文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【147】

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 今日の文字は『とう』です。あたると言う意味で書きました。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百四十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る

 

『韓国の中学から竹島教育批判のはがき 島根の中学に41通』
(株式会社 産経デジタル 2018/12/14 20:02)

 「韓国の女子中学校の生徒名で、日本の竹島教育を批判するはがき41通が島根県内の中学校に届いていたことが14日、わかった。県は国に報告し同日、竹島問題研究会座長名で反論の手紙を中学校に送った。同県に同様の郵便物が届くのは、昨年5月に続き2例目。

 県竹島対策室によると、はがきは11月26、27日に県内の1校に届いた。竹島(同県隠岐の島町)について「韓国のもので、日本は誤った教育をしている」などと抗議する内容で、実在する女子中学名や生徒名が記されていた。筆跡などから、送り主は1通1人、計41人とみられるという。

 県によると、反論の手紙は、竹島が韓国領だとする生徒の主張を否定し、その根拠について「みなさんも『文献批判』を行って、事実を明らかにする必要がある」などとしている。

 同研究会の下條正男座長は「韓国では竹島問題について実践的な活動を奨励しており、今後も同様の活動が続く」とみている。」

 領土と言うのは、北方領土、尖閣諸島とならび、その背景や相手国が違うが、双方ともに自国の物と主張しています。

 確かに、日本の教育を受けていると、この竹島、北方四島、尖閣諸島、いずれも日本固有の領土と思えます。

 『関係国どちらにも言い分があって、その主張に根拠があり』(出典:日本政治.com【社説】日本人として知っておきたい領土問題)かも知れませんが、その主張の根拠が正しいか疑問に感じます。

 そして、この中学生からの手紙は、どうしても韓国の国策としてしか見えません。百歩譲ったとしても、教育は国によってなされています。特に中学生と言う思春期に学校で教育された事は、大人になってからも自分の考えとして根付くと思います。

 そんな教育が日本でなされているのでしょうか。少なくとも、日本では、国益よりも、日本固有の領土であると言う、根拠のある主張を、学校教育で教えるべきだと思います。

 根拠のある主張は、外務省が国益を重視した資料だけではなく、客観的な根拠、相手の主張に対抗できる、思い込みではない教育がなされると良いと思います。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百四十六段 〔原文〕

 明雲座主、相者さうじゃに逢ひ給ひて、「己若し兵仗の難やある」と尋ねたまひければ、相人、「まことにその相おはします」と申す。「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおはしますまじき御身にて、假にもかく思しよりて尋ね給ふ。これ既にそのあやぶみの兆なり」と申しけり。

 はたして矢にあたりて失せ給ひにけり。

 

 
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『現代文』

『明雲座主が、人相を見る人に会って、「私は、もしかして武器の難がありますか」と尋ねたら、人相を見る人は「本当にその相がでています」と言われた。「どんな相ですか」と尋ねると、「襲われる恐れもないのに、仮にもそんな事を心配するのは、既に危険が迫っている兆候です。」と言われた。

 やっぱり、矢に当たって亡くなった。』

 

 

『当』

 不吉な予感かも知れません。何度も、いままでに思った事はありますが、当たったためしがありません。

 だからと言って、予感とか予想というのが、まったく信じられない分けでもありません。

 ただ、科学的な根拠は分かりません。それでも、胸騒ぎとか、勘とかがあたる事はあると思います。

 概ね、経験値から割り出しているとは思うのですが、どちらかと言うと、経験から論理的に考えて答えを導き出す方法が、自分にあっていると思います。

 前に紹介した、問題解決の手法、 MKJ法を使って解決の筋道を考えます。

 ただ、問題解決の手法は、あくまでも、問題がある場合です。しかし、ここで書かれてある人相や予感は、この問題があるかないかを教えてくれているのだと思います。

 世の中は、自分の知らない内に問題に直面してしまいます。ですから、問題が起こる前に、予兆を知る事が出来ると便利ですね。

 昔から、よく言われるのが、「虫の知らせ」と言われるものですが、何も虫が知らせてくれる訳でもないでしょうが、お腹の虫が鳴くという類でしょうか。

 前回の観察眼では見抜く事ができない領域を、人間は持っているのかも知れません。第六感と言われるものです。

 これが、単なる偶然か、それとも本当に感じる事が出来たのか、今のところ分かっていないと思いますが、それでも、なんだかいやな予感がしたりする事もあります。

 よく歴代の名僧と言われる人は、 自分の死を予め知って、旅立つ準備をすると聞きます。

 名僧ではありませんが、私の父は、年の初めに、「今年で終わりやな」と言った事が、いまだに耳に残っています。本当に死を予感したのでしょうか。

 実際に亡くなったのは、次の年の1月に入ってからですが、「今年で終わりやな」と言った年の8月には既に意識が無くなっていました。

 残念ながら、今となっては、真意のほどを確認する事ができません。

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