文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【163】

 今日の文字は『虐待ぎゃくたい』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百六十二段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 虐待

 

『不思議だ! 日本はなぜ大都市でも深刻な大気汚染が発生しないのだろう=中国メディア』
(モーニングスター株式会社 2018/12/30 11:12)

 「PM2.5による大気汚染の深刻化は、中国人にとって切実な問題となっている。健康に及ぼす被害以外に、濃いスモッグが原因で飛行機が着陸できず欠航するなどの経済的な損失も生じている。中国メディアの快資迅は22日、「日本ではなぜ中国のようなスモッグが発生しないのか」と疑問を投げかける記事を掲載した。
—–中略—–
 そのほか、中国ではかつて「石炭」が工場の動力や冬場の暖房に使われ、大気汚染につながっていたが、「日本人は長年こたつを冬場の暖房器具として愛用してきた」こと、また、「最近はクリーンエネルギーを活用した暖房を設備する住宅がある」ことが、日本で中国のようなスモッグが発生しない原因なのではないかと独自の主張を展開した。

 中国にこたつは存在しないので、中国人にとって日本独特のユニークな暖房器具として映るらしい。中国の北部では熱水供給パイプによる集中暖房があり、この熱水を作るための石炭燃焼が大気汚染を招く一因となってきた。それゆえ「こたつというエコな暖房器具が大気汚染防止に一役買っているのではないか」というのは面白い分析だと言えるのではないだろうか。(編集担当:村山健二)」

 この記事を読んで、非常に懐かしさを覚えました。学生の頃ですから今から50年程前の事です。

 友人と二人で、大きな看板貼りのアルバイトをしている時、東京から埼玉の現場に向かっていました。

 ちょっと休憩と車から降りて、立ション。で、東京の方を見ると、すっぽり東京がドームになっていました。

 当時はスモッグと呼んでいましたが、東京にいるときは気付きませんでしたが、本当に半円形の球体で東京がスッポリ覆われています。

 それでも東京はまだましで、神奈川県の川崎の産業道路では、現在の中国のように前が霞む位の視界の悪さでしたから、相当空気も汚染されていたと思います。

 当時は河も今よりずっと汚染されていて、随分綺麗になったと思います。中国も意識があれば、年月はかかるかもしれませんが、綺麗になると思います。
 
 
 さて、今年もいよいよ、最後のブログになりました。大晦日、何かと忙しいと思いますが、良いお年をお迎えください。

 
徒然草 第百六十二段 〔原文〕

 遍昭寺の承仕法師しょうじほうし、池の鳥を日ごろ飼ひつけて、堂の内まで餌をまきて、戸ひとつをあけたれば、數も知らず入りこもりける後、おのれも入りて、立て篭めて捕へつつ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈る童聞きて、人に告げければ、村の男ども、おこりて入りて見るに、大雁どもふためきあへる中に、法師まじりて、打ち伏せ、ねぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使廳しちょうへ出したりけり。殺すところの鳥を頚にかけさせて、禁獄せられけり。

 基俊大納言別當の時になむ侍りける。

 

 

『現代文』

『遍昭寺の承仕法師が、池にいる鳥を日ごろから飼いならし、堂の中まで餌を蒔き、戸を一つ開けておくと、数えられないくらい多くの鳥が入って来たので、自分も入って、立て籠り捕えて殺す様子が気味悪く聞こえたので、草を刈る少年が聞いて人に告げたので、村の男たちが大勢で入り見ると、大雁達がバタバタと騒ぎたてる中に法師が交じり、叩き伏せ、ねじ殺していたので、この法師を捕え、検非違使庁へ突き出した。殺した鳥を首にかけさせて、牢獄に拘留された。

 基俊大納言が検非違使庁の長官の時であった。』

 

『虐待』

 鎌倉時代末期に、動物愛護の精神があったとは思えないのですが、この段の表現はあまりにも、残酷に思えます。

 ただ、この承仕法師と言う人は、雑用を務める下級の僧侶と言う事ですから、食事の支度はしないまでも、食材は用意したとも思えます。当時の食材がどのようなものであったか知りませんが、鳥ですから食材になったと思います。

 鳥の捕獲方法としては、よく考えたと思います。しかし、自分が中に入って格闘するとは思ってもいなかったかも知れません。

 ただ投獄されたのは、仕方がなかったのかも知れませんが、何も殺した大雁を首から吊るされる必要があったのでしょうか、その方がより残酷な気がします。

 しかし、食材と考えれば、現在はあらゆる物を口にします。食卓やレストランで、何も思わないで口にしている物も、生きている物であれば、食材にする時の状況は、今も昔も変わらないと思います。

 仮に食材であるとすれば、決して虐待とは思いません。人間も動物も食べなければ生きていけないのですから、仕方のない事かも知れません。

 昔、これもテレビで観たのですが、ペットとは少し違いますが、大事に育てた豚を、ある程度成長したら、ある日この豚が食卓に並んでいたのを見ました。そこでは、当たり前の事で、この豚を可愛がっていた少女も屈託のない笑顔を見せていました。

 これを観て、私などは都会の暮らしですから、複雑な思いで見ていた記憶があります。

 しかし、私もカブスカウト(ボーイスカウトの下部団体)に所属していた時、ある日のキャンプで、鶏の首を切り取り、胴体だけ5m ほど走って行った事がありました。今考えると、ぞっとする出来事です。人間にはそんな凶暴な一面があるのかも知れません。

 鎌倉時代の末期にどのような決まりがあったのか知りませんが、多分投獄されたと言う事は、この承仕法師は、その法律を破ったのでしょう。

 動物の虐待として捕えられたのか、それとも、世間を騒がせた罪なのか分かりません。

 前にこの徒然草(第六十六段)で、雉を献上する時の様子が書かれていました。

『「柴木の枝、梅の枝、つぼみの状態か、花が散った後に付ける。五葉の松などにも付ける。枝の長さは6尺か7尺で、返し刀は5分に切る。枝の半ばに鳥を付ける。鳥を付ける枝、踏ませる枝がある。つづら藤のつるを裂かずに、二か所付ける。藤の先は、火うち羽(鷹 の翼の最下部の羽)の長さで切り、牛の角のようにたわませる。
 初雪が降った朝に、枝を肩にかけ中門から肩を揺らしながら入る。大砌おほみぎりの石をつたって、雪に跡をつけず、雨覆いの毛を少し乱暴に散らして、寝殿の隅の欄干に立てかける。褒美を出されたら、肩にかけ、礼をして退く。初雪といっても、履物の先が隠れないような雪では参上しない。雨覆いの毛を散らす意味は、鷹は、鳥の腰のくびれた所を掴んで捕獲するので、この鷹が取った事を見せるためである』
 
 このような作法があると言う事は、何も鳥を殺してはいけないと言う分けでもなさそうです。その方法に問題があったのかも知れません。