文武両道のために・・・・『徒然草』を読んで見る。【54】

 今日の一文字は『壺』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第五十三段』を読んで見て、感じた文字です。

原文 現代文を見る 余興

 
 昨夜、秋らしく、コオロギと思われる鳴き声を聞きました。インターネットで虫の鳴き声を検索して聞きましたが、多分コオロギでしょう。コオロギの種類が沢山あり、どれも鳴き声が違うので、迷う所ですが、とりあえずコオロギが鳴いていたと、しておきます。

 それにしても、急に気温が下がって、体調を悪くする人もいるかも知れません。気を付けましょう。

 昨日も6時間ほど、朝と昼と夜、お習字をしました。未だに完成していません。なかなか、難しいです。

 今、上手く行かないのは、筆が割れてしまう事です。しっかり洗って使っているのですが、1時間ほど経つと、筆が根元から割れてしまい、書けなくなってしまいます。色々工夫していますが、もう一工夫必要かも知れません。

 ちなみに、筆は、洗ってからリンスしてます。こうする事によって、乾いた頃には、触った感じは筆が甦った感じになるのですが、インターネットで調べて、他の人のやっている事を真似ているのですが、それでも上手く行きません。

 確かに筆は、安物ですし、年月が経った古い物を使っているので、筆を買い替えた方が良いかも知れません。

 今朝も2時間ほど練習したのですが、どうも上手く行かずに、また筆が割れてしまいました。途中まで、「あっ、そうか」と思ったのですが、まだまだ解決には至っていません。
 
 さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。

 
徒然草 第五十三段 〔原文〕

 これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名殘なごりとて、各遊ぶことありけるに、ひて興に入るあまり、傍なる足鼎あしがなへをとりて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ること限りなし。

 しばし奏でて後、拔かむとするに、大かた拔かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはりけて血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、うち割らむとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、叶はで、すべき樣なくて、三足なる角の上に、帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる醫師くすしがりて行きけるに、道すがら人の怪しみ見る事限りなし。醫師のもとにさし入りて、むかひ居たりけむ有樣、さこそ異樣なりけめ。物をいふも、くゞもり聲に響きて聞えず。「かゝる事は書にも見えず、傳へたる教へもなし」といへば、また仁和寺へ帰りて、親しきもの、老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむとも覺えず。

 かゝる程に、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ、たゞ力をたてて引き給へ」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、金を隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻けうげながら、拔けにけり。からき命まうけて、久しく病み居たりけり。

 

 

『現代文』

 まず、我流で現代文にしてみましょう。

 『これも仁和寺の法師である、童が法師になろうとしているので、その別れに各々が遊びに興じたが、酒に酔った勢いで、傍にあった足鼎あしがなへを頭からかぶろうと思ったが、きつくて鼻を押さえて顔を入れて、舞い出たら、万座が最高の盛り上がりを見せた。

 しばらく舞った後で、足鼎あしがなへを抜こうとしたが全く抜けない。酒宴も醒めてしまい、どうしょうか迷っていた。あれやこれやと試したが、首が傷つき、血が流れ、腫れあがって、息もし辛くなってきたので、割ろうとしたが簡単には割れず、音が中に響き耐えられず、やるすべもなく、足鼎あしがなへの三本脚の上に布をかけ手を引き杖をつかせて、京都の医者に連れて行った。道すがら人が怪しく見る事、この上ない。
 医者の家に入り、向かい合って座っている様子は、さぞ異様だっただろう。法師が言葉を発しても、響いて聞き取れない。「このような事は書にも書かれていないし、伝えられた教えもない」と言われたので、また仁和寺に帰って、親しい者、老いた母が枕元で泣いて悲しむが、聞こえているのかも分からない。

 そうこうするうちに、ある者が言うには、「たとえ耳鼻が切れて無くなったとしても、命ばかりは亡くならない、力まかせに引き抜きなさい」と言うので、藁を首のまわりに差し入れ、金属で押さえて、首がちぎれるくらい引くと、耳と鼻は欠けて穴が空いたが、足鼎あしがなへから顔を引き抜く事が出来た。
法師はやっとの思いで命拾いしたが、永い間患っていたそうだ。 』

【参照】
足鼎あしがなへ:脚が三本ついている金属製の容器。単に「かなへ」とも。
(出典:学研全訳古語辞典 学研.)

 

 

 

『余興』

 余興とは、言えないですね。子供の為とは言え、酒の席ですから、大人が、ただ騒ぎたかっただけのようにも見えます。

 前回も仁和寺の法師の話でしたが、どうも兼好法師が、仁和寺に対して、あまり良い感情を持っていないように思ってしまいます。

 それとも、こういう徒然草のネタになるほど、 仁和寺のお坊さん達は、羽目を外すというのか、自由奔放と言うのか、支離滅裂なのか、とても出家した僧侶とは思えない行動をします。

 しかし、今も昔も変わらないのが、生臭坊主の存在です。

 テレビドラマでは、バーやキャバレー(今はあるかどうかも知りません)あるいは、クラブなどに、袈裟を着たお坊さんが出演していますが、実際にいるのでしょう。必ずその横には肌も露わな女性が座っています。

 確かに私の知っている宮司も、随分大酒のみでした。私の同級生にも住職がいますが、どうなんでしょうね。外で見かける事がありますが、とても住職とは、思えない派手な服装を身にまとっています。

 修行僧で無ければ、許されているのでしょうか。宗教界の事は分かりませんが、実際に住職や宮司と言う職についていながら、一般の人よりも羽目を外したがるのかも知れません。

 随分昔に聞いた話ですが、一番行儀の悪い旅行客は、先生、医者と聞いた事があります。日ごろのうっぷんかも知れません。

 この話、一般の人であれば、調子に乗らない方が良いよ。と、笑い話にもなるでしょうが、ここまで結末が酷いと、笑い話にもなりません

 誇張されていると思わないと、昔映画になった、「世界残酷物語」(1962年)のような話になってしまっています。鼻がもげ、耳が取れて、穴が空いていたら、普通に考えると失血死ではないでしょうか。この話、俄かには信じがたいと思いました。

 であれば、この徒然草の意図は何だったのでしょう。

 もしも、これが事実ではなく、仁和寺の僧侶の批判というのであれば、これはもう現在でしたら、威力業務妨害として訴えられても、敗訴しますよ、兼好さん。