文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【37】

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 今日の一文字は『気遣』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第三十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 心遣い 願望

 
 台風の後処理にどれだけの人手と、金銭がかかるのでしょう。今も不自由な生活をされている人を、ニュースでみると、行政の視点を変えなければならない事は言うまでもなく、有権者の方も変えてなければ解決できるものではないと思います。

 毎年毎年同じ事を繰り返して、まるで波打ち際に砂上の楼閣を造っている、子供たちに見えます。

 アジア大会で選手が頑張っている姿を見せてもらうと、なんだか政治と不釣り合いな感じがしてしまいます。

 スポーツの世界は、色々指導の仕方や組織の在り方が岐路に立っていますが、少なくとも選手は少しづつ少しづつ、積み重ねて記録を伸ばしているように見えます。その記録は個人が積み重ねているだけではなく、人から人へと積み重ねられた記録のように見えます。

 政治も一人のカリスマではなく、次の世代への積み重ねることを考えないと、住みよい世界にはならないのではないでしょうか。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第三十六段 〔原文〕

 「久しく訪れぬ頃、いかばかり恨むらむと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、『仕丁じちゃうやある、一人』なんどいひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と、人の申し侍りし、さもあるべき事なり。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『「久しく訪ねなかったので、どんなにか恨んでいるかと、  長らく訪ねてない女性が、どれほど恨んでるだろうかと、自分が怠けていた事を痛感し、黙っていると、女性の方から〔雑役をしてくれる人を一人紹介してください〕などと言うのは、予想もしないことで嬉しいものである。  そんな気立ての人が良い」
 と人が言っていたが、私もそう思う。 』

 

『心遣い』

 下衆の勘繰りでしょうか。兼好の事ではないんですかね。

 何だか、遺留捜査と言う題名のテレビ番組で、糸村聡刑事(主演:上川隆也)の決まり文句のような気がしました。

 それにしても、男女を問わず、人の失敗に覆いかぶせるように、そして必要に非難する人が多いと思います。勝ち誇ったように。

 「思いやり」と言う気持ちが働かないのでしょうか。「武士の情け」も今は昔、でしょうか。

 ですから、今日の文章のような、気が利く、気遣いのある対応をする人がいたら、そして、それが異性だったとしたら、きっと、素敵な人だと思うでしょう。

 恋愛感情でなくても、人は、さりげない優しさに、心を惹かれるものだと思います。

 私などは、もう歳から言っていも、そんな期待はしてはいけないのだとは思いますが、これ見よがしではなく、優しくされると、ちょっと心が動いてしまいそうになります。

 私が50歳ほど過ぎ去った年月を巻き戻す事ができて、まだ結婚もしていなかったら、そんな人に出会いたいと思います。

 もちろん、まだ髪の毛がふさふさしているとしてですよ。

 それでも、「無理、無理」と言う声が聞こえてきそうですが。

 いくら歳をとっても、気持ちだけは、変わらないのが人間だと思います。今から45年程前でしたか、親戚の叔父さんに、歳取った時の気持ちを聞いて見た事がありました。

 その答えは、「若い時と何にも変われへんで」でした。その時は、「へぇ~」程度の感想でした。

 歳を取って解る事もあります。それは、その歳になってみないと解らない事が、解るようになる事です。

 意外と想像は出来ても、その歳にならないと解らない事は多い物です。

 私の父が晩年に、看護婦さんに子ども扱いされて、怒って帰ってきました。その時は、何気なく聞いていましたが、最近、年寄りは子供ではないのに、なぜ看護婦さんは、そういう言葉を使うようになってしまったのか、疑問に感じるようになりました。「若い時と何も変われへんで」と叔父さんの声が聞こえてきそうです。

 今は知りませんが、今で言うキャビンアテンダントの女性が、まだ小学生に上がらない子供に敬語を使っているのを見た事があります。私の感想としては、先ほどの看護婦さんとは逆で、やりすぎたもてなしと感じました。商業意識が表に出すぎた言動だと感じましたが、どうなんでしょうね。

  心遣いや思いやりと思っても、相手にとっては不愉快の場合もある事を、知るべきでしょう。

 同じように、病気にしても、なってみないと解らない事があります。このブログにコメントをくれていますが、アトピーも、なって見ないと解りません。それこそ痒いと言う言葉の他に、もっと適当な言葉がないのかと思う位、痒いです。

 病気でなくても、窮地に追い込まれる事は、人生の中で何度かあると思います。その時に、さりげなく心遣いがあれば、勇気をもらえます。

 できれば、そんな人に成りたいものです。

 今日の徒然草の文章と、少し違った観点かも知れませんが、心遣いの出来る人は、何かにつけて、ちょっと人を思いやる心のある人では無いでしょうか。

 意図して出来る事でもありません。身に付いていて、日ごろからそんな言動ができる人でないと、ふとした時に、相手を思いやって、気持ちを和らげる事など出来ないと思います。

 先ほど、その歳になって見ないと、見えない事も沢山あると書きましたが、何気ない言葉には、そんな人の思いやりが、隠されているのかも知れません。そんな心遣いに気付く事も大切だと思います。

 

『願望』

 私は、この文章のように、気遣いをさりげなくできる人でもありませんし、女性でもありませんが、できれば、そんな気遣いが、さらっと出来るようになりたいと思います。

 私は、 礼と節でも記載しましたが、この中の節度と言う壁の間際ではなく、丁度良い具合の礼儀ではないかと思います。

 この丁度良いと言うのが、結構難しくて、意外と慇懃無礼と、非礼の間を行ったり来たりしてしまいます。

 思いやりを持って接しようと思えば、行き過ぎてしまって、逆に反感をかったり、適度にと思えば、非礼になってしまいます。

 相手に対して、こうありたいと思えば思うほど、行き過ぎた行動をしてしまうのが、人間の性かも知れません。

 行き過ぎないと、良い行いであっても、行き過ぎると、犯罪になる事もあります。

 ストーカーなんかは、その典型かも知れません。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、気を付けましょう。

 よく、人の気持ちになって、とか、相手の気持ちになって、と言いますが、 自分自身も解らないのに、相手の事など、私には分かりようがありません。

 しかし、自分が嫌な事は、相手も嫌かも知れないと思う事はできます。この事を尺度に、相手に対する思いやりを持てないでしょうか。

 そう考えると、少し対処の方法が身近になります。

 これは、願望かも知れませんが、みんなが自分にしてほしくない事は、相手にしない、そして、自分がしてもらうとうれしく思う事を、相手にもしようとする気持ちを持てないでしょうか。

 きっと、仕事もスムーズに進むような気持ちがします。なにより、人と仲良くする事ができると思います。

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