論語を読んで見よう
【子張篇19-3】
[第三十七講 子夏-小心で生真面目な秀才]

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 今日の話は、孔子の後期の弟子同士の会話になっています。しかも、定かではありませんが、すでに孔子の死後の話のように思います。

 思想や技術は、確かに継承されますが、いつまでも続くとは限りません。伝言ゲームのようなものだと思います。一人目二人目は兎も角、五人となると、初めの意図した考えとは、かけ離れたものとなっているかも知れません。
 私が、『現代人の論語』を読み始めて、一番疑問に感じたのは、腑に落ちる部分と、落ちない部分が混在している所にあります。思想家としての孔子は、確かにいたのかも知れませんが、『論語』にその思想が正しく記録されているのでしょうか。

 例えば、空手の場合、私が知識として知っているのは、僅か60年程度です。それも聞き伝えのものや、書物によって得た知識ばかりで、すでに失念したものもあり、聞き違いや、間違って覚えたものもあると思っています。
 実際の技術となると、自分の体験を通じて、自分の身体に合わせて工夫したものばかりです。確かに先生から、一つの型のこの部分は、こうやってする、と言う事は言われましたが、その型がどのような形で作られた物か、そしてどの様な変遷を経て後世に伝わったのかも定かではありません。

 流儀についても、私の先生の時代、すなわち第二次世界大戦後に雨後の筍のように無数にできたのであって、それまでは、那覇手、首里手、泊手など沖縄の地域によって方法が異なったのでしょう。私が18才の時から東京の致道館の門下生になった時に、松濤館流を学びましたが、創始者である船越義珍師は、流儀を自分から言われたと言う、記述はありませんし、先生からも聞いた事はありませんでした。それまでは、糸東流と流儀があるものをかじっていました。そのころは、糸東流が空手と思って疑いもしませんでした。東京に行ってから、空手には流儀があり、色々なやり方がある事も知ることになります。

 私の先生が目指していた空手は、社会体育空手道でした。現在の全日本空手道連盟の創立に加わった一人です。その弟子の中から先生と同じ道を歩んでいるのが、現在同連盟の副会長の栗原茂夫先輩です。私が目指している空手道とは、少し目的が違います。しかし、先生には私の空手に対する思いを十分に理解してもらっていました。

 これほど、短い間にも、違う道に進む人間もいます。私が稽古を共にした同門の人達も、世界中に散らばり、色々な思いで空手を継承している事と思います。歴史の中での変化は想像を超えるものがあると思います。

 さて、今回は孫弟子同士でどのような会話があったのでしょう。『論語』を読んで見たいと思います。
●白文
『子夏之門人問交於子張 子張曰 子夏云何 対曰 子夏曰 可者与之 其不可者距之 子張曰 異乎吾所聞 君子尊賢而容衆 嘉善而矜不能 我之大賢与 於人何所不容 我之不賢与 人将距我 如之何其距人也』。
●読み下し文
子夏しかの門人、まじわりを子張しちょうに問う。子張いわく、子夏は何をか云える。こたえていわく、子夏曰わく、なる者はこれにくみし、の不可なる者はこれをこばまんと。子張曰わく、が聞く所にことなり。君子は賢を尊びて衆をれ、善をよみして不能をあわれむ、われ大賢たいけんならんか、人に於いて何の容れざる所あらん。我の不賢ならんか、人た我を距まん。これを如何いかんぞ、それ人を距まんや』。【子張篇19-3】

 さて、今回も現代文にしてみましょう。
 「子夏の門人が付き合う人の選び方を子張に聞きました。子夏はどう教えたかと子張は聞き返しました。子夏の門人は、良い人と付き合い、悪い人と付き合うな、と言われました。子張は、私が学んだ事とは違う。君子は賢者を尊ぶが、衆人を包み込み、善人を称讃はするが、無能の人を憐れむ、と学んだ。大賢であれば、人を選ぶ事はない。賢くなければ、相手が自分を拒む」こんな内容で理解しました。

 子夏の門人とありますから、孔子の後期の弟子である子夏が、すでに独立していて、その弟子が子夏と兄弟弟子にあたる子張に質問したという設定です。

 まず、疑問に感じるのは、子夏と子張が兄弟弟子であっても、叔父さんではないですから、先生から習った事を人に聞くでしょうか。こういう人は弟子とは、言えないですね。「たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」が頭をよぎります。私の先生が「人を試してはいけない」と言った事と同じです。この場合、自分の先生を試したのか、それとも子張を試したのか、定かではありませんが。

 もう一つ、この頃には子張は独立していたのでしょうか。それにしても、弟子を持って、独立している兄弟弟子の教えを、しかもその弟子に否定するような事を言うのも、「君子」とは言えません。

 この子張については、前回も孔子と考えの違う事を書きましたが、宮本武蔵の「独行道」にも書きましたが『男子三日会わざれば刮目して見よ』との慣用句がありますので、この頃には変わったのかも知れません。
 ですから、この言葉だけを見て見る事にします。

 子張の主張は、語呂合わせではありませんが、学而篇1-6の『子曰 弟子入則孝 出則弟 謹而信 汎愛衆而親仁 行有餘力 則以學文』『汎愛衆すなわち「広く人を愛し」の部分にあたると思います。しかし、この後に『而親仁』徳のある人に親しむ、とありますので、孔子の言いたい親しむ」を「尊ぶ」と変えたのかも知れません。また、学而篇1-6に衆をあわれむとは、書かれていません。『汎愛衆広く衆を愛すです。
 であれば、子張は、言っている事と言葉に矛盾があると思います。あわれまれて付き合う人、すなわち同情されて友人関係が成り立つのでしょうか。

 子夏は、学而篇1-8『子曰 君子不重則不威 學則不固 主忠信 無友不如己者 過則勿憚改』『無友不如己者』にあります。「己に如かざる者を友とすること無かれ」を言ったのだと思います。

 どちらも、間違いでは無いと思います。人格も出来上がるまでには過程があります。ですから、「朱に交われば赤くなる」状態も、修行の過程では、当然あるでしょう。
 完全に人格や徳が出来上がって「君子」となれば、人に左右される事も無くなるのかも知れません。
 子夏も子張も、間違った事を言っている分けではないと思いますが、前回の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の通り、子張はまだ「君子」でない人に、行き過ぎた理想を語っています。言葉に多少の違和感はありますが。子夏は、弟子に「君子」の姿を想像させる、目的を持たせるべきなのかも知れません。

 世の中は、理想ではありません。矛盾こそが現実であり、私達が感じる矛盾の中に、真実があるのかも知れません。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.

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