今日の文字は『律呂りつりょ 』です。書体は草書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百九十九段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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律呂
『村上春樹が「直木・芥川賞」を受賞できない理由 今年デビュー40周年迎える国民的作家の謎』
(東洋経済ONLNE 川口 則弘 2019/02/10 07:10)
「全文略」
私が文学を語れるわけでもなく、この村上春樹さんの本を読んだ事もないのですから、別に謎と思っている分けではありません。
この中に芥川賞は、新人を、直木賞は大衆文学をターゲットに与えられると書いてありました。しかし変遷を重ねて例外もあったとの事。
毎年のようにノーベル文学賞の有力な候補者として、村上春樹さんの名前が上がりますが、受賞はされていないようです。
「私は(中略)表層的なものの奥の村上さんの実力を見ぬく力を持った批評家ではありませんでした」(2007年・新潮社刊『大江健三郎 作家自身を語る』) と、この記事には書かれていましたが、私は大江健三郎さんの文章を理解できるだけの読解力も持っていません。
今まで、本を読んだ事がないと、公言してはばからなかったのですが、このブログで、結構本を読んでしまいました。しかし、読書家から比べると千分の一にもならないと思います。
そんな私が思うのは、文学って何?です。今取り上げている『徒然草』にしても、随筆って言った人の主旨を聞いて見たい思いです。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第百九十九段 〔原文〕
横川よがは の行宣法印が申しはべりしは、「唐土は呂の國なり、律の音こえ なし。和國は單律の國にて呂の音なし。」と申しき。
『現代文』
『横川よがは の行宣法印が申された、「唐土は呂の国である。律の音は無い。我が国は律の音だけで、呂の音はない」と。』
『律呂』
「律」「呂」と言うものが、音楽に関する物だと、この段で初めて知りました。
と、言う事で、この「律」「呂」と言う言葉を調べて見たのですが、どうも、まず十二律 と言う言葉を最初に知るべきだと思いました。
「中国および日本の音楽理論で用いる音名。一オクターブ内に半音刻みに一二の音があるのでこの称がある。日本では古代に中国の理論を輸入したが、のちに日本独自の名称を生じ、主として雅楽・声明しようみよう ・平曲・箏曲そうきよく などで用いられている。対して三味線楽では難解な十二律名を用いず、律管の順番による俗称が通用されている。十二調子。」 (出典:大辞林第三版 三省堂.)
とありますが、「十二律は陰陽に分けられ、奇数の各律は陽律であり、律 と呼ばれ、六律 りくりつ と総称される。偶数の各律は陰律であり、呂 と呼ばれ、六呂 りくりょ と総称される。よって律呂 の名がある。」 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))との記述が見られます。
また同じ出典によると、「律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。」 との記述が見られることから、竹の管の長さで出す音を基準にしていたと思われます。しかし、この十二律も中国と日本では呼称も音の高さも違うようです。
壱越いちこつ – D(レ)律
断金たんぎん – D♯(レ♯)呂
平調ひょうじょう – E(ミ)律
勝絶しょうぜつ – F(ファ)呂
下無しもむ – F♯(ファ♯)律
双調そうじょう – G(ソ)呂
鳧鐘ふしょう – G♯(ソ♯)律
黄鐘おうしき – A(ラ)呂
鸞鏡らんけい – A♯(ラ♯)律
盤渉ばんしき – B(シ)呂
神仙しんせん – C(ド)律
上無かみむ – C♯(ド♯)呂
以上は日本における12律を、(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))から引用し、それに現在の音階と律・呂を加えて一覧にしてみました。
これらの事をまとめて見ますと、日本は、現在で言う、レ・ミ・ファ♯・ソ♯・ラ♯・ドであったと、この段では言っています。と言っても、基準になる音がその時代や地域によって様々で、メートル 原器のような物はなかったようです。
現在では標準音 と言うように定められていて、音叉などを用いてチューニングするのを良く見かける事があります。
兼好法師が、色々な事に興味深く、知識を集める傾向があった事は、解りました。この段でも、随筆と言うよりは、兼好法師のメモ書き、覚書の域をでないような気がします。もっとも、兼好法師が「徒然草」を随筆と言ったのではないと、あらためて気が付きました。遅すぎますけどね。