お習字から書道へ Section 22

 今回は、「部分」と東京書道教育会では呼称していますが、一般に「へん」「つくり」「かんむり」などと言われています、辞書で引く場合は漢字の部首の事ですが、その部首にある文字を選んで、書写をしてみようと思います。
 
 前に紹介しました「にょう」もその一つです。
 東京書道教育会の初級編に載っている部分を紹介しながら、勝手に文字を選んで書いていきます。

 手始めに、「なべぶた(けいさん)」のある文字の中から、「京」を選びました。この「京」と言う文字には「書写体」があり「亰」と言う文字になっています。
 何しろ勉強不足ですから、「亰」と言う文字は見た事もありません。
 この文字を書いて見て、気付いたことは、「なべぶた」の下にある口との距離が意外と短いということです。楷書は右上がりが原則なので、右上がりに書きましたが、「なべぶた」の横画と口の縦画のバランスを取る事と、一番下の小と言う文字のバランスを取る事に心がけています。
 もう少し最後の点の位置を外にした方が、縦画との間に空間ができたと思います。

 次は、干支の「亥」と、教育の「育」です。
 「育」は意外とバランスよく書けたとおもいますが、「亥」は左払いの三本の線を同じ角度で書きながら、少し収筆に変化を持たせようと思いましたが、最後の点がやや太かったように思います。

 この四つの文字は、『常用漢字など二千五百字、楷行草総覧』を手本にして書きました。

 蘊蓄【部首】  

  象形しょうけい指事しじ会意かいい形声けいせいと言うと、漢字の成り立ちの種類です。象形文字は聞き覚えがあると思います。
 この中で、実に80%とも90%とも言われているのが、形声けいせい文字と言われています。この形声文字は、「形符」と「声符」からなっていますが、日本の辞典の多くは、これを「意符」と「音符」と言っています。

 部首を調べる時にこの「意符」と「音符」が役立ちます。例えば、「清」と言う文字で見ますと、音読み(音符)で「せい」、この時に、「青」は、「せい」と読めますので、よめない部分が、部首になります。したがって、「清」の場合の部首は、意符の「さんずい」になります。
 もう一つ例をあげます。「朝」は、音読みでは「ちょう」、どの部分も「ちょう」とは読めません。したがって、意符である「月」「つき・つきへん」が部首になります。
 また、「問」については、音読みで「もん」と読みます。音読みで「門」がありますが、意符は「口」になりますので、部首は「口」です。

 したがって、漢字を音読みで読んで、音読みで読めない部分が、意符にあれば、それが部首になると言うことです。

 おまけに、もう一つ「都」を音読みで読むと、「と・つ」ですが、「と・つ」と読める部分がありませんので、「おおざと」が部首になります。「おおざと」に意味があるか迷いますが、場所を意味する「邑」からできた文字だということです。

 紛らわしいですが、「者」は、「しゃ」と音読みできますが、「者」は、会意文字なので、この部首探しでは部首を決める事はできません。漢字の10%から20%の文字がありますので、部首探しを極めるのも容易ではありません。

 

 一口メモ 

 書写体と言う言葉がでてきましたが、書写体について、辞書には異体字とありますが、あまりスッキリしません。
 なぜかと言いますと、異体字には、書写体も含まれますが、康熙字典体や略字体も含まれています。

 そこで、歴史的に文字の変遷を見る事にします。
 漢字が中国から入って来たことは誰もが知っていると思いますが、日本で出来た漢字もあります。漢字というのはちょっと意味合いが違いますが、これを国字と言っています。「匂」「働」「塀」「峠」「込」「」「栃」「畑」「腺」などがありますが、他にもあり、辞書によっても扱いが違うようです。

 「書写体と言うのは、楷書の中での字体をいいます。」(出典:『硬筆毛筆書写検定 理論問題のすべて』)と書かれてあります。

 書写体と言うのは、漢字が日本に伝わる以前から中国で書かれていた漢字の書き方、と理解すると解りやすいかも知れません。ただし、「康熙字典体」を除いてと言う方が正しいのかも知れません。

 楷書の書き方は、本来この書写体で統一されていれば、私などは混乱しないのですが、新字体や旧字体などの言葉が出来て、楷書の中に色々な字体がある事で、私の場合は混乱しています。

 特に現在は文部省から許容の形が示されてからますます、一つの漢字にも拘わらず、いろいろな書き方が出来てしまいました。ですから、一つの漢字をとってみても正しいと言える事がなくなってしまったようです。

 毛筆を持って書く機会も少なくなってきましたので、仕方がないのかも知れませんし、行書や草書といった古典から引き継がれたものを書ける人も少なく、行書や草書とも言えない、くずし字と言われる楷書を我流で崩した文字では、読む人も困ると思いますので、活字を主体とする意味も分かります。活字文化にとっては、一応の目的は達したのではないかと思います。

 しかし、書道をする人にとっては、これほどやっかいなものは無いと思います。私だけでしょうか。特に「康熙字典体」なども含めると整理がつかなくなります。

 たとえば、「新」と言う文字を書く時、東京書道教育会の課題で、「日新」という文字を楷書で書くものがありました。
 私が困惑したのは、五画目の横画です。課題の手本では、五画目が左の部分では一番長く書くようになっています。通常私は、六角目を一番長く書いていましたから、違和感を感じましたが、長い年月使われてきた手本ですから間違う分けはないと、思いながらも釈然としない状態で一年余りが過ぎました。

 今回ブログに「お習字から書道へ」と題して書き始めてから、もう一度通信教育の復習をしていて、書写体を調べていましたら、なんと、書写体とは書いていませんが、「新」の字は、五画目が長くても、六角目が長くても、「楷書ではこの形がよい」との記述を『楷行草筆順・字体字典』(江守賢治著)で見つけました。

 現在でも字体に対しては確定している様子はなく、一つの考え方に終わっているようです。 

 

【参考文献】
・青山杉雨・村上三島(1976-1978)『入門毎日書道講座1』毎日書道講座刊行委員会.
・高塚竹堂(1967-1982)『書道三体字典』株式会社野ばら社.
・関根薫園(1998)『はじめての書道楷書』株式会社岩崎芸術社.
・江守賢治(1995-2016)『硬筆毛筆書写検定 理論問題のすべて』株師会社日本習字普及協会.
江守賢治(1981-1990)『常用漢字など二千五百字、楷行草総覧』日本放送出版協会.
・江守賢治(2000)『楷行草筆順・字体字典』株式会社三省堂.