文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【127】

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 今日の文字は『きょう』です。境目さかいめと言います。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百二十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

『「夕食後」の「ウォーキング」は、ジョギングより体にいい!?』
(ALLAbout 小林 弘幸(医師) 2018/11/24 17:45)

「健康維持」を望むのであれば、ジョギングではなく「ウォーキング」がお勧めです。—–中略—–
もちろん、運動能力を高めたり、筋力をアップさせたりといったトレーニング効果を求めるのであれば、ジョギングは身近な方法でしょう。しかし、ジョギングのほうがウォーキングよりも健康効果が高いかというと、それは別問題です。実際には、ウォーキングのほうがジョギングよりはるかに健康効果は高いのです。ジョギングは運動量が大きいため、どうしても呼吸が速く、浅くなり、副交感神経のレベルを下げてしまいます。

とくに中高年の方は、そもそも副交感神経のレベルが低下しているので、それをさらに下げるような運動は、健康維持効果があるどころか、かえって体を老化へ追いやる可能性があるのです。
—–中略—–
運動により呼吸が浅くなった状態では、完全に血流が止まるわけではありませんが、危険といっても過言でないほど血流が激減することは事実です。

ですから、「健康」ということを考えるのであれば、呼吸が浅くなってしまうような運動はよくありません。健康効果を望むのであれば、ウォーキング程度の軽い運動で充分です。

—–中略—–
ウォーキングのよい点は、「呼吸を意識する時間がたくさんある」ということです。呼吸で大事なのは、自律神経の中でも、副交感神経を上げるということ。交感神経を高めて血管を締めるのは簡単ですが、それを広げる作業というのが難しいのです。

呼吸は特に吐く息が重要になります。1で吸って、2で吐く、吐くほうを長くします。ゆっくり1数える長さで息を吸い、その倍の時間をかけて吐くだけです。これは息を吐くときには頸部(首・のどのあたり)にある受容体が反応して、それが自律神経を刺激して副交感神経を高めるからです。そうやって吐くほうに意識をもっていけば、血管が開き細胞にも血流が行きます。

「夕食後のウォーキング」が理想的な運動
では、ウォーキングの時間帯ですが、いつするのがいいのでしょうか。お勧めは「夜」です。夕食後から寝る1時間前までに、30分から1時間ほどゆっくりウォーキングをすることが理想です。
夜は副交感神経が優位になる時間帯なので、そのときに交感神経を刺激することを進めるなんて矛盾しているようですが、そうではありません。なぜならば、激しい運動をしなさいといっているわけではないからです。自律神経を整えることを目的とした運動は、ウォーキング程度、高齢者なら散歩と思っていただいて結構です。

朝は交感神経が高い時間帯なので、血管が収縮して体が硬くなるため、運動でけがをしやすくなりますが、夜の適度な運動は末梢の血管を開きます。
—–後略—–

 この記事は、参考になると思います。ただ、この高齢者と言うのが問題で、色々な高齢者がいますので、自分の体力に合わせて、運動はした方が良いと思います。

 ちなみに、私は、今、朝の体操を止めて、夜のスロージョギングをしています。時間は40分のスロージョギングと、40分の鍛錬です。

 私のスロージョギングは、通常の速足でウォーキングされている人に、追い越される程度の速さですから、至って遅いです。

 自分よりかなり背の低いおばさん(失礼)に、どんどん追い越されます。私はこのスロージョギングの間に気を付けているのは、呼吸です。

 小さい声で歌を歌いながら走っています。走ると言っても、歩いている人に追い越されますが、その時、ちゃんと歌える事がバロメーターになります。

 そして、走り終わった時に、息はまったく弾んでいない事を条件にします。しかし、結構汗ばむので運動にはなっていると思います。

 先に、自分の体力に合わせて、と書きましたが、息が弾む事も健康な人には大切で、呼吸循環機能の強化に繋がりますので、私も少しは呼吸循環機能の強化もしています。

 これは、例えば、腕立て伏せでも出来ますので、このスロージョギングとは別の時間帯があれば、週に2回から3回程度やれば良いと思っています。あくまでも、呼吸循環機能の強化ができる体力のある人向けです。

