論語を読んで見よう
【憲問篇14-18】
[第九講 節操と現実感覚]

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 「管鮑の交わり」、どこかで聞いた事のある言葉です。なんと、私の本棚に「十八史略」(出典:鈴木勤(1984) 株式会社世界文化社.)がありました。グラフィック版で、副題が「人間学の不朽のバイブル」とあります。

 突然「管鮑の交わり」と書きましたが、今回の『論語』に出てくるのが、管仲と言う人物に対する、孔子の評価です。
 
 という事で、まず、管仲と言う人物を知らないと、評価の内容が分からないと思ったからです。

 「管鮑の交わり」の管が管仲、鮑が鮑叔です。

 先述の「十八史略」【管鮑の交わり】の最初の文章を引用しますと、「主人を狙撃した罪人の管仲を宰相に推挙した鮑叔。人びとは管仲の賢才を称賛するよりも、鮑叔の深い人間理解と暖かい人柄を愛した」。との記載が見られます。
 ただ、この部分だけを取り上げると、鮑叔と管仲の関係も分かりませんし、管仲はただの罪人としてしか紹介されていません。また、なぜ【管鮑の交わり】と言う故事になったかという事も、理解するまでには及びません。

 私でも聞いた事のある、三国志の天才軍師、諸葛孔明までが、手本としたといわれる友人関係ですから、興味の湧くところです。

 すこし、管仲と鮑叔の関係を調べて、書いて見たいと思います。二人は幼馴染でした。小さい頃から鮑叔は管仲の才能を高く評価していたのでしょう。ただ、管仲の家は貧乏で、鮑叔はよく管仲に騙されていました。にもかかわらず、鮑叔は文句を言う事もなく友情を大切にしたのです。
 管仲は、後に「鮑叔と一緒に商売をして、分け前をくすねた事にも寛大であったし、ある時は、鮑叔に手柄を立てさせようと企てた事も失敗して、逆に窮地に追い込んだ時にも、彼は、上手く行く時もそうでない場合もあると、責める事は無かった。自分が仕官に何度失敗しても、時節が悪いと無能呼ばわりする事も無かった。戦に出るたびに逃げ帰っていた自分に対して、年老いた母の面倒を見ている事を知っていて、臆病者と蔑む事も無かった。色々な自分の置かれている状況を両親よりも理解してくれたのは、鮑叔であった」と述懐しています。

 余りにも複雑な中国の歴史ですが、この『論語』に出てくる桓公と公子糾の跡目争いで、桓公が兄の公子糾を殺して斉の国の16代君主になったとされています。戦国の時代では日本の歴史でも同じように親子兄弟同士の争いがあったと記録があります。

 この公子糾の家来であった「管仲」は、桓公の命を狙った事もありました。しかし、桓公が公子糾を殺した後、命を狙った管仲も殺そうとしたのを、鮑叔が止め、逆に桓公の宰相に推挙し、その後管仲の手腕によって国が栄え、ついには春秋の最初の覇者となった。と言うのが、管仲と鮑叔の幼いころから友情の変わらない関係を示しています。

 この関係は、管仲の卓越した手腕を、心から認めていた鮑叔の人間性で成り立っているのでしょう。友達を踏み台にしてでも野心を成し遂げようとする管仲に対して、それを許すだけではなく、踏み台にさせてでも世の中の為になると思った鮑叔の謹慎謙譲の美徳と言えるでしょう。

 これで、管仲の人となりは大体のところ認識できたのではないでしょうか。その管仲について、孔子の高弟である子貢が質問しています。
●白文

『子貢曰、管仲非仁者与、桓公殺公子糾、不能死、又相之、子曰、管仲相桓公覇諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之為諒也、自経於溝涜而莫之知也』。
●読み下し文
『子貢(
しこう)曰(いわ)く、管仲(かんちゅう)は仁者に非(あら)ざるか。桓公(かんこう)、公子糾(きゅう)を殺すに、死すること能(あた)わず、又これを相(たす)く。子曰(のたまわ)く、管仲、桓公を相けて諸侯に覇(は)たり、天下を一匡(いっきょう)す。民、今に到るまでその賜(し)を受く。管仲なかりせば、吾それ髪(はつ)を被(こうむ)り衽(じん)を左にせん。豈(あに)匹夫匹婦(ひっぷひっぷ)の諒(まこと)を為し、自ら溝涜(こうとく)にくびれて知らるることなきがごとくならんや』。(憲問篇14-18)

 子貢は、公子糾の家来でありながら、管仲は殉死しなかった上に、その公子糾を殺した相手の家来になって仕えた事を非難しています。それに対して、孔子は管仲が仕えたから世の中の平定が成しえた。人民はその功績によって生活が混乱していない。殉死するような些細な事で自害して、誰の首かも分らないような死に方をさせてもよいのか。と管仲の功績に対して高く評価しています。
 孔子は、一方では管仲を妄信的に評価をする事に、釘を刺している部分もあります。
 それは、八佾篇3-22に見る事ができます。
 『子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲倹乎、曰、管氏有三帰、官事不摂、焉得倹乎、曰、然則管仲知礼乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君為両君之好、有反貼、管氏亦有反貼、管氏而知礼、孰不知礼』
 
内容は、プライベートな部分にも及んでいますが、着目すべきは、管仲が君主と同じ権威を振るっていた事に、「礼」に欠けると非難しています。
 すこし、現代文にして見ましょう。
 『先生が管仲の器は小さいと仰った。ある人が倹約家なんですかと言うと、いや三つも邸宅(夫人)を持っています。仕事は兼務させず多くの無駄な人を雇っています。どうして倹約家と言えますか。またある人が、それでは管仲は礼を知る人ですか、と問えば、君主は樹木にて門を隠すが、管仲も同じ事をしている。君主が盃を酌み交わす時は特別な台を設ける、これも家臣でありながら管仲は真似をしている、このような人が礼を知っているとすれば、誰が礼を弁えていないと言えますか』と言う内容です。

 これは、現代でも往々にして見られる光景です。部下になる人は心がける事です。傍から見ていて、滑稽にも見えます。「虎の威を借る狐 」は、本人が思っているほど格好の良い物ではありません。もちろん、本人が気付けば、そんな振る舞いはしないとは思いますが。

 それにしても、『自ら溝涜(こうとく)にくびれて』と殉死をつまらない死と一刀両断するところは『礼』の何たるかを言わんとした、孔子の面目躍如と言ったところだと思いました。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.

 

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