文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【82】

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 今日の文字は『しつ』です。品質の質です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第八十一段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 
 昨夜は、テレビのチャンネルを変えていたら、バレーボール女子の世界選手権、日本対セルビアの試合があったので、しばらく見ていたのですが、あまりの差に、他の番組に変えました。

 しばらくして、もう一度チャンネルを戻したら、なんと2対1と勝っているではありませんか。

 それで、最後まで見る事になったのですが、1セット目とは、まったく違い、特にセッターの活躍は、見ていて感動しました。

 昨夜は、2次リーグで、結局、日本はセルビアにセットカウント3対1で勝ち通算成績を7勝1敗として3次リーグへと進出する事になりました。

 18歳の時に当時のソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)に、寄せ集めのチームですが、オリンピック青年協議会の一員として、バレーボールの選手で1ヵ月ほどソ連の各地を転戦して回った事がありました。

 と言う分けで、すこしバレーボールも経験しましたので、興味があります。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第八十一段 〔原文〕

 屏風・障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣ふでやうして書きたるが、見にくきよりも、宿の主人あるじつたなく覺ゆるなり。

 大かた持てる調度にても、心おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまになし、珍しからんとて、用なき事どもし添へ、わずらはしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたく ことごとしからず、ついえもなくて、物がらのよきがよきなり。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『屏風・障子などの絵や文字も、粗雑な書きぶりで書いてあるが、醜いというよりも、家主が愚かに見える。

 大抵その人が持っている調度品でも、心が劣って見える事がある。だからと言って、立派な物を持たなければならない、と言うものでもない。

 壊れないようにと、品格も無く醜くなったり、奇を衒って役に立たない飾りを煩わしく感じるほど付けてる事を言っているのである。

 古めかしく、派手な装飾も無く、壊れにくいような品質の良い物が良い。』

 

 

『質』

 品質と言っても、品質に占める要素は、その人によって価値感が違うと思います。

 兼好法師は、『古めかしきやうにて、いたく ことごとしからず、ついえもなくて、物がらのよきがよきなり。』が良いと言っていますが、この文章には、読み解くのに困難な部分があります。

 古めかしい事が第一条件で、仰々しい飾りがなく、丈夫で、とここまでは、兼好法師の価値観を想像する事ができます。

 しかし、次の『物がらのよき』は、非常に抽象的で、前の文章を重ねているのか、それとも、前の文章の中には品質は含まれていなかったのか、理解に苦しみます。

 ですから、この部分は単純に、重ねて言って、強調しているとしておきましょう。

 それにしても、持ち主をこけ下ろして置いて、『古めかしきやうにて』と古い物への愛着なのか、それとも、その時代には、兼好法師の価値観に合うものが無かったのか、この辺りもよく分からない文章です。

 ただ、兼好法師がこけ下ろした物は、どんな物だったのでしょう。今見る事ができるものは、名前の通った人の書や絵しかないと思いますので、想像する事も出来ないと思います。

 想像を逞しくして、兼好法師の時代の様子を考えて見る事にしましょう。

 鎌倉時代の後期から南北朝時代の前半は、書家で言えば、三蹟さんせき

 三蹟さんせきとは、過去から現在にいたるまでの書家の中で、この上は無いと言われる名筆ですが、小野道風おののとうふう(平安時代中期藤原佐理ふじわらのすけまさ(平安時代中期)藤原行成ふじわらのゆきなり(平安時代中期)と、いずれも平安時代の人です。

 兼好法師の時代では世尊寺流三筆がありますが、三蹟の一人、藤原行成は平安時代中期ですし、世尊寺行能せそんじゆきよしは鎌倉時代でも前期になります。そして、世尊寺行尹せそんじゆきただが鎌倉時代の後期から南北朝時代に活躍した書家です。しかし、すでに書道が公卿、貴族の人達の間では盛んであったと思われます。

 絵の方は、源氏物語絵巻が既に書かれてあり、釈迦金棺出現図しゃかきんかんしゅつげんずがやまと絵と仏教絵画を融合して出来ています。

 鎌倉時代には、無準師範像が1238年と言いますから、兼好法師の生まれる50年程前に書かれています。

 鎌倉時代の初期には禅宗とともに水墨画が中国から入って来た時代で、僧侶の手によるものが多く残っています。代表的な絵としては、達磨図が1278年までに書かれていて、蘭渓道隆像らんけいどうりゅうぞう1271年の作と言われています。

 水墨画と言えば、雪舟が有名ですが、臨済宗の僧であった雪舟は、水墨画を描く事も坐禅と同様、修行の一つだと考えていたそうです。ただ、雪舟は兼好法師が亡くなってから70年後に生まれた人です。

 兼好法師は一般的には1283年の生まれと言われています。とすれば、書も絵もそれなりに書き手もいたようです。
 
 想像ですが、問題にしているのは、禅宗の僧が屏風に書いた物や、障子と言うのはどういう風な物か想像できませんが、古語辞典(学研全訳古語辞典)によりますと、現在の襖の事も障子と言ったようですから、襖に書いた文字でしょう。

 修行のために書いた文字や絵を、立派なものだと家に飾っているのは、いただけないと、兼好法師は思ったのかも知れません。もしかしたら、これを僧侶がなにがしかの金銭に変えていたかも知れません。想像ですよ。

 そこから飛躍して、調度品に話が変わるのですが、ここで言われている調度品は、日常品と、家の中に飾りとして置いてある物も、含めて言っていると思います。

 持ち物に対しては、このブログでも、 『礼と節』を表現してみよう。 Part-9 『礼と節』を表現してみよう。 Part-10に身に付ける物を書きましたが、ここでは、家に置いておくものにスポットが当てられています。

 現在でも、身に付ける物も、家の中に置いてある物も、その人の価値観が分る物の一つである事に、違いがありません。

 話し方や立ち振る舞いに、その人が現れるのは言うまでもない事ですが、質の良い物が、家の中にさりげなく置かれていると、その人の人柄が分るものです。

 特に兼好法師が指摘している家は、屋敷を指しているのだと思います。どんな立派な門構え、そして屋敷であっても、中に置いてある物が陳腐であったり、これ見よがしに飾り立ててあると、いわゆる『成金趣味』と思われても仕方がありません。

 多分そんな屋敷が多く存在したのでしょう。現在でも、高度成長期にはよく見られた光景だと思います。

 実際に使用する物については、現在でも使いもしない余計な機能がやたらと付いている物もありますが、昔の物を見ると、彫刻が施してあったり、螺鈿らでんで細工されている日用品があります。

 兼好法師から見ると珍しからんとて、用なき事どもし添へ、わずらはしく好みなせるをいふなり。と原文にあるように、必要ないと言い切ってしまいたい物だと思います。

 これは、美的感覚の違いかも知れませんが、昔の装飾が施されている物の中には国宝に指定されているものもありますし、美術品として博物館などに展示されている物もあります。

 しかし、実際に使う物としては不必要だと私も思います。それよりも、シンプルであっても、使い勝手の良い物には、研ぎ澄まされた美しさを感じ、素朴な魅力を感じます。 

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