 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百二十六段 〔原文〕

 「博奕の負け極まりて、殘りなくうち入れむとせむに逢ひては、打つべからず。立ち歸り、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よき博奕といふなり」と、あるもの申しき。

 

 
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『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

『 「博奕の負けが込み、少し残った金をつぎ込むようだと、こちらは止めるべきである。流れが変わり、相手にツキが来たと知るべきである。そんな変わり目を知る事が良い博奕という」とある人が言っていた。』

 

 

『境』

 へぇー、そんなものか、と思います。反対の場合はよく見かけ、スッテンテンになるのが普通だと思っていました。

 住之江競艇場で警備の仕事をしていた時がありました。お客さんが帰る時に、帰る電車賃もなく、お金を借りに来た人が、結構いました。この人達は自分の潮目が判らなかったのですね。そこまで負けなきゃいいのにと思いました。

 確かに、博奕に限らず、勝負には潮目と言うのがあるようです。勝負でなくても会社経営でも、追い風と、向かい風があるようです。

 私の友人が中小企業の社長をしていましたが、そこそこ大きな中小企業ですが、私に、風が吹かないと上手くいかない、と言っていた事がありました。

 バレーボールの試合をテレビでよく見ますが、前のセットでは優勢に試合をしていたチームが、セットが変わると途端に劣勢になってしまう事があります。

 また、セットの中でも一つの何かが原因で、優勢から劣勢に転じる事もあります。その何かはミスとは限らないので、流れと言うか、潮目、風と言われているものかも知れません。

 細かく分析すると、何かの要因が流れを変えているのでしょうが、実際にその時は、不思議な力で変わったように感じてしまいます。

 昔から権力者は、占いなどに頼る事があると聞きます。まさに、時を知るためでしょう。ですから、そのチャンスや潮目と言ったものは、まだ普通の人間には知る事が出来ないのでしょう。

 現在でも毎日の占いや、街角やビルの一室に占いを生業にしている人が沢山いるようです。

 もちろん現在の占いは、当たるも八卦当たらぬも八卦ではなく、統計などを駆使して科学的に、未来を予測しているのかも知れません。

 ですから、その時期を知っている人は、博奕であっても人生であっても、良い方向に向かう事を予知できるのだと思います。

 もし、そんな予知能力が備わっていたら、と思う事もしばしばあります。

 残念ながら、まったく予知能力はなさそうです。一時は自分が予測した事と、反対にすると上手く行くこともありました。

 ただ、人生の中で一年間ほど、競馬を的中させた事がありました。自分は買っていないので、恩恵には預かりませんでした。また、それを聞いた人も、全く信じていなかったので、その人も結果は私と同じです。お互いお金には縁が無かったのでしょう。

 まあ、自分が買っていたら、欲が出て当てる事など出来なかったかも知れません。

 境目と言うと、人生で言えば岐路にあたります。人は多分ですが、真直ぐに一本道を歩む人は稀だと思っています。

 誰でも、二股あるいは、複数の道の選択を迫られる事が、あるのではないでしょうか。二股と言っても男女の関係ではありませんよ。

 そんな時に人は色々な方法で、今歩んできた道を選んだと思います。

 ある人は、それこそ、占いに頼り、またある人は、信頼できる人の言葉を信じて、また書籍からヒントを得たり、人さまざまな決断をしながら、今に至っていると思います。

 もちろん、何となくとか、流されるままに生きて来た事もあるでしょう。私なども大半は、流されるまま現在に至っていると思います。

 博奕と言うのかどうか、パチンコでは、機械を相手ですが、パチンカーの中には、オカルトと呼ばれるような方法で、勝つための方法を作っている人もいるそうです。

 競馬や競輪でも、必勝法と言う書籍が売られていますので、幾らかはそんな方法が信じられているのかも知れません。

 大部分は、怪しいとは思いますが、それでも信じる人がいるのでしょう。

 今は全くやりませんが、一時パチンコに嵌っていた事もありました。学生の頃ですが、半プロと呼ばれた事もあります。その時思ったのは、釘やパチンコ店の思惑以外に、波を感じた事もあったと思います。

