文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【173】

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 今日の文字は『若気わかげ』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百七十二段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 若気

 

☆自家製、簡単「きつねうどん」のレシピ公開
 
 「きつねうどん」なんて誰でも出来る。そう思います。でも、外で食事をして、なんでこんなまずい「きつねうどん」、作るのか。と思った事もしばしばありました。

 そこで、私がおいしいと思う、きつねうどんの作り方を紹介します。今日も一人前の分量で書きました。

  1. 用意する物
    (1)だしの素、「やまや、焼あご入り、うまだし」【一袋。】
    (2)濃口醤油「キッコーマン特選丸大豆しょうゆ」【大さじ1杯。小さじ1杯。】
    (3)みりん・料理酒【各大さじ2杯】
    (4)砂糖【大さじ2杯】味見しながら、ちょっと甘いかもくらい。
    (5)塩【一つまみ弱】甘味がぼけません。
    (6)うす揚げ【1枚】できれば薄い方が良いでしょう。
    (7)冷凍うどん【加ト吉】
  2. 作り方(汁)
    (1)どんぶりに山盛り一杯の水に、だしの素を入れて沸騰させて、だしの素を取り出す。
    (2)火を止めて、濃口醤油を大さじ1杯だけ入れる。
  3. 作り方(揚げを煮る)
    (1)2.の汁を別の鍋にうす揚げがしたる程度に入れる。
    (2)(1)に濃口醤油を小さじ1杯入れる。
    (3)(2)にみりん・料理酒を大さじ2杯、砂糖を大さじ2杯入れる。
    (4)うす揚げを入れて、味が染みるまで、何度か裏返して煮る。
  4. 2.に冷凍うどんを入れて沸騰したら出来上がり。どんぶりに入れて、3.を乗せる。あれば柚子の皮を少し乗せると一段と美味しくなります。
  5. 【加ト吉】の冷凍うどんでなければ、別に茹でた方が良いでしょう。好みなので強いては言いませんが、いろいろ試して見て、【加ト吉】の冷凍うどんが一番手間なくおいしく食べられました。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百七十二段 〔原文〕

 若き時は、血氣 内にあまり、心、物に動きて、情欲おほし。身をあやぶめて碎け易きこと、珠を走らしむるに似たり。美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔の袂にやつれ、勇める心盛りにして、物と爭ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず。色に耽り情にめで、行ひを潔くして百年の身を誤り、命を失へたるためし願はしくして、身の全く久しからんことをば思はず。好けるかたに心ひきて、ながき世語りともなる。身を誤つことは、若き時のしわざなり。

 老いぬる人は、精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動くところなし。心おのづから靜かなれば、無益のわざをなさず。身を助けて愁へなく、人の煩ひなからむことを思ふ。老いて智の若き時にまされること、若くして、かたちの老いたるにまされるが如し。

 

 
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『現代文』

『若い時は血気が内に余り、心が物にとらわれ、情欲が多い。身を危険に晒して砕けやすいのは、球を転ばしているのに似ている。美しい事を好み財をつぎ込み、あるいはこれを捨てて、俗世を捨てている僧・隠者などの衣服に身をやつし、蛮勇は盛んで、人と争い、反省したり、恨んだり、心は安定しない。色事に陥り、色恋に心惹かれ、躊躇なく世を渡り、将来を誤り、命を軽く思い、天寿を全うしようとはせず、好き勝手な事に心を惹かれ、世の語り草にもなる。身を誤るのは、若い時の仕業である。

 老人は、精神が衰え、淡泊で無頓着で、感じて心が動揺しない。心は自然と静かなので、無益な事をしない。我が身を労わり、人に煩わしく思われないように考え、老いて若い時より智慧が勝っているのは、若者が容姿で老人に勝っているのと同じである。』

 

 

『若気』

 なるほど、「若気の至り」と言うのは、そういう事かと、自分の事を振り返りました。

 確かに、危険な事も厭わない、蛮勇があり、心が安定していなかったと思います。それが『血氣 内にあまり』と言う事なのかも知れません。

 空手道を長年やっていると、気と言うものを感じる事が出来るようになりましたが、その根拠と言われるとよく分かりません。ただ科学的に解らないものでも、自分が感じる事を信じているだけです。

 振り返ると赤面するような事を、何度も繰り返しこの歳まで来たことは、事実でしょう。

 ただ、世間にとやかく言われる程の、破天荒な事は無かったとは、思います。

 この歳になると、流石に大人しくしているのですが、果たして「若気」から来るものでしょうか。

 また、老人の精神が衰え、と言うのもどうでしょう。物に対して惹かれることも無くなるのであれば、生きていても仕方がないと思うのですが、これは、まだ年老いていないと言う事なのでしょうか。

 ただこの老人に対する文章でも、『精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動くところなし。』の部分は共感できませんが、『心おのづから靜かなれば、無益のわざをなさず。身を助けて愁へなく、人の煩ひなからむことを思ふ。』と言う事に対しては、老人だからとか血気が盛んであるとかではなく、人間として、こうありたいと思います。

 これも、年を取った証かも知れません。物事に興味を失わないようにしようとは思っています。

 「若気」と言えるのかどうか解りませんが、確かに持久力は無くなってきました。気が付いたのは65歳を過ぎてからだと思いますが、疲れるようになりました。これは、生活をするのに体力を使わなくなり、運動量が少なくなっただけだと思っていましたが、今のところ、老いのせいかどうかわかりません。

 体が疲れを知るようになると、気力も衰えます。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言う言葉を聞いたことがありますが、若い頃はあまり気にしていませんでしたが、やはり、元気が無いとやる気も出ないと思います。

 ただこの言葉も健やかな身体に健やかな魂が願われるべきであると言う、古代ローマ時代の風刺詩人で弁護士のユウェナリスが書いた『風刺詩集』が出典と言います。

 元気があるだけでは、兼好法師の言う「若気」になってしまうのでしょう。ですから、老人だからと言う分けでは無く、若い頃から色々経験をして、世の中の事も勉強して、人として弁える事も覚えるのではないでしょうか。

 少しずつ成長して、大人になったと思ったら、終末を迎える。と言うのも癪にさわるような気がします。

 ですから、できれば、大人になるまでにある程度の人間としての弁えを身に付けた方が、人生が有意義に過ごせると思います。

 言葉を変えて言えば、未熟から成熟への道のりが、私の場合は少し長すぎたかも知れません。私と同様の時代を経た人、あるいは私が生まれた時代よりも後で生まれた人達は、私より前に生まれて教育を受けた人よりも、幾分成長に時間がかかり過ぎているように思います。

 私の感覚では、昔の人は16歳から遅くても20歳を迎える頃には、青年であったと思われます。今は、私から見て40歳を過ぎても青年になり切れていないように思いますが、これは寿命が延びたのと関係するのでしょうか。

 『老いて智の若き時にまされること、若くして、かたちの老いたるにまされるが如し。』この事は、私も含めて年老いたものが、鵜呑みにしてはいけません。

 智は老いて出来るものではなく、生き方にあると思います。若い人の中にも智慧のある人がいますし、徳の備わった人もいます。年老いた人が必ずしも智慧があり人間が出来ているとも思えないのが現状です。

 確かに美醜から言えば、若い人の方が、男女を問わず美しいと思います。しかし、自分の事はちょっと横に置いて、俳優さんを見ていると、男女を問わず、年老いて逆に味のある容姿になっている人を見かけます。これも生き方かも知れません。そうなりたいものです。

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