文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【146】

 今日の文字は『そう』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百四十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

『おうし座:12月10日~12月16日の運勢 – MSN占い』
(占い@nifty 2018/12/14 07:54)

「前半は好調。頭が冴え渡り、サクサクと物事を進めることができるでしょう。特に、思い浮かんだアイデアをきちんと形にまとめると、今後の評価につながるはず。また、積極的に人にかかわっていくことで、また一歩夢に近づくことができそう。後半は運気下降。良い意味でも悪い意味でも、あなたの言動が目立ってしまう時期です。気を遣ってもあまり効果はないので、できる限りのことをすることにしましょう。ただ、身に覚えのない誤解は、早めに解いておくことが肝心です。」

 ちなみに、これは私がおうし座なので、おうし座の人にあてはまるかも?

 「日々是好日」読み方は色々、「にちにちこれこうじつ」、「にちにちこれこうにち」あるいは、「ひびこれこうじつ」何でも良いのですが、もともとは禅語の一つ。

 占いも、ひとつのアドバイスとして、読むのも、行き詰っている時には良いかも。

 私? さて、どうでしょう・・・。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百四十五段 〔原文〕

 御隨身 秦重躬はだのしげみ、北面の下野入道信願しもつけのにゅうどうしんがんを、「落馬の相ある人なり。よくよく愼み給へ」といひけるを、いと真しからず思ひけるに、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言、神の如しと人思へり。

 さて、「いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「極めて桃尻にて、沛艾はいがいの馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞいひける。

 

 

『現代文』

『上皇の身の回りの世話をする係の 秦重躬はだのしげみが、北面の武士下野入道信願しもつけのにゅうどうしんがんに、「あなたは落馬する相がある人です。よくよく用心なさい」と言ったのを、まったく信じなかったが、信願は落馬して死んだ。その道に精通にした人の一言は、神のようだと人々は思った。

さて、「どんな相だったのですか」と人が尋ねると、「大変桃尻で、また気性が荒く、飛び上がる馬を好んだので、この落馬の相をあてはめたのです。私が間違いを言った事がありましたか」と言った。』

 

 

『相』

 「相」と言うよりも、観察眼が鋭かったのだと思えます。「桃尻」が何だかなまめかしい感じがしますが、この場合は、「馬に乗るのが下手で、鞍に尻が落ち着かないこと。」(出典 :学研全訳古語辞典 学研.)と言う事だそうです。

 であれば、下野入道信願しもつけのにゅうどうしんがんは、乗馬が下手な上に、暴れ馬が好きだったので、当然何時かは落馬すると思ったのでしょう。

 「道に長じぬる一言、神の如しと人思へり。」神憑かみがかり的なと書いてありますが、専門家の観察眼も必要ないかも知れません。

 普通馬に乗る人であれば、解る事だと思います。誰も注意しなかったのでしょうか。それとも下野入道信願しもつけのにゅうどうしんがんは、人の意見も聞かず、自分を観る目がなく頑固だったのかも知れません。

 また、 秦重躬はだのしげみが、幾ら自分の予想があたったと言っても、人の死に関する事で、自慢げに話をする必要もないと思いました。

 観察眼と言えば、メンタリストのDaigoさんを今テレビでよく見かけます。兄弟そろって頭の良い人です。

 このDaigoさんも、観察すると言う事にかけては、超一流だと思います。「目は口程に物を言う」と昔から言い伝えられていますが、その他にも人の仕草や顔の表情、あるいは、わずかな口角の上がり方や、まゆげ、鼻孔なども観察の対象となるようです。

 空手の場合は、概ね相手の身体全体の動きを観察して、次の動作を知るのですが、これは、もう予測を越えて現実の動きの前触れと言った方が、的を得ていると思います。

 Daigoさんや空手の熟練者の観察眼以外にも、あらゆる分野で専門家と呼ばれる人は、常人では気付かない、僅かな動作の違いを知って、その専門に生かしています。Daigoさんのように科学的な検証が出来ていなくても、その道に造詣が深い人は、自然と身に付いているものと思います。

 昨年から1年半ほど書道をやりましたが、これも、観察眼で違いを見つける事が一番の要素だと思いました。違いが分かるから、稽古を積めばその違った部分に近づけると思います。

 私には、人相、手相の類は分かりませんが、少なくとも、何かを成そうとする人には、この観察眼が有効な手段となるでしょう。