『礼と節』を徹底解剖 Part-2

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 日本で明文化された「礼節」は、聖徳太子の「十七条の憲法」だと思われます。現在の憲法とはいささか趣が違い、官僚や貴族に対する道徳的な規範が謳われています。まさしく、「礼節」の重要性が強調されています。

 今では歴史的な考察が進み、聖徳太子の著作かどうかも定かではありませんが、ここでは、聖徳太子が「日本書紀」に初めて全文を著したものとしておきましょう。

興味のある人は、原文を載せておきますので読んでください。
下記のバーをクリックすると見る事が出来ます。

『十七条憲法 原文』

第一条 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
第二条 二曰。篤敬三寳。三寳者仏法僧也。則四生之終帰。萬国之極宗。何世何人非貴是法。人鮮尤悪。能教従之。其不帰三寳。何以直枉。
第三 三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
第四条 四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。
第五条 五曰。絶餮棄欲。明辯訴訟。其百姓之訴。一日千事。一日尚尓。况乎累歳須治訟者。得利為常。見賄聴 。便有財之訟如石投水。乏者之訴似水投石。是以貧民則不知所由。臣道亦於焉闕。
第六条 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
第七条 七曰。人各有任掌。宜不濫。其賢哲任官。頌音則起。 者有官。禍乱則繁。世少生知。尅念作聖。事無大少。得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此国家永久。社稷勿危。故古聖王。為官以求人。為人不求官。
第八条 八曰。群卿百寮。早朝晏退。公事靡 。終日難盡。是以遅朝。不逮于急。早退必事不盡。
第九条 九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。
十条 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
第十一条 十一曰。明察功過。罰賞必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿。宜明賞罰。
第十二条 十二曰。国司国造。勿斂百姓。国非二君。民無兩主。率土兆民。以王為主。所任官司。皆是王臣。何敢與公。賦斂百姓。
第十三条 十三曰。諸任官者。同知職掌。或病或使。有闕於事。然得知之日。和如曾識。其非以與聞。勿防公務。
第十四条 十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
第十五条 十五曰。背私向公。是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云。上下和諧。其亦是情歟。
第十六条 十六曰。使民以時。古之良典。故冬月有間。以可使民。従春至秋。農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
第十七条 十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
[出典]金治勇(1986)『聖徳太子のこころ』大蔵出版.

 少し、大雑把に要約してみましょう。
1.和を以て貴しとなす。という、有名な言葉を一番最初書いています。
2.仏・法・僧を信奉しなさい。
3.王(天皇)の命令に、謹んで服従しなければ、国家の存亡にかかわる。
4.上の者が礼を遵守しなければ、下の秩序はみだれ、下の者が無礼であれば罪人を作る。
5.法を行う者は、接待や供与を受けず、厳正に審判すること。
6.面従腹背の輩は、国家を滅ぼす。
7.権限の乱用は国家の存続をおびやかす。
8.公務につく者は、早く出勤し、遅く退出する。
9.真心は人の道の根本である。真心をもって仕事をすること。
10.人間は賢愚を同時に備えている。耳輪に端がないのと同じである。自分がすべて正しいと言う考えを持たない事。
11.信賞必罰の励行。
12.税金は重複して取ってはならない。
13.職務に対しては熟知し、公務を停滞させてはいけない。
14.嫉妬の禁止。
15.私心を捨てて公務にあたる事。
16.人民を使役する時は、時期、環境を考えてする。
17.重大な事柄を判断する時は、必ず衆知を集め議論したうえで決める事。

 随分と端折って要約しましたが、時代の背景であったり、身分制度であったり、俄かには納得しかねる部分もありますが、概ね、現在でも十分当てはまる所が多いのではないかと思います。
 私がなぜ「十七条憲法」のような道徳的規範を示して、「礼節」を考えたいかと言いますと、「礼節」の大半は、すなわち道徳的規範だと思うからです。

 小笠原流であろうと、茶道、華道など如何にも礼儀の上に成り立っているような道でも、まして、空手道などの格闘技が元になっているものから、自然に「礼節」が解る事もないし、身に付く事もないと思うのです。

 それでも、『ものには仕方がある』といつも言いますが、仕方を模索するにも、理論武装は必要です。前にも紹介しましたが、千葉周作(北辰一刀流創始者)の和歌「上達の場に至るに二道あり、理より入るものあり、業より入るものあり、何れより入るも善しといへども、理より入るものは上達早く、業より入るものは上達遅し」とある事に共感を覚えています。

 日本武道館の小道場だったと思いますが、「礼節」について書いた文章を見つけた事があります。
 確か、「・・・人と人との交際を整え社会秩序を保つ・・・」という部分だけ覚えていますが、要するに、人と人が何かの縁で知り合いになる時には、相手の人格に敬意を表す方法として礼法があり、武道を志す者は心の中に相手を尊重する気持ちを持ち、その気持ちを礼法をもって表す事が大切である、というような事が書かれてあったと記憶しています。

 冒頭で、日本では聖徳太子が初めて「礼節」を明文化したと書きましたが、もっと前から言葉では無かったかも知れませんが、社会秩序を保つために人類は相当智慧を働かせたのだと推測します。
 人間は、生き延びるために、自然と闘い、他の動物と争い、自分とその仲間を守るために戦い続けてきた歴史があります。今もなお、人よりも裕福であろうと、経済戦争の真っただ中にいるといっても良いでしょう。自分の国が有利になるため、核武装して国を守れると信じて疑わない国もあります。
 こんなに文明が発達した時代でも、太古の昔とそれほど違わない争いを、いやそれ以上の争いをしているように思えます。

 1500年も前から、「和を以て貴しとなす」とあらためて戒律を定めないと、国を滅ぼしかねないのが人間のようです。

 写真は、私が書いた一円相です。本来は、禅僧などが完全な悟り、心の本来の姿を示すために描く円のこと。(出典:「大辞林」三省堂.)とありますので、『礼節』を欠いている事は明白ですが、生意気にも、礼儀知らずに、書いて見ました。今年は篆刻に挑戦してみようと、落款は全て、石に手彫りしてみました。  念のため書き添えますが、作品ではありません。ただ書いてみただけです。


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