人は、船越義珍師の『謹慎謙譲空手道最大の美徳』という言葉を思い出すと思います。

 昔から、声の大きい人の意見が通る事が多いと言われています。物理的な声の大きさではなく、威圧的とか高圧的であるとか、人の意見に耳をかさずに、自分の意見をあくまでも主張する人の事を言います。

 『礼』とは、人の意見を聞き、自らの至らない事を知り、人となごやかに接する事を表しているのではないかと、思います。

 それにしても、1500年も前に「上の者が和らぎ、下の者がむつまじくすると、議論する事ができる」と書いている事に、驚きを感じます。「仲良くなれる」ではなく、「議論する事ができる」という発想が生まれる土壌があったのでしょうか、それとも聖徳太子の理想だったのでしょうか。
 この十七条憲法が掲げられて、1500年もの月日が流れ、人間は少しは進歩したのでしょうか。世界中が、進むべき道の岐路に立たされているのではないかと思います。