論語を読んで見よう
【雍也篇6-13】
[第四十二講 儒の起源]

スポンサーリンク

 この講を、どう読み解くかは、「儒」と言う文字の解釈にかかっています。この「儒」の読み方が問題で、様々な解釈を色々な人がされています。

 儒教は、このブログの『論語を読んで見よう』の第四講に「儒教は孔子以前の前儒教、孔子による原儒教、孔子以降の経学儒教と発展」と『現代人の論語』の記述を引用しましたが、私は、この前儒教も原儒教も経学儒教も知りません。一般的に言われている、儒教も宗教なのか哲学なのか、思想なのかも分かっていません。また、宗教がいかなるものかも、分かっていません。

 それでも、宗教的な儀式には参加する事に違和感を感じた事もありません。一番の儀式は、葬儀でしょう。
 これは仏教による葬儀の参列が一番多いです。神道しんとうの葬儀に参列した経験もあります。
 結婚式の儀式では、現在は、何故かキリスト教による結婚式が一般的なのかも知れません。神父が結婚式を執り行います。神道による結婚式にも参列した事はあります。神主が祝詞をあげて結婚式の儀式を執り行います。
 最近は、婚姻届けだけで済ませる人もいるようですし、結婚という形式を取らないカップルもいるみたいです。

 後は、神社やお寺にお参りする程度の事でしょうか。これは、一般的な日本人と変わらないのではないかと、思います。なぜか、と聞かれても分かりません。幼いころからの習慣としか、言いようがありません。お正月に初詣に行ったり、神社やお寺の前を通る時には、一礼するとかも自然に行います。

 ある人と話をしていて、「残念ながら無宗教です」と、言われたことが耳に残っています。なぜ、残念なのかが分からないからです。日本だけかも知れませんが、宗教というものに、行動を制約されていることもありません。

 以前に学生の空手で、世界大会が京都で行われました。何度もこのブログに登場させてもらいましたが、澤部滋先生の下で、裏方として、お手伝いしていた時に、イスラム教徒でしょうか、おもむろに、部屋の片隅に絨毯を敷いて、礼拝を始めました。1日5回行うそうですが、私から見ると、奇異に見えましたが、本人はいたって真面目です。敬虔な信徒と言う感じが伝わりました。

 しかし、その巨体の髭の人物は、その少し前に、役員にくってかかり、今にも喧嘩が始まりそうでした。たまたま、私がその間に入って、その場を収めましたが、敬虔な信徒でも、傍若無人な態度をするのですね。まぁ、富岡八幡宮の殺人事件を考えると、よその国の事など言えた立場でもないですね。しかも、犯人が元宮司とは、何とも理解に苦しみます。

 私も無宗教ですが、宗教を信じていない事を、恥じてもいません。自分を正当化する分けではないですが、これが一般的な日本人の宗教観かな、とも思っています。

  「煩悩からの脱却」に、新渡戸稲造氏が、日本人と武士道について、語っていますが、日本人は信仰心と言うよりも、神道、仏教、しきたり、慣習などが永い月日を経て、定着しているのではないでしょうか。

 最近は、随分生活習慣から遠ざかっていく感じはしますが、つい最近までは、四季折々の行事にも、神道や仏教の影響が根強くあったのではないでしょうか。もう生活の一部ですから、どれが、と言われても分離する事が難しいくらい日本人に馴染んでいるのかも知れません。

 さて、「儒」と言う文字を、辞書で引いて見ましょう。
 「(1)よわい。やわらか。みじかい。 (2)学者。特に孔子の教えを奉じている学者」(出典:大辞林(1988-1990) 株式会社三省堂.)
 『現代人の論語』では、『礼記の記述に従って「儒」は音が近い、「柔」と類縁の言葉だとされた。剛に対する柔、すなわち、武に対する文という意味である。』と記述する一方、この論評に対して違う解釈をしているようです。

 また、「儒」について、荻生徂徠(儒学者・思想家・文献学者)は『儒字見周禮。廼有文學者之稱』「儒の字は周礼しゅらいに見ゆ。すなわち文学有る者の称なり」(出典:『論語徴』 国立国会図書館デジタルコレクション.)との記述もありました。

 いずれにしても、「儒教」は、「仁を根本とする政治・道徳を説いた孔子を祖とする中国の教説。儒学の教え。 」(出典:大辞林第三版 三省堂.)となってますので、孔子の教えに違いないと思いますが、前儒教と『現代人の論語』には、孔子以前に儒教があったとの記述がありますので、「儒」と言う文字を、どういう意味で、誰が付けたかも、私には分かりませんでした。

 色々と調べて見ましたが、要領を得ません。とりあえず『論語』を読んで見たいと思います。
●白文
『子謂子夏曰、女為君子儒、無為小人儒』。
●読み下し文
『子、子夏しかいていわく、汝、君子くんしじゅれ、小人しょうじんの儒と為る無かれ』。【雍也篇6-13】

 この文については、それほど難しい言葉もなく、そのまま読み取れると思いますが、とりあえず、現代文にして見ましょう。
 「孔子は、子夏に次のように言われた。貴方は君子の儒となれ、小人の儒になってはならない。」このような内容です。
 ここで、問題の「儒」ですが、前後の言葉から、意味を探って見ましょう。
 まず、「君子の儒」、「小人の儒」と言うのは、今までの『論語』の内容から、「徳を探求する者になりなさい。道を間違え有名になるために、似非えせ探求者になってはならない」と意訳することにします。

 道を歩むとつい横道にそれたり、道端の石に腰をおろして休みたくなります。なんども船越義珍師の言葉を使っていますが、空手は湯の如し 絶えず熱度を与えざれば 元の水に還る」の通り、不断の努力が必要です。まさに、よわい、柔らかい、扱いが難しいものの譬えとして「儒」と言う言葉を捉えました。

 これも、『詩・礼・楽』は、手段であり、目的である『君子・徳』を目指すという事ではないでしょうか。目的を見失ってはいけないとの説法ではないかと思っています。

  今回の『論語』と関係はないのですが、荻生徂徠の『論語徴』を調べていて、私が東京で習った、松濤館流の道場の名前の由来ではないかと、思われるものを見つけましたので、紹介しておきます。
 私が入門した当時は、「致道館」と言っていました。現在の日本空手道致道会です。その名前と同じ名称の「史跡旧致道館」がありました。
 文化2年(1805) に庄内藩酒井忠徳ただありが、創設した学校の名前が「致道館」です。しかも、広大な土地に武術の道場や矢場、あるいは馬場まで備えられていたという事です。その「致道館」が、儒学者であり思想家でもある、荻生徂徠おぎゅうそらいの学風を伝承していて、明治6年(1873) の廃校に至るまで多くの人材を輩出したという事です。
 由緒のある名前ですが、故佐々木武先生から、残念ながら名前の由来を聞いた記憶がありません。しかし、推測に過ぎませんが、文武両道の師ですから、もしかしたら、この名前を付けられたのかも知れません。

【参考文献】
・呉智英(2003-2004)『現代人の論語』 株式会社文藝春秋.
・鈴木勤(1984)『グラフィック版論語』 株式会社世界文化社.

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です