文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【204】

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 今日の文字は『封印ふういん』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 封印

 

☆「昨日から沢山のメッセージありがとうございます。ニュースでも流れる自分の姿に、まだ少し不思議な気持ちにもなります。そんな中でみなさんにどうしてもお伝えしたく、更新させていただきます。

 皆様からの励ましのメッセージの中に『骨髄バンクの登録をした』『輸血、献血をした』など、沢山の方からメッセージをいただきました。

 私だけでなく、同じように辛い思いをしている方達にも、本当に希望を持たせて頂いています。

 私は、神様は乗り越えられない試練は与えられない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。

 もちろん、私にとって競泳人生は大切なものです。ですが今は、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えていただきながら戦っていきたいと思います。

 しばらくの間、皆様に元気な姿をお見せすることができないかもしれません。そしてしばらくの間、私も皆様と同じく応援側に回ります。引き続き、トビウオジャパンの応援、支援、そして沢山の様々なスポーツの応援、支援を宜しくお願い致します。

 改めて皆様のメッセージとご協力に心から感謝します。必ず戻ってきます。 池江璃花子」

 
 この池江璃花子さん自身のツイッターの更新の文章を見て、しばらくの間、胸を打ち声も出ませんでした。なんとも切ない気持ちになりました。

 ただただ、一日も早い回復を祈るばかりです。
 
 

徒然草 第二百三段 〔原文〕

 勅勘ちょくかんの所にゆきかくる作法、今は絶えて知れる人なし。主上の御惱、大かた世の中のさわがしき時は、五條の天神に靫をかけらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫かけられたりける神なり。看督長かどのおさの負ひたる靫を、その家にかけられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封をつくることになりにけり。

 
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『現代文』

勅勘ちょくかんの家にゆきをかける作法は、今は絶えてしまい知る人もいない。天皇の御病気の時や、大体は世の中が騒然としている時に、五条の天神にゆきをかけられる。鞍馬のゆきの明神と言うのも、ゆきをかけられた神である。看督長かどのおさが背負っているゆきを、かけられると人の出入りがなくなる。この事が絶えてから、現在は封印をするようになった。』

 

 

『封印』

 『矢を携帯するための筒状の容器。竹などを編んで毛皮を張ったもの、練り革に漆をかけたものなどがあり、右腰につける。矢羽を傷めたり、篦のが狂ったりするのを防ぐ。うつお。』(出典:大辞林第三版 三省堂.)

 と、辞書で引いた文字は「ゆき」です。この辞書での読み方は「うつぼ」となっていますが、デジタル大辞泉では「ゆき」と読む場合、「ゆぎ」と読む場合もあるとの記述が見られます。

 時代劇などを見ていると、蟄居閉門ちっきょへいもんと言う言葉を聞く事があります。この時のイメージは、門に縄で竹を二本バツ印のように結び付けているように思いますが、ただ門を閉ざしていただけなのかも知れません。

 この段で興味を引いたのは、神様にもゆきをかける、という所です。どういう事なのでしょう。

『祭神は元は宮中に祀られていたが、都で大地震・天慶の乱が起き、当時の天皇である朱雀天皇の勅により、天慶3年(940年)、鞍馬の地に遷宮をし、北方鎮護を仰せつかった。例祭の鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものである。

「靫明神」という社名は、天皇の病や国難時に神前に靫(ゆき)を献じて平穏を祈ったことによる。洛中の五條天神社は、国難時にその責任を取って「流罪に処す」として国の役人が神社の扉に靫を架けて閉じるということが行われていたが、『徒然草』によれば由岐神社でも同様のことが行われていたという。由岐神社と五條天神社は祭神が同じである。』
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 とありました。すこし勅勘ちょくかんの家にゆきをかける作法とは、意味合いが違うようです。ちなみに勅勘ちょくかんと言うのは、今で言えば謹慎処分ですね。

 しかし、このフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に、「『徒然草』によれば、」と書かれてある事には少し懐疑的な気持ちになりました。

 この段でも、私は、兼好法師の単なる覚書程度の認識しか持っていません。なぜなら、典拠がまったく記されていないこのような文章を、確かな歴史的な文献と扱わない方が良いと思っています。

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