文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【234】

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 今日の文字は『清淑せいしゅく』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二百三十三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 清淑

 

☆『石破氏、総裁4選論をけん制 「有権者が『そうだ、そうだ』と言うか分からない」』
(毎日新聞 2019/03/15 20:20)

 「自民党の石破茂元幹事長は15日、インターネット番組に出演し、党内で浮上する安倍晋三首相の党総裁4選論について「国会議員が4選のために頑張りますと言ったときに、有権者が『そうだ、そうだ』と言うかどうかは分からない」とけん制した。【浜中慎哉】」

 石破茂元幹事長は、何をしたいのか、見えてきません。常に自民党に対して反旗を翻しているようにしか見えません。

 折角の人材だと思っていましたが、最近の言動に首を傾げています。これでは、少数意見としか思えません。

 安倍首相の4選と言う声があがると云う意味を、石破氏も考えた方が良いのではないでしょうか。

 自民党の内部では、安倍首相に代わる人材がいないのであれば、また政権を交替する事になりかねません。ただ、野党にもこれと云った人物がいないので、仕方なく4選ですかね。

 私は、確かにモリカケ問題が糸を引いているとは思いますが、では他に安倍首相にどんな問題があるのでしょうか。

 野党にしても、石破氏にしても、これと云った信念が見えません。首相になりたい、政権を交代したいだけしか、見えないのは、余りにも驕慢きょうまんに映ります。

 視点を安倍首相から国民・国に移したら、もっと首相や政権を交代が近くなって来るのではないでしょうか。何でも反対では、国民はしらけてしまうと思うのですが。
 
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第二百三十三段 〔原文〕

よろづとがあらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少なからんにはしかじ。男女・老少、皆さる人こそよけれども、ことに、若くかたちよき人の、ことうるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。

よろづとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。

 
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『現代文』

『万事で過失をしないでおこうと思うなら、何事にも真心を持ち、人を差別せず、丁寧で、言葉少ないのが一番である。老若男女誰でもこのような人は良いが、とりわけ若くて容姿が良い人は、忘れがたく思が募る。

 万事の過失は、慣れた態度で上手な振りをし、得意な様子で、人をないがしろにすることにある。』

 

 

『清淑』

 前回の「めくら法師」に対する言葉を思うと、『人を分かず』と言うのは、どの口が言っているのか、と思わずにはいられません。

 しかも、『ことに、若くかたちよき人の、ことうるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。』と言うと、この人の神経を疑いたくなります。本当に法師なのでしょうか、余りにも煩悩具足が過ぎますよ。

 ただ、確かに失敗の要因については、慢心や奢りも考えられますので、頷けます。また、人をないがしろにして、その人から怨まれたり、他者から誹謗中傷される事もあるかも知れません。これも失敗の要因になる可能性があります。言動には注意する必要がありそうです。

 人生はそんなに順風満帆に生きる事ができないと思います。よろづとがあらじと思はば』と、過失や失敗を恐れていては、生きていけません。もし、その失敗の原因が、慢心や奢りにあるとすれば、それは気を付ければ直せることですし、また、人間としてもそうあるべきだと思います。

 今日の「毛筆の文字」は、「清淑」と書きましたが、普通「せいしゅく」と言うのは「静粛」と書きます。

 静粛の意味は「静かに慎んでいる・こと(さま)。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)ですが、「清淑」は、「清純でしとやかなこと。汚れがなく立派なこと。また、そのさま。」(出典:精選版 日本国語大辞典 小学館.)です。すこし、趣が違う言葉です。

 ですが、この場合は、「静粛」でも「清淑」であっても、人が犯す失敗を回避する事はできないと考えています。

 失敗と言っても、罪を犯すような事を言っている分けではありません。何か物事を達成しようとすると、自分が立てた計画通りに事が運ぶとは限りません。と、いうより、紆余曲折が当たり前の世の中です。

 ここに書かれてあるように、
『何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少なからん』「何事にも真心を持ち、人を差別せず、丁寧で、言葉少ない」
ように心がけても、
『馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにする』「慣れた態度で上手な振りをし、得意な様子で、人をないがしろにする」
と言う事が無くても、人事の及ばぬことで、結果が出るのが世の中です。

 そんな時には、その失敗を糧として前に進む以外に方法がないと思っています。結果は結果として受け止める度量が必要になって来ます。

 失敗を「あきらめ」の原因にしてはいけないと思います。「失敗は成功の母」とも言います。折角の失敗を活かさない手はありません「七転び八起き」です。まさに、転んでは起きて生きる事に、人生の意味があるような気がします。

 『天才とは、努力する事ができる才能を持っている人』だと、中学生の時に思った事をこのブログでも何度か書いています。しかし、努力には失敗がつきものです。でなければ、努力する必要もないのですから。

 そんな失敗の積み重ねが、もしかしたら凡人が非凡に変わる日になるのかも知れません。

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