文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【56】

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 今日の一文字は『家』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第五十五段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
 新しい筆、大正解でした。次の課題、半切に三行書かなればならない、ちょっとした大作、私にとっては。

 昨夜、書いて見ました。工夫しなくても、線や渇筆(かすれたもじ)が上手く書けました。やっぱり筆ですかね。

 「弘法筆を選ばず」と言いますが、私は空海ではないので、筆は選ばないといけません。もっとも、「弘法筆を選ばず」の本当の意味は「筆の良い悪いを見分ける事ができる」と言う意味らしいのですが、これも、筆の専門家に説明を受けないと解りません。

 しかし、今回筆の洗いすぎと、専門家から言われましたので、以前の筆をもう一度、ふのりで固めて、一応新品にして使ってみる事にします。

 前のは、安物なので、回復しないかも知れませんが、もったいないですから。

 それにしても、今回丹青堂で購入した、「良寛」、書きやすいです。珍しく、ワクワクしています。

 
 朝晩、本当に気温が下がっています。体に気を付けて、さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第五十五段 〔原文〕

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居すまひは、堪へがたき事なり。

 深き水は涼しげなし。淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるものを見るに、遣戸やりどしとみの間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、萬の用にも立ちてよしとぞ、人のさだめあひ侍りし。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『   家の建て方は、夏を想定する方が良い。冬はどんなところでも住める。暑い時季に住み難いのは耐えがたいことである。

  家の中に流れている遣水は、深いと涼しさがない。浅く流れている方が遥に涼しい。細部に目を付けると、遣戸やりど(引き戸)で仕切られた部屋は、蔀戸しとみど(跳ね揚げ式の日よけ)の部屋よりも明るい。
 天井が高い部屋は冬は寒く、夜は灯りも暗い。
 家の中の造作は、使わない部屋を作っておくのが、見た目も趣があり、さまざまな用途に使えて良いと、人の慣例になった。』

 

 

 

『家』

 家を建てるのは、男の甲斐性と言われて育ちました。父は40代で家を建てました。母の誇りでした。

 父は、第二次世界大戦の時、「ビルマの竪琴」の映画でお馴染みの生き残りの一人です。映画と同じ部隊だったかどうかは、分かりませんが、戦争が終わった時に、ビルマから引き上げてきました。

 そして、帰国した翌日から、ガラスが無い陳列に金網を張って、お客さんが来ると、売る時計も無いので、近所の時計屋さんに行って、それを買ってきて、その値段で売りました。そして、何ヵ月か経って時計の修理が来るようになり、時計の修理で生計を立てました。

 そして、修理した時計には新品のバンドを付けて渡したそうです。当時の時計は、粗悪で、直ぐに修理しなければならないようでした。

〔一軒家〕

 私が小学校の3年生の時に、新築の一軒家を建てたのです。父が42歳の時だと思います。戦争から帰って12年経っていました。当時は、店が2店舗に増えていました。 

 その家を売る羽目になったのですから、なんと親不孝な子供だと思います。

 中庭があり、その庭にはほこらがあり、お正月には、家族でお詣りしたものです。その中庭には2m位の高さの灯篭があり、よく50年もの間倒れる事もなく、立っていたと思います。

 前の庭には小さな池があり、当初は木の丸木橋が架かっていましたし、噴水もあり、洋風の庭でした。中庭は純和風でした。その当時流行の和洋折衷だったと思います。

 父親の希望で、その当時の 天上の高さより50cm程高かったので、随分部屋が広く感じました。

 前の家に、床から天井まで、飾りにしていた竹があったのですが、それをマンションに持ってきて設置しています。しかし、 現在のマンションの天井高は2.5mですが、その竹を50cm程斬らないと、飾る事が出来ませんでした。

 部屋も和室と洋室が混在した、和洋折衷の家でしたが、和室と洋室は廊下で区切られていましたから、工夫の跡が見られます。

 確かに、この徒然草の段を読み、夏を主に考えた建築だと思いました。壁も土壁でしたし、夏は涼しく、冬は暖かく、湿気も少ない家であったと思います。

 いかんせん、50年の歳月によって老朽化して来たことは事実です。また、現在の生活にそぐわない部分も出てきましたので、10年程前に家の半分を改装し、屋根瓦を全て近代的にしました。

 それでも、経済的な理由で、売却を余儀なくされてしまいました。誠に不徳の致すところです。

 母が「甲斐性なし!!」と、言っているようです。

〔マンション〕

 今は、マンション暮らしですが、意外と快適に生活しています。

 これは、兼好法師と意見が違って当然ですが、衣食住は、常に時代と共に変化するのが当たり前だと思っています。これは、諸行無常と言った観点からではなく、文明が変化して行くからだと思います。

 よく考えると、文明が発展していく事も、諸行無常の一つだと思います。

 今は、兼好の言うように、暗い部屋など考えられません。理由は電気の利用が行き渡っているからだと思います。逆に雰囲気づくりに、間接照明なども、心の安らぎのために取り入れられています。

 また、冷暖房が行き届いていますので、夏を主眼において建築する必要も無くなりました。

〔災害対策〕

 昔の日本は湿度が高いので、平安時代になる前に考えられた高床式は、今でも必要だと思います。特に川が多いので、洪水対策はしておかなければならないでしょう。

 これも、行政がもう少し河川の在り方に力を入れる事により、今後変化するかも知れません。

 また、災害と言えば、地震国家ですから、東日本大震災を契機に地震対策も随分、新築の建物に施されるようになったと思います。

 先日北海道でも大きな地震がありましたが、地震があってから対策しても遅いと思いますので、今後の対策が急がれる所です。

 こんな時、マスコミは現状起こった事に、批判するのは簡単です。もっと情報力を生かして、ライフラインの強化など、災害が起こる前に警鐘をならすと、マスコミとしての価値が上がると思いますが、如何でしょう。

 「人のさだめあひ侍りし。と、その当時は情報量も違いますし、試行錯誤の結果、色々な経験を踏まえて、建築様式も定まって来たのでしょう。

 現在は情報化時代の割には、まだまだ、縦社会と言うのか、一つの分野で独立してしまい、その分野では、相当詳しく研究されているのでしょう。

 しかし、随分前から、横の繋がりについては、組織の中で主張される部分です。これからは、組織を越えて、横の繋がり、他分野との提携を進める事で、より良い慣習になって行くのだろうと思っています。

 東京スカイツリーを建てる時には、五重塔の心柱を参考にしたと聞いています。実際にテレビでその心柱を紹介していました。

 文明は、確かにものすごい勢いで急成長しています。しかし昔の人の英知に学ぶ事も多いのでしょう。

〔疑問〕

 一つだけ気になる所があります。

 「天井が高い部屋は冬は寒く、夜は灯りも暗い。」と原文にありますが、初めに「冬はいかなる所にも住まる」と断りがあり、夏を見越して建物は立てた方が良いと書いています。

 であれば、この「天井が高い部屋は冬は寒く、夜は灯りも暗い。」は、何と解釈すれば良いのでしょう。夏の暑い時季を涼しく過ごすため、天井を高くしたのではないでしょうか。良く分かりません。

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