今日の一文字は『悲』です。今日読んで見ようと思う、『徒然草 第二十六段』を読んで見て、感じた文字です。
原文
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悲恋
別離
暑さ寒さも彼岸まで、と言いますが、今朝は本当に爽やかな風が窓から吹いてきました。まだまだ日本も捨てたものではないと、季節感を感じた一瞬です。
毎朝、泣き叫びながら、お母さんの自転車に乗せられて、保育園(幼稚園 ?)に行くと思われる親子3人?、今日は和やかに、可愛い声が窓の下の自転車置き場から聞こえてきました。
泣き叫ぶ声も、お母さんが物静かなので、楽しいのですが、和やかに話しながら自転車に乗って行くのも、より楽しい気持ちにさせてくれます。顔も知らない親子を、ただ想像するだけで、顔がほころびます。
昼頃になると、また暑くなるのでしょうね。
さぁ、今日も一日元気で過ごしましょう。
徒然草 第二十六段 〔原文〕
風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。
されば白き絲の染まむ事を悲しび、道の衢ちまた のわかれむ事を歎く人もありけんかし。堀河院ほりかはのいん の百首の歌の中に、
むかし見し妹が垣根は荒れにけり 茅花つばな まじりの菫のみして
さびしきけしき、さること侍りけむ。
『現代文』
まず、我流で現代文にしてみましょう。
『 風が吹かないのに散るような人の優しい心。仲良くしていた年月を思えば、その時の言葉は忘れられないのに手の届かぬ遠い存在になっていくのは、故人との別れより悲しい。
白い糸が別の色に染まることを悲しんだり、道が分かれているのを悲しむ人もいたそうである。
堀川天皇の時代に選ばれた百首の和歌に
「むかし見し妹が垣根は荒れにけり 茅花つばな まじりの菫のみして」
(昔見た恋人の家の垣根は今は荒れてしまった。雑草の中にスミレが咲いているだけだ)
とあるが、寂しい景色にはそういうことがある。』
『悲恋』
男女を問わず、縁と言うものは不思議なもので、76億人いると言われている世界の人口の何人と知り合いになるのでしょう。
その中で親しくなる人も、知り合った人の何割になることか。しかも、それが親友や恋人と言われる人の数は、多くても数人でしょう。
こう考えると、縁と言うものの不思議を感じずにはいられません。
「亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。」 との記述が見られますが、これは思いが終結しないからだと思っています。
縁があって親しい間柄になった人との別れが、納得できる場合は、後ろ髪を引かれる事もありません。私の場合は、引かれる後ろ髪もありませんが。
例えば、幼い子供とお母さんが経済的な理由や離婚などによって、引き裂かれるような別れ方をしなければならない場合、どちらも納得して別れるわけではありません。
例えば、恋人同士でも、自分たちの意志ではなく、離れ離れにならざるを得ないとか。
しかし、これも相手が有名人とか俳優の場合は、初めから希望がないわけですから、勝手に好きになって、知らない間に他の旬の俳優になっていたり、それこそ、風も吹かないのに心変わりするのが人間です。いや、これは単にファンでしたね。
しかし、これも縁の一つでしょう。好き嫌いと言うのは面白いものです。
このブログの『論語を読んで見よう 【雍也篇6-26】[第三十一講 宰予-奇言を弄ぶ者] 』の冒頭に書きましたが、人は、言葉を交わす直前に、好きか嫌いかを決めていると、恋愛の仕組みを研究している人がいるようです。その時間は僅か、0.5秒。脳科学者の茂木健一郎氏は0.1秒説を唱えています。
にも拘らず、断ち切れない思いは、随分永く続くものです。もしかしたら、一生続く人もいるのかも知れません。
それにしても、百人一首の内、43首が恋の歌と言いますから、人は人を好きになるのが常識かも知れません。
『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ』 ――柿本人麿
