「五輪書」から学ぶ Part-50
【火之巻】枕をおさゆると云事

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   【五輪書から】何を学ぶか?  

 出会い頭とか、出鼻を挫くと言われる事があります。今日のテーマは、正に出ようとする時が、一番肝心であると書かれてあります。

 事が起こってから、慌てても、取り返しがつかない事が多いものです。
例を挙げれば、火事の場合でも、初期消火が可能と言われるのは、発火から2分前後、炎が天井に届く状態では普通の消化器では手に負えません。如何にして、発火させないかが重要です。 

 未然に防ぐ事によって、防げる災害は、まだまだ沢山あると感じています。
 普通に生活をしていると、人間と言うのは、かなりいい加減な動物です。それが、また良い所でもありますが、身に懸かる危険はあらかじめ察知したいものです。

【火之巻】の構成

4. 枕をおさゆると云事
5. 渡を越すと云事
6. 景氣を知ると云事
7. けんをふむと云事
8. くづれを知ると云事
9. 敵になると云事
10. 四手をはなすと云事
11. かげをうごかすと云事
12. 影を抑ゆると云事
13. うつらかすと云事
14. むかづかすると云事
15. おびやかすと云事
16. まぶるゝと云事
17. かどにさはると云事
18. うろめかすと云事
19. 三つの聲と云事
20. まぎると云事
21. ひしぐと云事
22. 山海の變りと云事
23. 底をぬくと云事
24. あらたになると云事
25. 鼠頭午首と云事
26. 将卒をしると云事
27. 束をはなすと云事
28. いはをの身と云事
29. 火之巻 後書
 
『原文』
4. 枕をおさゆると云事 (原文は、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlを引用しました)
枕をおさゆるとハ、かしらをあげさせずと云所也。兵法勝負の道にかぎつて、人に我身をまはされて、あとにつく事、悪し。いかにもして、敵を自由にまはしたき事也。然によつて、敵も左様に思ひ、われも其心あれども、人のする事をうけがはずしてハ、叶がたし。兵法に、人のうつ所をとめ、つく所をおさへ、くむ所をもぎはなしなどする事也。枕を押ると云ハ、我実の道を得て、敵にかゝりあふ時、敵何事にても思ふ氣ざしを、敵のせぬうちに見しりて、敵の打と云、うの字のかしらをおさへて、跡をさせざる心、是枕をおさゆる心也。たとヘバ、敵の懸ると云、かの字(のかしら*)をおさへ、飛と云、との字のかしらをおさへ、きると云、きの字のかしらをおさゆる事、ミなもつておなじ心也。(1)敵我にわざをなす事につけて、役にたゝざる事をば敵に任せ、役に立ほどの事をバ、おさへて、敵にさせぬやうにする所、兵法の専也。これも、敵のする事をおさへん/\とする心、後手也。先、我は何事にても、道にまかせてわざをなすうちに、敵もわざをせんと思ふかしらをおさへて、何事も役にたゝせず、敵をこなす所、是、兵法の達者、鍛錬の故也。枕をおさゆる事、能々吟味有べき也。(2) 
【リンク】(1)(2)は【註解】として、播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」にリンクされています。

 『現代文として要約』

 4. 枕をおさゆると云事

 枕を押さえると言うのは、敵に行動を起こさせないという事である。兵法の勝負では、人のペースでは、後塵を拝する事になるので良くない。
 どうにかして、自分のペースで戦いたい。然るに、敵も同じように思っているので、敵のする事を無視する事はできない。
 兵法では、相手が突く所を止め、押さえ、組み付こうとするのを剥がしなどする事である。
 枕を押さえると言うのは、二天一流が真実とする所を会得して、敵に懸かり合う時、敵が何か思う気配を、敵が行動する前に感じ、敵が打つと言う、うつ、の頭、すなわち、うを押さえて、その後の行動をさせない事で、これが枕を押さえる要旨である。
 例えば、敵の懸かると言う、かの字を押さえ、飛ぶと言う、との字の頭を押さえ、斬ると言う、きの字の頭を押さえる事、全て同じ事である。
 敵が自分に技を仕掛ける時、役に立たない事を敵にさせ、役に立つ事を押さえて、させぬようにする事が兵法の取るべき方法である。
 それでも、敵がする事を押さえよう押さえようと思うのはいけない。まず、自分は、どんな時にも二天一流の教えの通りに技を出す所を、敵も攻撃しようと思う頭を押さえ、役に立たなくし、敵に対処する。これが兵法の練達者であり、鍛練の賜物である。枕を押さえる事、よく研究すること。

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 『私見』

 相手の攻撃を予め分かっていたら、こんなに有効な「勝つ利」は、無いと思います。
 人間と言うのは、凄い能力を持っていると思います。私のような平均的な凡人でも、永い間、空手道に身を置いていますと、何故か、相手の攻撃を予め察知する事が出来るようになった気がしています。

