今国際社会においても、考え方の違いが浮き彫りにされています。国内でも対立する事が多すぎて、疑問符が頭の上を行き交っています。
考え方ひとつで解決できる問題が山積されています。例えばエネルギーの問題では、小泉元首相の提案を全面的に応援します。もちろん、応援といっても金なし権力なし何にも出来ませんが、気持ちだけは、同意します。
その理由は、人間がまだ処理も出来ないものをまき散らして、後世に残してはいけないと考えるからです。今の人達が分からなくても、未来に解決できる事は、沢山あると思います。しかし、人間が消滅するか地球が消滅するか、放射能の毒性が消滅するか、そんな事を未来に託してどうするんですか。
ちょっとした考えたかの違いだと思います。今の生活を維持するためと言いますが、誰の生活を維持するためですか。私にはどうも納得できません。
他の国の考え方を変えさせようと思っても、一筋縄ではいきません。国と国とが合意しても、破棄されようとしているのですから。
自分の国の上をミサイルが通り過ぎても、あるいは領海侵犯があっても、いつもいつも、強く抗議する事ができるだけです。
その理由はいたって簡単、考え方が違い、話にならないからです。
下世話な話になりますが、相撲の世界の問題でも、考え方の違いで、大騒動です。本当に困ったものです。下世話と言いましたが、この考え方が、国を作っている事に目を向けないといけないのではないでしょうか。
『礼と節』を解剖し、人間の本質に迫ろうと、1500年も前に書かれた十七条憲法を解明しています。この訓戒を政治家だけではなく、マスコミも国民も、耳を傾ける事から、国造りをやり直したらどうでしょうか。
前回同様原文は、下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。
まず漢文を見て見ましょう。『絶忿棄瞋 不怒人違 人皆有心 心各有執 彼是則我非 我是則彼非 我必非聖 彼必非愚 共是凡夫耳 是非之理能可定 相共賢愚 如鐶无端 是以彼人雖瞋 還恐我失 我獨雖得 従衆同擧』
それでは、読み下す事にします。
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『忿を絶ち瞋を棄つ 人の違うを怒不 人に皆心有り 心は各執す有り 彼は是則我に非ず 我は是則彼に非ず 我は必しも聖に非ず 彼は必しも愚に非ず 共に是凡夫耳 是理之非ず可能定むべき 相共に賢く愚り 鐶の端无如し 是を以て彼人瞋と雖も 還て我失を恐れよ 我獨得雖ども 衆に従いて同擧いよ』
現代の言葉に置き換える前に、まず難しい漢字を分かりやすくしておきましょう。
「忿」を怒りに、「瞋」を同じく怒り(但しこの場合は自分に逆らう事を怒る)、「執」を執着、「聖」を賢い、「耳」をのみ(だけ)、「鐶」を輪、「雖」をいえ、に変えて読んで見ましょう。
『怒りを絶ち、怒りを捨て、人が同意しない事に腹を立てない。人には皆それぞれに考えがある。自分が思う事に執着する気持ちがあります。彼は自分ではなく、また、私は彼でもありません。私が必ずしも賢いとは限らず、彼も必ずしも愚か者ではありません。共に凡夫なだけです。これが道理である事が分からなければ何も決める事ができない、彼も我も賢くそして愚を備えている、輪の端のようなものである。この事をよく理解して、人が逆らったとしても、まず自分を顧みて非が無いか確かめなさい。自分が適任と思っても、皆の意見に従って皆が選んだ人を推挙しなさい。』
何度も書きますが、1500年も前に書かれた訓戒です。凄いと思う反面、何と人間は成長せずに1500年もの時を過ごしてきたのかと、呆れてしまいます。
私も20代では、「話は最後まで聞いてやれ」と言われる程、人の話を聞いていませんでした。私にとっては、本当に人の話を聞く事は難しい事です。
古希を過ぎても、まだまだ、人の話を聞けるようになっていません。小賢しい限りです。
人の話に耳を傾けない事は、やはり『礼儀に欠ける』ことになります。下の図では、無礼にあたるでしょう。気を付けなければいけません。
また、人の話を遮ったり、皆が話をしている内容を変えたり、自分の言いたい事だけを言うと言うのも、無礼者です。自分で無礼である事を知る事から始めなければ、身に付ける事はできません。あなたには、そんな所がありませんか。私は大いに反省しています。
出来れば、見た目の礼儀正しさよりも、心の礼儀正しさを身に付けたいと思っています。