と、言う句が百人一首の三首目にでてくるのですが、内容は、
『山鳥の尾が長いのを見て、長い夜を独りさびしく寝ることを想像して歌った句でしょう。』 推測に過ぎませんが、何を見ても、会いたい人を想像してしまう、そんな心境かも知れません。
恋は盲目と言いますし、『恋』と言う字は、『心』が『変』になるからと聞いたことがありますが、どうも語源は違うようです。でも、当たらずとも遠からず、かもしれません。
『戀』が元の漢字ですから、左右の糸を断ち切れない様を言っているのかも知れません。『糸』の間にある文字は『言』で、裁断すると言う意味らしいです。
不思議に思うのは、そんな男女の関係が、テレビドラマや映画、あるいは和歌や俳句、そして小説などには随分テーマとして取り上げられ、涙を誘うのですが、社会生活でそういう男女を見た事がありません。
最近は殆ど、人との接触の無い生活をしていますので、当然ですが、少なくとも5年程前までは、都会の中での生活でした。
しかし、そんな情景を見た事も、聞いた事もありません。
だから、秘め事 なのですかね。
『別離』
『別離』と言えば、私の頭に浮かぶのは、『惜別の歌』です。前にも書きましたが、小林旭さんが歌っていました。
『離別』、『別離』または『別れ』と言う歌も聞いたことがあります。イビヨルと言う人の歌らしいですが、私が聞いたことがあるのは確か日本の歌手だったような気がします。しかし、随分前の事なのではっきり覚えていません。
ここには、一番だけ載せておきます。
時には思い出すでしょう
冷たい人だけど
あんなに愛した想い出を
忘れはしなしでしょう
青い月を見上げ
一人過ごす夜は
誓った言葉を繰り返し
逢いたくなるでしょう
山越え遠くに 別れても
海の彼方遥か 離れても
時には思い出すでしょう
冷たい人だけど
あんなに愛した想い出を
忘れはしなしでしょう
現在の歌も、沢山あるようですが、どれも聞いたことがありません。少しは、今はやりの歌にも興味を持つようにしないと、時代遅れになりそうです。
そうそう、この歌も心に残ります。 北上夜曲です。覚えている歌詞を載せます。
匂い優しい 白百合の 濡れているよなあの瞳
想い出すのは 想い出すのは 北上河原の 月の夜
出てくる歌は、昔の歌ばかりです。
兼好が挙げている、堀河院ほりかはのいん の百首の歌と言うのは、
『和歌集。康和年間(1099~1104)頃成立。堀河天皇の召しにより、藤原公実が企て、源俊頼が勧進したという。藤原公実・源俊頼のほか、当時の代表歌人、大江匡房・藤原基俊など一六人の、立春・子日ねのひ以下一〇〇題の百首歌を収める。勅撰集に二五〇余首が撰入され、また歌合うたあわせの証歌としても重んじられて、以後の組題百首の規範となった。堀河院御時百首和歌。堀河院初度百首。堀河院太郎百首。』 (出典:大辞林第三版 三省堂.)
とあり、兼好が生まれたとされる西暦1283年ごろから西暦1350年からすると、生まれる200年程前の歌と言う事になります。
兼好が言うように、兼好が生きた時代には、兼好の心を動かす歌も無かったのかも知れません。
しかし、私は、現在歌われている歌も、捨てたものではないと思っています。いや、私は覚えられない歳になっていますが、昔の歌よりも良くなっているかも知れません。
理由は、今の人の方が、リズム感や音感は、昔より良いのではないかと思っています。
昔の映画などで、出演者、当時は若かった人が踊っているのを見て、なんともぎこちなく、悪いですが、へたくそだと思います。
それに比べて、現在の若者の上手に踊るコマーシャルなどを見て感心しています。
時代の流れから言うと、随分前になると思いますが、『ドラマ「CRISIS (クライシス)」』の主題歌を歌っている歌手の声を聞いた時に驚きました。早速インターネットで調べて見ました。Beverly(ビバリー)、フィリピンの人だそうですが、世の中には凄い人がいるのですね。
今コマーシャルで、高畑充希さんが、大声を張り上げて歌っている、うるさい歌、聞きましたか、実に上手い!!
で、早速インターネットで調べると、歌手もやっているのですね。納得しました。
兼好さん、今の世界もまんざらではないですよ。