今日の一文字は『常』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二十五段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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無常
三蹟
今朝は少し雨が降っていました。8時頃までは涼しかったのですが、今は暑い夏に戻っています。
昨日はホッとするニュースがありました。2歳の子供、見つかって良かったですね。生命力があるのですね。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第二十五段 〔原文〕
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり、事去り、樂しび・悲しび行きかひて、花やかなりし邊も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李物いはねば、誰と共にか昔を語らん。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞ、いとはかなき。
京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてんや。大門・金堂など近くまでありしかど、正和のころ、南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、なほあざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。これも亦、いつまでかあらん。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、萬に見ざらむ世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。