文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【191】

 今日の文字は『つま』です。書体は行書です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第百八十九段』を読んで見て、感じた文字です。

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☆ぶっかけうどん風 2人前レシピ

 温かくても、冷たくても、家でぶっかけうどんを味わえます。

  1. 用意する物
    (1)冷凍うどん【2玉】
    (2)玉子【2個】
    (3)天かす【少々】
    (3)ネギ【少々】
    (4)麺つゆ【2人前】
    (5)砂糖【大さじ1杯】
    (6)レモン【薄切り2枚】

  2. 作り方(温泉卵)
    (1)玉子を電子レンジに入れられる器に入れて、玉子を割って入れ、沈む程度の水を入れる。出来ればカップ状の器が良い。
    (2)電子レンジで1分から2分チンする。初め1分で様子を見て白い部分が固まるまで時間を追加する。
    (3)玉子が出来たら水を切っておく。

  3. 作り方
    (1)鍋で湯を沸かす。
    (2)冷凍うどんを入れてほぐれたら湯切りする。 
    (3)別の器に麺つゆを大さじ4杯入れる、同量の水で薄める。
    (4)(3)に砂糖を大さじ1杯入れて、味見をして少なければ足す。
    (5)2.の温泉卵を入れる。その他の具材、天かす、ネギなど好みの物を入れて、レモンを添える

☆夏の暑い時は、冷やして、冬の寒い時は温めて、何もない時、至って簡単、美味しいです。

 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第百九十段 〔原文〕

 妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも獨り住みにて」など聞くこそ、心憎けれ。「たれがしが婿になりぬ」とも、又、「いかなる女をとりすゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。異なることなき女を、よしと思ひ定めてこそ、添ひ居たらめと、賤しくもおし測られ、よき女ならば、そらうたくして、あが佛と守りゐたらめ。たとへば、さばかりにこそと覺えぬべし。まして、家の内を行ひをさめたる女、いと口惜し。子など出できて、かしづき愛したる、心憂し。男なくなりて後、尼になりて年よりたる有樣、亡きあとまで淺まし。

 いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく憎かりなむ。女のためも、半空(なかぞら)にこそならめ。よそながら時々通ひ住まむこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまに來て、泊り居(ゐ)などせむは、めづらしかりぬべし。

 

『現代文』

『妻というものこそ、男の持つべきものではない。「いつも一人で生活をしている」などと聞くと、心惹かれる。「誰かの婿になった」とか、「どのような女と一緒に住んでいる」などと聞くと、実に幻滅させられる。平凡な女を良いと思い込んで添い遂げていると、野暮な憶測をしてしまう。良い女なら、その人を愛おしくて、我が仏として世話をしているのだろう。その程度の事と思える。まして、家を切り盛りしている女、たいへんがっかりする。子など生まれ、世話をして可愛がるのは情けない。男が亡くなってから、尼になり年取った様子は、亡くなってからも見苦しく思う。

 どんな女でも、朝から晩まで一緒にいると、心を寄せることなく大変憎くなる。女のためにも、中途半端になる。他に住み、時々通ってくる方が、年が経過しても絶えない間柄になるだろう。ほんの少し来て、泊っていくのは、新鮮に違いない。』

 

『妻』

 女性蔑視も甚だしいとは思いますが、そんな時代だったのでしょう。しかし、振り返ってみると、私が生まれた頃は、男性は概ねそんな女性観を持っていたのかも知れません。

 まだ女性の権利を主張する人も沢山いると思いますが、随分女性の地位も高くなったと思います。こういう兼好法師のような考えの人は、すでに化石化していると思いますから。

 兼好法師は、女性に対してと言うよりも、『妻』と言うものに嫌悪感を持っていたようです。

 どうも都合の良い女性は容認している気がします。そのへん、何とも正直な人ですね。『あからさまに來て、泊り居(ゐ)などせむは、めづらしかりぬべし。』あからさま突然と訳しましたが、まぁ、時々やってきて、泊っていくような女性を求めているのですから、兼好法師にとっては、なんとも都合の良い女性です。

 法師であれば、その辺は、女性を一般的に寄せ付けないのであれば、納得できるのですが、どんな人だったのでしょう。

 私は、男性から見ると言うよりも、男女を問わず、余り距離が近くない方が上手くやって行けるのではないかと思っています。今は。

 若い頃はそんな風には思いませんでしたが、考え方も夫婦だからと言って、同じではない事に気が付きました。今頃? と、思うでしょうが、男であるからとか、女であるからとかとは違って、人間は自分の思うような人であって欲しいと、思っていると思います。

 それは何も『妻』に限った事では無く、友人、知人にしても同じでしょう。ですから、自分が思っている人とは違った言動をすると、落胆してしまうのでしょう。その人との関係が密であればあるほどです。要するに、期待感を破られるのですから、尤もな話です。

 今頃?と言うのも、実は若い頃から薄々は分かっている事だと思うのですが、やはり期待度が高すぎるのでしょう。これを容認するには、時間と経験がどうしても必要だったのかも知れません。

 まあ、『ハリネズミのジレンマ』のようなものだと思います。この説に関しては、色々の捉え方がありますが、私は適度の距離感を持つ事だと思っています。

 距離感と言うと、何だか寂しい気持ちがしますが、言い換えれば、相手の気持ちを分かる努力をする。昨年流行っていた、『忖度そんたく』や『おもんぱかる』も、良い関係を保つためには、必要な事だと思います。

 大概は、自分の好きな人を、極度に美化しがちです。もちろんそれが好きになる要因ですが、男女を問わず、そんなに理想的な人を相手に要求するのも酷なことだと思います。

 好きであれば、その人の良い所も悪い所も、好きな所も、嫌いな所も、ひっくるめて好きになれば良いと思います。不思議な『縁』ですから。