文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【215】

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 今日の文字は『由来ゆらい』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百十四段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 由来

 

☆『辺野古埋め立て「反対」有権者4分の1超え確実 県民投票 玉城知事、首相と米国大統領に結果通知へ』
(琉球新報社 2019/02/24 20:00)

 「名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われ、午後8時に締め切られた。

 琉球新報社が共同通信社、沖縄タイムス社と合同で実施した出口調査の集計結果や県が発表した投票率の推移などから、埋め立て「反対」の得票が県民投票条例で知事が「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた全投票資格者数(有権者数)の4分の1に当たる約29万票を上回ることが確実となった。

 県民投票に法的拘束力はないが、辺野古新基地建設を進める日米両政府が今後、民主主義の手段で示された県民の意思にどう対応するかが焦点となる。

 1996年に日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年、県民は知事選など県内の主要選挙に加え、移設の賛否だけを直接問う県民投票で辺野古移設に反対する明確な意思を示した。

 今回の県民投票は、一橋大大学院生の元山仁士郎氏を代表とする「辺野古」県民投票の会が約9万3千筆の署名を集めて昨年9月、県に県民投票条例の直接請求を行った。県議会は昨年10月、条例案を可決したが、市議会で県民投票経費の予算案が否決された沖縄市や宜野湾市などの5市長が選択肢への不満を示すなどして予算の原案執行を拒否した。

 その後、全県実施の声に押された県議会が賛否2択から3択に改正した条例案を賛成多数で可決、5市長は実施に転じた。【琉球新報電子版】」

 沖縄に米軍基地がある問題について、議論すべき余地はあるのかも知れません。ですから、辺野古への移設がベターなのかどうかは、判断が難しいのかも知れません。

 しかし、鳩山由紀夫元首相の「県外」発言により、日本と米国との間で長年に渡る協議の結果、ほぼ確定していた辺野古への移設問題を白紙に戻してしまった経緯を忘れてはならないと思います。

 確かに県民の意志は大切にしなければならないとは思います。しかし、法治国家である日本が、国として決定した事を、地域の行政が覆す事が出来るとなると、政治の在り方そのものを見直さなければなりません。

 私は、まず国会で議論して決めた事は、地域の行政は従うべきだと思う方です。でなければ、国会では何も決める事が出来なくなります。であれば、国会は無用の長物に過ぎません。

 もちろん、今回の県民投票が法的な力を持つものではないと思いますが、少なくとも国の指導力が確実に減退してしまうと思います。

 この基地問題だけではなく、国の施設が建築されるときにも同じような、住民運動が盛んになりました。そんな、もの言える国民に成長したのかも知れません。

 であれば、国民は、やみくもに個人的な利害関係で反対するのではなく、他の国民が納得できるような反対の意見をまとめ、そして代替案を示す必要があると思います。

 しかし、代替案を示す事ができるためにも、政治の在り方を根底から再構築しないと、ますます混乱すると思うのですが。 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百十四段 〔原文〕

 想夫戀さうふれんといふ樂は、女、男を戀ふる故の名にはあらず。もとは相府蓮そうふれん、文字のかよへるなり。晉の王儉、大臣おとゞとして、家にはちすを植ゑて愛せしときの樂なり。これより大臣を蓮府れんぷといふ。

 廻忽かいこつ廻鶻くゎいこつなり。廻鶻國とてえびすこわき國あり。その夷、漢に伏して後にきたりて、おのれが國の樂を奏せしなり。

 
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『現代文』

『想夫恋と言う雅楽は、女性が男性を慕う意味から付けられたのではない。もともとは、相府蓮そうふれんといい、文字の読み方が似ているからである。晋の王倹と言う人が、大臣の時に家に蓮を植え、でていた時に作った雅楽である。この事から大臣を蓮府と言うようになった。

 廻忽かいこつ廻鶻くゎいこつが元の字であった。廻鶻くゎいこつ国といい、未開の外国に手強い国があった。その廻鶻くゎいこつ国が漢に降伏した後に、自分の国の音楽を奏でたのである。』

 

 

『由来』

 想夫恋と言えば、記憶にあるのは、黒田節。

黒田節

 酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を  飲みとるほどに飲むならば  これぞまことの黒田武士

 峰の嵐か松風か 訪ぬる人の琴の音か 駒をひきとめ立寄れば 爪音高き想夫恋

 春の弥生のあけぼのに 四方の山辺を見わたせば 花のさかりも白雲の かからぬ峰こそなかりけれ

 花たちばなも匂うなり 軒の菖蒲もかおるなり 夕ぐれまえの五月雨に 山ほととぎす名のりして

 

 この歌の二番目に出てきます。この歌を覚えたのは小学生の時でした。この「想夫恋」と言う言葉も、全く意味が解らずに覚えました。

 今でも雅楽には、「想夫恋」と言う曲名があると言います。残念ながら廻忽かいこつと言う雅楽の曲名は知りません。

 ここでも、なるほどそうでしたか。に留まりますが、漢字には象形、指事、会意、形声と言ったような成り立ちがあります。ですから、漢字からある程度の意味を読み解く事ができます。

 しかし、もともとどんな漢字で意味がどうであったかを知る事も、文章を読み解く上では重要な要素と言えるでしょう。

 字源を知る上では、白川静氏の『字訓』『字統』が有名ですが、これも歴史と同じで時間の経過がその元の形を風化させているかも知れませんので、絶対視する事には問題があります。一つの考え方として、かなり深い洞察をして起こされた辞書として活用されるべきだと思っています。

 ここで紹介されている「想夫恋」の意味も、確かに兼好法師の言うような意味が初めにあったのかも知れません。しかし、平家物語、巻第六、四、小督の中に次の文章があります。

 「亀山の辺近く松の一叢ある方に幽かに琴ぞ聞えける 峰の嵐か松風か尋ぬる人の琴の音か覚束なくは思へども駒を早めて行くほどに片折戸したる内に琴をぞ弾き澄まされたる 控へてこれを聞きければ少しも紛ふべうもなく小督殿の爪音なり 楽は何ぞと聞きければ 夫を想ふて恋ふと詠む  想夫恋  といふ楽なりけり」

 ここでは、「夫を想ふて恋ふと詠む」とありますから、平家物語ではすでに元の意味では無くなっていたのでしょう。日本ではこのように「夫を想ふて恋ふと詠む」が「想夫恋」の意味であり、漢字もこの漢字を使ったのでしょう。

 先述した、「黒田節」には、まるでこの文章をそのまま写したような歌詞になっています。

 私は、元の意味が違っていても、日本に伝来して違う意味で使われている言葉は、日本での意味が活かされるべきだと思っています。

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