論語を読んで見よう
【先進篇11-9・8】
[第二十九講 第三十講 顔回-天の非情・凡庸な父と非凡な子]

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 今日は、『現代人の論語』の第二十九講と第三十講を同時に読みます。『論語』の先進篇11-8と9になります。順序は逆ですが、『現代人の論語』の順序の通りに読み進めたいと思います。

 慟哭と言う言葉があります。孔子が喜怒哀楽を『論語』の中で表す事は、意外ですが、結構見られます。人間らしい面を表しているのですが、今回の「哀」は、孔子の人生の中でも、僅かなものであったと思われます。

 顔回について、前回では『偉い』と言う評価がありました。そして私もあこがれを持ったものです。孔子も認める、尊敬すべき弟子です。今回は顔淵とありますが、顔回と同一人物です。

 日本でも、徳川次郎三郎源朝臣 みなもとあそん家康、あるいは、源朝臣 みなもとあそん徳川次郎三郎家康と、徳川家康の名前も随分長いです。

 孔子の時代が、このようにずらずらと、名前を並べる事は無かったのかも知れませんが、顔回の場合では、顔回が姓名で、顔が姓、名が回、字は、子淵 しえん。時に顔淵 がんえんと呼ばれることもあります。

 前回も書きましたが、親子そろって孔子の弟子です。父の名前は顔路がんろです。私の道場でも二代に渡って練習に来ている人が結構います。その筆頭が礒田師範であり、次男と長女が、私から見ると孫弟子になるのです。次男は既に警察官として社会人になっても活躍しています。長女は今年大学一年生。光陰矢の如しとはよく言ったものです。私の感覚では、未だに礒田師範が小学生のままですから。

 今回は、最愛の弟子の死に遭遇した、孔子の思いが綴られています。

 『論語』の順序は逆ですが、先進篇11-9そして先進篇11-8の順で白文、読み下し文と読んで見ます。
●白文1
『顔淵死、子曰、噫天喪予、天喪予』。
●読み下し文1
顔淵がんえん死す。子のたまわく、ああ、天われほろぼせり、天予を喪ぼせり』。【先進篇11-9】
 現代文
『顔淵死す。先生が。「あぁ、天が私を滅ぼされた、天が私を滅ぼされた」。』

●白文2
『顔淵死、顔路請子之車以為之椁、子曰、才不才、亦各言其子也、鯉也死、有棺而無椁、吾不徒行以為之椁、以吾従大夫之後、不可徒行也』。
●読み下し文2
顔淵がんえん死す。顔路がんろの車以てこれがかくつくらんことを請う。子曰しのたまわく、才も不才も各々おのおのその子と言うなり。や死す、かんありて椁なし。われ徒行とこうして以てこれが椁を為らず。わが大夫たいふしりえに従えるを以て徒行すべからざるなり』。【先進篇11-8】
 現代文
『顔淵死す。顔路が、先生の車を売って立派な棺を作って欲しいと、願いでた。先生は、「才があっても無かっても、わが子に対する思いは同じである。が死んでも、棺桶の飾りは無かった。徒歩で歩くことを決断していれば出来たが、私も大夫の末端にいる者なので、車を使わずに徒歩で移動するというわけにはいかない」。 』

 なぜ、孔子が、願回のお父さんの願いを断ったのか、これだけでは、分かりにくいと思いますので、他にも、顔回の死に関わる内容のものが、ありますので、紹介しましょう。

 『顔淵死、子哭之慟、従者曰、子慟矣、子曰有慟乎、非夫人之為慟、而誰為慟』【先進篇11-10】
 
現代文の意訳は、
『顔淵死す。先生は慟哭された。従者が、「先生、号泣されましたね。」と先生に言うと、先生は、「彼の為に号泣せずに、誰のために号泣する事があるだろう」と言われた』。

『顔淵死、門人欲厚葬之、子曰、不可、門人厚葬之、子曰、回也視予猶父也、予不得視猶子也、非我也、夫二三子也』【先進篇11-11】
 これも、現代文に意訳してみます。
『顔淵死す。門人が手厚い葬儀がしたいと申し上げた。先生は、だめだと言われた。しかし、門人は盛大な葬儀を執り行った。先生が、「回が私を父のように見ていた。しかし、私は我が子のように出来なかった。私ではない。僅かの門人がした事である。」』

 時系列であるか、私には分かりません。この一連の言葉から孔子が言いたかったことは、なんとなく、想像できます。

 孔子の願回に対する思いは、これまでの『論語』の中でも分かります。その最愛の弟子と言える願回が亡くなったのです。

 その心中は、【先進篇11-9】と【先進篇11-11】で明らかです。
 にも拘らず、願路(願回の父)の願いを聞き入れず、門人が孔子の高弟に相応しい葬儀をしようと思った事を、「だめだ」と言っています。

 【先進篇11-8】で、也死、有棺而無椁』と、言っています。とは、孔子の息子です。息子が亡くなった時も、棺桶は飾らなかった。と言っています。これは、息子も飾らなかったから良いではないか、と捉えるのは下衆の勘繰りだと思います。

 孔子が誤解を受けるのは、余計な言い訳をする事にあります。本当にそんな言い方をしたのか、これも定かではありません。私は、『才不才、亦各言其子也』も、『吾不徒行以為之椁、以吾従大夫之後、不可徒行也』も、余分な言い訳に聞こえます。ここでは、愚息であっても、才能豊かな回であっても、子供を思う気持ちに変わりがない。とありますが、父親に対して、棺桶を飾らない事の理由を言っているのだと思います。しかし、上手の手から水が漏れる感じがしてなりません。しかも、その理由と、次の【先進篇11-11】の理由が解離しているように思えます。ですから、その場しのぎの言い訳、あるいは、はぐらかした言葉に聞こえてしまいます。

 私の漢文の読み方に問題があるのかも知れません。しかし、他の文献でもこの部分は、深読みして孔子に傷をつけないよう、配慮のある訳し方をしています。
 
 仮に、孔子が経済的な理由ではなく、自分が教えている理想は、葬儀を盛大に立派にする事ではないと思い、かつ、願回の生き方を偉いと評価していたのであれば、父願路にも門人にも、そう説けば良いと思うのです。

 現在でも、アカウンタビリティが人を説得するには必須の条件です。物事を遂行するには説明責任が必要です。孔子の時代は、下克上と言えども、封建主義の時代です。余計な説明は必要なかったかも知れません。孔子はあえて説明しています。しかし、これでは説得力に欠けます。まして、その説得には、相手を非難する言葉があります。それでは、なお説得力に欠けるのではないでしょうか。

 葬儀の後で、立派な葬儀をしたのは、自分の意思ではないと言うのは、それこそ『礼』に欠く言葉だと思います。

 こういう、言い訳に見える言葉や、はぐらかしに聞こえる言葉が、孔子や高弟の言葉の記録した書物として『論語』があるとしたら、どんな意図で編纂されたのか、疑問に感じています。

 すでに、『現代人の論語』の半分以上を読んできていますが、未だに、『論語』編纂の意図に戸惑いを感じています。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.

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