今日の文字は『柔和』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百四十一段』を読んで見て、感じた文字です。
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柔和
★『カンニング竹山、上沼恵美子への暴言問題で「ビビット」の報道姿勢に苦言「ネットと同じことしている」』
(スポーツ報知/報知新聞社 2018/12/10 08:55)
「—–前略—–
1週間、この話題でどうなんだどうなんだってなった。
—–中略—–
この発言に国分も「上沼さんも松本さんも発言したので、そこで終わりだと」と同調すると、竹山は「昨日で終わりだろと。テレビという大きなメディアなのに、インターネットと同じことをして、どうするの」と発言した。
—–後略—–」
昨日は、公益社団法人 全日本空手道連盟主催の天皇盃・皇后盃 第46回全日本空手道選手権大会のテレビ中継を見ていました。この話題を取り上げたいのですが、部外者は静かに見ている事にしました。
で、今日取り上げたのは、暴言をネットで流すなんて、いくら飲んでいたからと言って、やっていい事と悪い事があります。もし、文句があるなら、本人に言えば良いと思います。陰口がこれだけ公になったら、陰口ではなくなり、場合によれば、名誉棄損で訴えられてもおかしくありません。
と、ここまで書いて、私の言いたい事がズレているのに気が付きました。軌道修正します。カンニング竹山さんに同調する分けではありませんが、これでこの番組がカンニング竹山さんを降板させなかったら、自浄作用と言えますね。
何でも口外しても良い時代かも知れません。随分前から思っている事ですが、お笑いや芸を売り物にしている人は、ちょっと世間的に賢さを見せたりすると、途端に色褪せるように思います。
才能もあり、賢い人と言うのは、言わなくても解っています。敢えてそれを言ってしまうと、その人のセンスを疑ってしまいます。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百四十一段 〔原文〕
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、言受けのみよくて、實なし」といひしを、聖、「それはさこそ思すらめども、おのれは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどの事、けやけく否びがたく、よろづえ言ひはなたず、心弱くことうけしつ。僞せんとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。吾妻人は、我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、初めより否といひて止みぬ。賑ひ豐かなれば、人には頼まるゝぞかし」と、ことわられ侍りしこそ、この聖、聲うちゆがみあらあらしくて、聖教のこまやかなる理、いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心憎くなりて、多かる中に、寺をも住持せらるゝは、かく和ぎたるところありて、その益もあるにこそと覺え侍りし。