空手道における型について【1】 プロローグ

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【空手の「型」は、なぜ美しさを求める?】 【空手道の「型」を考える Part-1】 【空手道の「型」を考える Part-2】 では、空手の型について考えてきました。

 今回は松濤館流と言われる流儀、船越義珍師を創始者として、世界を席巻する空手道の一つの流の基になり各団体に伝わった、「型」を昭和10年5月25日に発行された「空手道教範」【富名腰義珍著作】を出来るだけ忠実に、解説して行こうと思います。

 「空手道教範」は、後に大島つとむ先生(早稲田大学OB昭28政経卒)が英語版で出版されています。

 大島劼先生と言えば、私が東京に近い千葉県の日蓮宗大本山の寺院である法華経寺の境内の隅で毎朝稽古していた時、大島劼先生の奥さんと思われる人が声を掛けてくれました。「夫の若い頃を思い出します」との事でした。大島と名乗られていましたし、早稲田大学の名前を出されたので、年齢的にもそうだと思います。それだけの出会いですが、何だか身近に感じ、感動したものです。なんせ、松濤館流では有名人ですから。

 それにしても、私が40歳前後の事ですから、学生に間違えられると言うのは、喜んでいいのか、悲しんで良いのか、迷うところです。もちろん、髪の毛はふさふさしていましたが。

 松濤館流は、初期の頃は、小幡功先生の慶応義塾大学や早稲田大学、中山正敏先生の拓殖大学、東京大学など、東京の大学を中心に広がりを見せました。私の先生、佐々木武先生は、小幡功先生の流れを継承しています。私が致道館に入門したころには、道場内の名札が掛けてありましたが、その中に小幡功先生の名札もありました。私はお会いしていませんが、初期の頃の合宿の写真では小幡功先生も写っています。

 その他、松濤館流に関する型の書籍は、数多く出版されていますが、今回は、なぜ、「空手道教範」【富名腰義珍著作】にスポットを当てたかと言いますと、この本が松濤館流の原点だと思うからです。

 富名腰義珍先生は、この書籍の前に「琉球憲法 唐手」と言う書籍を出版されています。1922年11月25日初版が発行されています。1922年ですから大正11年の事です。であれば、この本を原点にすれば良いのですが、この後、名称も現在のものに改訂され、内容も随分変化がありましたので、先述の「空手道教範」【富名腰義珍著作】を、松濤館流の原点とするのが妥当ではないかと考えたのです。同名の書籍が、各流儀から出ていますが、私が参考にしているのは、昭和10年発行の「空手道教範」【富名腰義珍著作】です。

 ちなみに、富名腰と「富」の字を当てているのは、著作者名によります。本名は、わかんむりの「冨」と言う字です。なお、船越と言う名前も一般的には使われています。

 今回取り上げるのは、その書籍の第4章基本型にある、15の型を対象にします。いわゆる松濤館15の型と呼ばれる基本の型です。

 型の名称は、次のようになります。
1.平安初段(舊稱ピンアン二段) 舊稱は、旧称の事です。昔の呼び名です。
2.平安二段(舊稱ピンアン初段)
3.平安三段(舊稱ピンアン三段)
4.平安初段(舊稱ピンアン四段)
5.平安初段(舊稱ピンアン五段)
6.拔塞初段(舊稱バッサイ) 拔は抜と言う字の旧字体です。
7.観空(舊稱公相君)
8.騎馬立初段(舊稱ナイハンチ初段)
9.騎馬立二段(舊稱ナイハンチ二段)
10.騎馬立初段(舊稱ナイハンチ三段)
11.半月(舊稱セーシャン)
12.十手(舊稱ジッテ)
13.燕飛(舊稱ワンシウ)
14.岩鶴(舊稱チントウ)
15.慈恩(舊稱ジオン)
以上の15の型です。

 この中で、6.の拔塞初段は、抜塞大、7.の観空は観空大、8.9.10.の騎馬立初段から三段は、それぞれ、鉄騎初段、鉄騎二段、鉄騎三段が、現在松濤館流では一般的な名称です。

 次回からこの15の型を『空手道教範』を基に現代で使われている言葉にして見たいと思っています。その理由は、現在使われている漢字ではなく、旧字体や異体字が多く、現在の義務教育で習う教育漢字、及び常用漢字ではない事が一つ。もう一つは、言葉遣いが、現在では読み解くのに苦労するから、という事です。

 もう一つ、理由があります。松濤館流が色々広がっていく事は良いのですが、その一方、型の内容も、教える人によって変化していく事を避けたいためです。当然の事のように、致道館で教わったものも、若干の相違があり、また髓心会においても、私が合理的な意味で変えてしまった事もあります。もう一度原点が何かを探り、出来れば、元に戻せるところは戻すのが、良いと思うからです。

 型と言うのは、色々に解釈されていますが、私は、その技術が隠されていては、型と呼べないと思っています。型は稽古して、初めて身に付くものです。

 型を辞書のように扱う方法もあると考えます。この場合は、型の順番だけ覚えれば、あとは、その一つづつの技を取り出して、分解と呼ばれる動作を、相手を付けて練習すると良いでしょう。この場合には、型を通して演武(打つ)する必要はなくなります。

 どういう風に、型を扱うかは、その指導者の見識によります。私は、型を稀に見る稽古体系であると思っています。ですから、一つづつの部分の練習は必要だと思いますが、目的は、全ての動作を通して行う事に意味があると、考えています。

【参考文献】
・富名腰義珍(1930)『空手道教範』 廣文堂書店.
・富名腰義珍(1922-1994)『琉球拳法 唐手 復刻版』 緑林堂書店.
・Gichin Funakoshi translated by Tsutomu Ohshima『KARATE-Dō KyōHAN』KODANSHA INTERNATIONAL.

 

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