 では、どのようにしたら、武蔵の言う「枕をおさえる」事ができるようになるのでしょう。枕をおさえる事と、自分のペースで事を運ぶ事とは意味合いが違います。枕を押さえる事によって、自分のペースに持ち込めるという事を、まず知っておいて下さい。

 相手の動きを予め察知すると言うのは、実際に現象として、何かが起こる分けではありません。私の場合には、気配も感じる分けではありません。私は気配を感じるのは、単なる予測、あるいは思い込みだと思っています。

 私が感じるのは、沢山の情報の集積であろうと、考えています。その集積の結果が、感じているように思うだけなのかも知れません。

 私は相手の動きを、目の照準を合わせて、動体視力として捉える事は、一般よりも苦手だと思っています。御多分に漏れず、若い頃は、動いているものに対して、しっかり見ようと努力もしました。目の前を通り過ぎる電車の中の人を見ようともしました。電車の中から通り過ぎる電信柱の表記を読もうともしました。
 結果は、なんだかボヤッと見えたような、見えないような。
 これも、実際に相手の攻撃が来るのを見るのには、役立っていると思います。焦点を合わせて見る事だけが、見るのではない事を知りました。

 沢山の情報とは、どういう情報かと言いますと、相手の仕草、膝の動き、肩の動き、身体の部分的な動き、息、目、それも、微細な動きを集めるのです。一つではだめだと思っています。多分、無数に及ぶ動き、揺れなどが集積された状態を、身体に無条件反射として覚え込ませるのです。
 この方法は、科学的に検証したものではありません。ただ、体験を通して、経験として自得した、感触です。

 「枕をおさえる」事も、「うつ」、「う」を捉えるのであって、「う」の前に分るのではありません。あくまでも、気が付くのが反射神経よりも早いと言うだけだと、思えるのです。

 昔の人は、と言っても、私が感じているのは、大正時代くらいの人でしょうか。明治時代に文明開化と言われましたが、現在のように目まぐるしく発展したのでは、ないようです。そんな昔の人は、現在の人よりも、ずっと本能的な勘が鋭かったのではないでしょうか。

 では、どのようにすれば、無条件反射の基になる情報を、蓄積する事ができるのでしょう。
 一般的には、相手の癖を知るとか、弱点を知るなどのように、孫子いわく、「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆しのように言えば良いのでしょうが、私は、素直な性格ではないのか、どうすれば、相手を知る事ができるのか、とか、自分の事だって解らないのに、とても相手の事なんか、解らない、と拒絶が先に来てしまいます。
 要するに、考えないで身に付ける方法しか、思い浮かびません。ですから、体験を通じて経験としているのです。

 私が情報の集積が出来たのは、前にも動画を載せていますが、基本組手です。

 自由組手には自由組手の良さがあります。しかし、基本組手には、情報の蓄積に欠かせない要素があります。
 一つは、単発で終わり、蓄積する時間がある事です。
 要するに、今動いた事を反芻(はんすう)する時間があるという事です。情報の蓄積は、時間を置いて、知識として蓄積してはだめだと思っています。
 もう一つは、毎回同じ形から、同じように攻撃してくれるという事です。ここでも、相手が自分に対して反復している事を観察する事ができるのです。しかも、何時も誰でも、同じ形から攻撃してくれます。微細な違いが自然と体に染みつきます。

 私は、この観察する事を、目ではしていません。只々、真剣に一心になる事に集中します。
 例えば、このブログを投稿するのに、コンピュータのキーボードを叩いています。私がコンピュータに接したのは40年程前になります。ですから、キーボードを見る事は全くありません。そして、どのキーを押しているかに、気を止める事もありません。
 初めの頃は、ブラインドタッチをするのに、相当時間を費やしました。それも、英語と日本語と両方打てるようになる練習をしました。なぜ、英語かと言いますと、別に英語が話せる分けでも、英語で文章がかける分けでもなく、プログラムを書くためです。まぁ、英語と言っても単語程度です。
 腱鞘炎になるほど、練習しました。ちょうど、釵を振る練習と同じです。

 物事を習得するのは、ただ手足が動かせるようになるだけでは、ありません。それこそ、武蔵ではありませんが、大工さんだって、ただ木を削り、釘を打つ技術だけが優れている訳ではありません。素材の見立てなどは、理屈ではない選別方法を皆さん持っています。

 空手を少し上手くなりたければ、基本組手に勤しんではどうでしょう。時間は掛かるかも知れませんが、一生の宝となるでしょう。

 【参考文献】 
・神子 侃(1963-1977) 『五輪書』徳間書店.
・佐藤正英(2009-2011)  『五輪書』ちくま学芸文庫.

   【参考サイト】
・播磨武蔵研究会の宮本武蔵研究プロジェクト・サイト「宮本武蔵」http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.html


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