 今では、全くそんな能力もありませんし、信じても居ませんが、何かに夢中になると、「場を見る目」が身に付いてくるのかも知れません。

 私のライフワークである空手道でも、「場を見る目」は確かに実感できています。これも詳細に分析すれば科学で解明されるのでしょうが、人間の不思議な能力と言えるでしょう。

 最近始めた書道でも、初めは見えなかった、僅かな筆運びや筆圧なども分かるようになってきます。もちろん、まだ見えてない部分もあるのでしょうが、見えないから解りません。

 ですから、陰陽道おんみょうどうの祖と言われた安倍晴明などは、不思議な能力を持っていたのかも知れません。

 信じる信じないは、その人の自由ですが、歴史上そのような超能力や神通力、千里眼と言われるような能力があったとされる人もいたと聞きます。

 私は、それらの事は信じない派ですが、 人間が昔持っていて、現在は失われている能力はあったのではないかと、考える方です。

 そこで、この段のように勝負の勘どころは判りませんが、何かに迷ったり、考えがまとまらない時には、性格的には流され派ですが、時には、自分で決断を迫られる場合もあります。

 そんな時に、私が取る方法は、MKJ法と言われる方法です。勝手にKJ法に自分の名前を前につけているだけですが、すこしKJ法とは手順が違います。

 KJ法を参考にして私がやり易いように改造していますが、根本の考え方は、NM法を基にKJ法化したものです。

 ちなみに、NM法は中山正和と言う学者が発明したアイデア生成の理論で、KJ法は文化人類学者の川喜田二郎(東京工業大学名誉教授)氏が考案したデータのまとめ方です。

 で、私の方法は至って簡単です。表計算のソフトを使います。使いやすいのでマイクロソフトのエクセルと言うソフトを使っています。

 川喜多二郎氏が考案した方法は、ある程度の人数で、ブレーンストーミングと言う方法で意見を出し合い、一件処理を原則として、京大式カードに一つの意見を書いていきます。

 私は、これを一人ででも出来るようにしました。ブレーンストーミングの変わりに、テーマだけを頭において、関係あるなしを問わず、心に浮かんだ言葉、短文を、エクセルの一行に書きます。

 これも一件一行がルールです。それを思い浮かべられるだけ、行数を重ねます。

 だいたい出尽くしたところで、似たような行を集めます。これはエクセルを少し使える人は、簡単に並び替えられると思います。

 そして、その一行の前に一列追加挿入します。その追加した列に、似たような行だけの、集約文を書きます。

 これを何度か繰り返しても良いですし、一回だけでも構いません。自分が文章を書ける段階まで絞り込みます。

 今度は、これを文章らしくなるように、例えば「起承転結」や「三段論法」のように、集約した文章、これをKJ法では名札作りと言ったと思いますが、名札ごとに並べ替えます。

 後は、文章らしく、別のタグかメモ帳に書いて行くだけです。

 私の場合は、会社やグループでの問題解決ではなく、自分自身の問題解決ですから、文章もそんなに上手くなくても構いません。自分で読めれば良いのです。

 この文章が出来る頃には、問題の解決の糸口は見つかるようになっています。

 この結果を参考に、潮目や風を少し感じられるようになると思います。

 このブログも、内容が複雑になる時は、この方法で書く事もあります。

 この方法は、やり始めると面白いように、手順を追うだけで、問題解決の糸口にたどり着きますので、まるで魔法のように感じる事もあります。ですから、少人数でこれをやると、ちょっと宗教的になってしまう人もいるようです。

 ですから、あまり深入りしない事を勧めますが、MKJ法(私のKJ法)ではそんな心配はいりません。人でするのですから。大いに問題を抱えている人は、ツールとして使って下さい。

 あっ、これは博奕には使えません。あしからず。

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