文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【194】

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 今日の文字は『境界きょうかい』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百九十三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 境界

 

 昨日まで、レシピを書いていましたが、このブログではタイトルが『徒然草』ですから、検索するのも大変だと思い、まとめて『男の料理』と題して右側のプロフィールの下にある、ブログコンセプト、考察とタイトルがある下に追加しました。

 この『男の料理』をクリックするといつでも、『ある物で、簡単に、おいしい』、をモットーにしたレシピを見る事ができます。私も活用しています。是非迷った時には、活用して下さい。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 

 

徒然草 第百九十三段 〔原文〕

 くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はむ、更に當るべからず。

 つたなき人の、碁うつことばかりにさとく、たくみなるは、賢き人の、この藝におろかなるを見て、おのれが智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、わが道を人の知らざるを見て、おのれ勝れたりと思はむこと、大きなるあやまりなるべし。文字の法師、暗證あんじょうの禪師、たがひにはかりて、おのれに如かずと思へる、共にあたらず。

 己が境界にあらざるものをば、爭ふべからず、是非すべからず。 

 
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『現代文』

『愚かな人が見当をつけて、その知恵を知ろうと思うのは、ますます当たらないに違いない。

 碁を打つ事だけに頭が働き巧みであるような未熟な者が、賢人であるがこの芸が下手な事を、自分の智慧に及ばないと決めつけしまう。全ての道の匠が、自分の道を人がその事を知らないと言って、自分が勝れていると思う事は、大きな間違いである。

 経文・経論の解釈にこだわっていて、実践的な仏道修行を怠っている僧、座禅ばかりしていて教理をおろそかにする禅僧、互いに憶測し、自分より劣っていると思うのは、共に間違っている。

 自分の専門以外の事で争うべきではない。良い悪いを言うべきではない。』

 

 

『境界』

 『境界にあらざるもの』専門以外と現代文にしましたが、人にはそれぞれ、得意分野と言うものがあると思います。

 特に優れていなくても分野と言うものがあると思います。例えば私などは、空手道が基軸になっていますので、何かにつけて、空手道であればと考えてしまいます。

 何か基軸になるものがあると便利です。書道なども、まず空手道であれば、と考えると、筋道ができます。今までの社会生活でもやはり空手道を基に考えていました。仕事などは特に有効にこの考え方が役に立ったと思っています。

 ここで言われているように、自分の専門に自信をもって他の人を比較しようと思った事はありませんが、なるほど、そういう考え方の人もいたような気がします。

 私は、多分ここで言われている人は、匠でも熟達の士でもなく、道半ばにも達していない人の事だと思います。でなければ、物事を追求すればするほど、先が永い事に気が付くはずです。そして自分の未熟さを知らされると思っています。

 大概、その道の達人や匠と言われる人は、人と比べる事よりも自分が少しでも上を目指そうとしているように思えます。ですから、まだまだの人は自分がある程度になってくると、自信を持ち、しかも、自分のやっている事が全てに通じると思ってしまうのかも知れません。

 残念ながら『一芸に秀でる者は多芸に通ず』事は無いと思っています。もし、多芸に秀でる事があったとしても、冒頭に記述したように、基軸になるものがあれば、 初めの難関を突破しやすいのかも知れません。しかし、秀でる所まで行こうと思うと、並大抵の事ではありません。

 もし、自分の地位や財産によって、自分が他人よりも優れていると思っている人がいるとしたら、それは、時代に合っているのでしょう。だからと言って、それを人よりも優れていると思うのは、やはり勘違いも甚だしいと思います。

 前にも「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」と古代ローマ時代の風刺詩人で弁護士のユウェナリスの言葉を引用したのですが、その時に「人の上に立つ人は、人間的にも優れた人であるべきと願われるべきである」と私の希望を述べました。

 地位の高い人は、階級という制度の中にいますので、部下は平身低頭してその言葉に従います。ある意味では組織のガバナンスを考えた時には、必要な制度なのでしょうが、このような中にいると、さも自分が全ての面で、人より優っていると勘違いしてしまいます。

 しかし、人間的にそれほどでもない人が、上に立ってしまうことも、ままあります。その時、その上に立った人が勘違いせずにいれば良いのですが、意外とそうでもないのが世間の常識です。

 それと、もう一つは、慣れです。上に立った当初は、部下に対しても世間に対しても、立ち振る舞いは慎重であっても、それが月日が経つに従って、その地位に甘んじてしまうのですね。横柄な態度が顔を覗かせます。

 空手道でも、段位の免状を渡す時には言うのですが、段位の免状に似つかわしい人になる事を求めているのですが、往々にして、初めは謙虚な態度でいても、日を追うごとに傲慢さや、自信過剰の顔を見せます。大変残念なことです。

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