今日の文字は『風習』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第六十一段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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風習
「カレーを食べて首相に投票しなかった議員がいる。一体だれなんだ」(出典:朝日新聞デジタル)で、こういう記事を見ました。
東京都内のホテルで「必勝出陣の会」に出席し、カツカレーを振舞われて、投票しなかった人が陣営の中にいたと言うのは、関ケ原の戦いの小早川 秀秋と言う大名が浮かびました。
しかし、議員の結束というものは、そんな物なんでしょう。それにしても、陣営の内部であれば、食事を振舞っても良いのですね。総裁選は公職選挙法が適用されない事を知りました。
夜の間はよく降りましたが、今は止んでいます。ちょっと薄日がさしていますが、一日曇りの予報です。また明日にかけて雨が降るようです。気温も随分落ち着いてきたように感じます。
「コーヒーが冷めないうちに」今日からロードショーと、朝有村架純さんが言っていました。出演者は、 有村架純、伊藤健太郎、波瑠、林遣都、深水元基、松本若菜、薬師丸ひろ子、吉田羊、松重豊、石田ゆり子(敬称略)だそうです。
「撮影現場で、スタッフが涙を流していました」と朝の番組で言われていました。一度は見て見たいと思わせる、有村架純さんの言葉でした。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第六十一段 〔原文〕
御産ごさん の時、甑こしき 落す事は、定まれることにはあらず。御胞衣おんえな 滯とどこお る時の呪まじない なり。滯らせ給はねば、この事なし。
下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑こしき をめすなり。ふるき寳藏の繪に、賤しき人の子産みたる所に、甑こしき おとしたるを書きたり。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『 高貴な女性が、お産の時に甑こしき (蒸し器)を、落とすのは、決まりではない。後産が長引く時にするお呪いである。長引かなければ必要ない。
庶民から始まり、根拠はない。大原の里の甑こしき (蒸し器)を取り寄せて使う。古い宝物庫にある絵に、卑しい身分の者が生んだ子の所に、甑こしき (蒸し器)を落とした事が描かれている。』
『風習』
お産の時には、色々な風習があったような気がします。
私が知っているのは、腹帯はらおび を中山寺に貰いに行った事ぐらいですが、それも、風習の一つでしょう。
戌の日に、安産祈願をして腹帯はらおび を貰った記憶があります。
行ったのは、宝塚市にある大本山中山寺で、聖徳太子が創建したとされる由緒のあるお寺でした。
風習と言うのは、お産に限った事では無く、昔から言い伝えられていますので、風習に従わないと、何かが起こると言う事では無く、やらないと、何かが起こるような気がして、気休めにやってしまうようなものだと思っています。
それでも、風習の始まった時には、きっとその方法がベストのやり方だったのかも知れません。いわゆる ノウハウが習慣になり、地域の風習になったのかも知れません。
ですから、時代を経て考えると、根拠が見当たらない事になります。環境が違うのですから。
この段を、なぜ徒然草に、徒然なるままに兼好が書いたのかも、今は分かりようがありません。
兼好がその時代の風習を、後世に残すために書いた資料という風に捉えられている事もありますが、兼好が世情を描写するために、和歌や俳句などのように書いたのかも知れません。
話が、横道に逸れますが、先日NHKの番組に、夏井いつき先生が出演されていて、俳句の事を語られていました。そこで、思わぬ勉強をさせてもらいました。
俳句は、作者の意図と違う読み方を、読み手が勝手に考えるのが面白い。 と言う事でした。
まったく私の考えとは真逆ですが、それが芸術であり、文学なのかと思ったのです。
私は、作者が何を表現したいのかを探るのが、芸術の見方、文学の読み方と思っていました。
ですから、私は芸術も文学も分からないまま、この歳に至ったのではないかと、思ったのです。
芸術は、自分の排泄物と言った、芸術家がいたように記憶しています。 その時は、作る側の気持ちとして、とても同意できるものでした。
ですから、文学も芸術も、作り手の気持ちはよく理解しているつもりでいます。
「山があるから登るんだ」 と言う言葉について以前このブログで取り上げました。
『例えば登山家のことばに、「そこに山があるから・・・」は、誤訳とも意訳とも言われていますが、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)は、さしたる理由があったわけではなく、また差し迫った理由によって人は山に登る訳ではない。まさに、「山があるから登るんだ」ではないのかと思っています。』
と、 【縁】 に載せました。
この「山があるから登るんだ」の言葉のように、人は、何かに惹かれて、何かに魅せられて、心が突き動かされるように、何かをしたい衝動に駆られる事があると思います。
私が空手道の道を歩むようにです。
ですから、 絵を画く人も、文章を綴る人も、その衝動があるから、良い作品を生み出す事が出来るのではないかと思います。
そこに、人に認められたいとか、高く売りたいとか、少しでも邪心がある物は、その時には万人に受け、経済的に潤う事があったとしても、歴史のフィルターには耐える事ができず、消滅していくのでしょう。
兼好法師は、只管世情を伝えるために、この風習を取り上げたのだとしても、得意の和歌で表現しても良かったのではないかと、ふと思ってしまいました。為世門下の和歌四天王 とまで言われた人なのですから。
ま、それは本人の自由でしょうから、鎌倉時代の末期には、こういう風習があったと言う事が分かりました。
この風習が、一般の民衆から起こり、この時代では、貴族の習わしとして行われていたのが、「甑こしき 落し」 で、
「皇子・皇女出産の際行われた呪法じゆほう 。御殿の棟から甑こしき を落とすもので、「甑こしき 」が「腰気」の音に通ずるからともいう。皇子のときは南へ、皇女のときは北へ落としたという。」(出典:大辞林第三版 三省堂.)
と、辞書にありました。
この事を後世に遺しておきたかったのかどうかも、分かりません。色々な取り方が出来る段が徒然草 には幾つも出てきます。
この色々な捉え方が出来ると言う事で、夏井いつき先生が言われたように、読み手が色々違った捉え方をするのが面白い という、発想で良いのであれば、この徒然草も、私の解釈があながち間違いでもないのかな、と思えました。