文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【78】

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 今日の文字は『ちょう』ですが、『おしゃべり』の意味でこの漢字を選びました。書体は行書で書いています。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第七十七段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
★ 今日は快晴。幼稚園の運動会は、結局されませんでした。今日だったら最高の天気だったのですが、グランドを借りるのも予定があるでしょうから、残念でしたね。折角一生懸命練習していたのに。

★ 築地市場が昨日で終わり、豊洲市場への移転が始まりましたが、11日から営業が始まるようです。まだまだ汚染問題や建物の構造に問題があると言う事で、前途多難な船出となりそうです。

 私もアルバイトですが、大阪の中央卸売市場で働いたことがありました。多分、色々問題があっても、なんとかなって行くと、楽天的に考えています。

 この問題にしても、これだけ色々な事があって、テレビのコメンテーターの中には、「この二年間は何だったのか」と言う人がいます。確かに営業面だけ考えれば、損失もあったかも知れません。

 しかし、立ち止まる事も大事です。私から言うと、非難を浴びながらも、一旦ストップした事は、英断だと思っています。例え、根本的な解決にはならなかったかも知れませんが、普通考えれば、二年前にストップしない理由があったのでしょうか。

 後で外野からヤジを飛ばすのは、至って簡単な話です。コメンテーターさんそんなに賢い人ならば、アイデアを提供してはどうですか。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第七十七段 〔原文〕

 世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに言ひあへること、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内あない知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね。ことに、かたほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、わがことと尋ね聞き、如何でかばかりは知りけむと覺ゆるまでぞ、言ひ散らすめる。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『世の中でその時評判になっている話題を、話すべきではない関係ない人が、内情をよく知っていて、人に言い、また問うては聞いているのは、感心できない。

 とりわけ、片田舎の聖法師ひじりほうしは、世の中の身の上話を、自分の事のように尋ね聞き、如何にしてそこまで詳しく知っているのかと思えるほど喋って広げる。 』
【参照】
聖法師ひじりほうし:一つの寺や宗派に属さず、諸国を巡って修行に専念する僧。
(出典:学研全訳古語辞典 学研.)

 

 

『お喋り』

 前回も聖法師ひじりほうしの行状にクレームをつけるような文章でした。今回は、お喋りな聖法師ひじりほうしに苦言を呈しているのでしょう。

 当時の宗教界の乱れを物語るようです。宗教界の乱れに私ごときがスポットを当てても、当時の様子も分かりませんし、そもそも宗教界自体も私には理解するところまで、情報もありません。

 しかし、私の場合は、『お喋り』については、何度も失敗していると思いますので、この点について言及することにしましょう。

 35歳を過ぎるころまでは、毎日、あんなこと言わなきゃ良かった。と思う毎日だったと思います。ですから、決して寡黙とは言えません。

 普通は、失敗は成功の基なんでしょうが、私の場合は、失敗が失敗を誘発していたように思います。

 だからと言って、関係のない事の内情に詳しかった訳ではありません。しかも、活字に弱いですから、新聞や雑誌の類に目を通す事もありません。私の情報の元になったのは、人との会話だと思います。

 これが非常に不思議なのですが、お喋りですから、人の言う事をしっかり聞く事が出来ません。前にも書いていますが、『人の話は、最後まで聞いてやれ』と言われたくらいですから、決して聞き上手ではないのです。

 インターネットが普及してからは、確認したり、調べたりすることが、手軽になりましたから、人から話を聞いて、分からない事は、直ぐに調べる事が出来るようになりました。

 ただ、解らない事や、興味がある事には、意外と追及するタイプなのかも知れません。活字アレルギーとも言える私が、調べものになると、辞書を片手に専門書も読みます。それも食事をする事も忘れて没頭する事になります。場合によっては本屋さんに行って立ち読みする事もあり、また、一行の為に、本を買った事もありました。

 兼好法師は、聖法師ひじりほうしの行状に、ある意味レッテルを貼って見ていたのかも知れません。

 この文章でも、最後の『世の人の上は、わがことと尋ね聞き、如何でかばかりは知りけむと覺ゆるまでぞ』の部分については、そんなに悪い事でもないと思います。

 世俗の人の身の上話を聞いてやり、親身になって相談を受けているようにも思えます。ただし、次の『言ひ散らすめる。』と言うのが気になったのでしょう。

 人の身の上話を聞いて、相談に乗ってあげる事は、親切な事だと思いますが、それを他人に言いふらしているとしたら、 兼好法師でなくても、文句の一つも言いたくなるでしょう。

 この文章を読むときでも、『言ひ散らすめる。』と言う言葉を見るまでは、『なんで』と早とちりしていました。物事は、最後まで聞いて見ないと、又は、読んで見ないと解らないものです。

〔スピーカー〕

 今でも口の軽い人はいますね。そんな人をスピーカーって言ったような気がします。

 子供の頃にも、そんな人の噂を聞いたことがあります。もちろん大人の人の話ですが、これをその時に言いふらすと、まさにこちらがスピーカーになってしまいます。

 私の、人の話を最後まで聞かないのと同じで、これは癖を通り越して、病気かも知れません。

 何か、人の噂や裏話を聞くと、人に言わずにはいられなくなるのでしょう。

〔出しゃばり〕

 私が失敗と書いたのは、余計な事を言ってしまった後で、言わなくても良いのにと思う事です。

 『小さな親切、大きなお節介』です。自分は親切心で言っても、相手がそう取ってくれなければ、余計なお世話になります。このあたりが、その頃には気が付きませんでした。折角言ってるのに。と言った具合です。

 この余計な事を、余計な時に言ってしまうから、なお始末が悪いのです。どういうことかと言いますと、自分とは関係のない話をしている人達がいるとしたら、わざわざ話に加わらなくても良いと思うのですが、その会話をそばで小耳に挟んだ場合でも、自分が知っている事であれば、言わずにいられないのです。

 まぁ、何とも出しゃばりな男ですね。昔から『男の喋りは、みっともない』と言われて育ったはずなんですが、効き目がなかったのですね。

 出来るだけ揉め事なんかには、関わりたくないのが本当の気持ちですが、気持ちとは裏腹に、直ぐに出しゃばってしまいます。

 お陰でしなくても良い苦労をした事もありましたし、危険な事に何度も遭遇しました。ここでも、ほどほどにしておくことが処世術なのかも知れません。

 あっ、最近は人と喋る事が、まずないので、そういう心配はしなくても済んでいます。 

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