文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【217】

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 今日の文字は『染物そめもの』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百十六段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 染物

 

☆『菅官房長官「あなたに答える必要ない」=東京新聞記者の質問に』
(時事通信社 2019/02/26 19:00)

 「菅義偉官房長官は26日の記者会見で、事実に基づかない質問を繰り返しているとして首相官邸が対応を求めている東京新聞記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と回答を拒んだ。

 首相官邸は「事実に基づかない質問は厳に慎むようお願いする」などと再三、東京新聞に対応を申し入れている。同記者のこの日の質問は「会見は国民の知る権利に応えるためにあると思うが、何のための場だと思うか」との内容だった。

 この直前に同記者は、他のメディアにも対応を求めたことがあるかと尋ねた。菅氏はそれに直接答えず、「この場所は質問を受ける場であり、意見を申し入れる場ではない。『会見の場で長官に意見を述べるのは当社の方針ではない』と東京新聞から(官邸側に)回答がある」と指摘した。」

 東京新聞を読んだ事も無いので、何とも言えませんが、少なくとも東京新聞から『会見の場で長官に意見を述べるのは当社の方針ではない』と言った回答が官邸側に出されているとしたら、この記者は会社の方針に反していると言っても良いでしょう。

 普通に考えても、記者会見は、会見を開いた人の意見や情報を聞く場と思います。ですからその内容に理解し難い言葉があれば質問をしても良いとは思いますが、少なくとも記者が自分の意見を言う場所では無いと思います。

 記者は仕事の本筋を間違えないで、聞いた事を間違いなく報道すれば良いのではないかと思います。

 もし、その記者が意見を言いたいのであれば、しかるべき場所でTPOを考えて言えば良いと思います。その時こそ、表現の自由は担保されるのではないでしょうか。
 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百十六段 〔原文〕

 最明寺入道、鶴岡の社參のついでに、足利左馬入道の許へ、まづ使を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりける様、一獻いっこん打鮑うちあわび二獻にこんにえび、三獻さんこんにかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正、あるじ方の人にて坐せられけり。さて、「年ごとに賜はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候」とて、いろいろの染物三十、前にて女房どもに小袖に調ぜさせて、後につかはされけり。

 その時見たる人の、ちかくまで侍りしが、語り侍りしなり。

 
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『現代文』

『最明寺入道が鶴岡の社に詣でたついでに、足利左馬入道の所に前もって使いを遣わして、立ち寄られた時、ご馳走になった子細は、最初の膳はのし鮑、二番目がエビ、三番目がかい餅で終わった。その座には、亭主夫妻と、隆弁僧正が主人側に座していた。そこで「毎年頂戴している足利の染物が、待ち遠しい」と言われたので、「用意しています」と、色々の染物三十、最明寺入道らの前で女官達に小袖に作らせて、後で贈られた。

 その時に見た人が、最近まで存命で、話されていました。』

 

 

『染物』

 最後のその時見たる人の、ちかくまで侍りしが』と言う言葉で、随分昔の話である事は想像できます。

 しかし『染物三十』の単位が書かれいませんので、反物と考えても相当の数量でしょう。

 また、『前にて女房どもに小袖に調ぜさせて』とありますが、小袖と言ってもそんなに簡単には作れないでしょう。それも三十反としても、もし三十疋(匹)だとしたら反物の倍にもなります。ですから、女官達に反物を体に当てさせて見ただけかも知れません。想像ですが。

 この話は、最明寺入道と足利左馬入道の関係を知るための歴史的な資料として、兼好法師はここに書き記したのでしょうね。

 最明寺入道は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第五代執権北条 時頼の出家後の名前ですし、足利左馬入道は、鎌倉時代中期の武将、足利 頼氏の事と推察されますが、出家したとの記述を見つけることは出来ませんでした。

 あと考えられるのは、客のもてなし方、御馳走の仕方もわかるような気がします。

 それにしても、出家とは言え質素な生活とはとても思えません。毎年染物を大量に貰っているのですから。

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