『礼と節』を徹底解剖 Part-1

 前回、武道をする人は、礼儀が正しいと、考えている人が一般的だと、書きました。
 これが一般的ではないにしても、剣道や柔道、あるいは空手道でも、子供を入門させる目的の一つが『礼節』を学べるから、という理由を挙げる保護者が多くみられる事も事実です。

 では、実際に『礼節』を掲げて、『礼節』を教えている道場あるいは、団体は存在しているのでしょうか。

 私は、『無い』と考えています。掲げているが、教えている所が「無い」という事です。なぜなら、礼儀作法は教える事は出来たとしても、それを伝える事は非常に困難であると思うからです。たとえ『礼節』について造詣が深い指導者がいたとしてもです。

 礼儀作法は、表面的な形式を覚えれば、表現する事はできるようになるでしょう。

 例えば、日本空手道髓心会では、
1.道場に入る時、出る時に、正面に対して立礼をします。
2.帯を締める時は、正座をして締めます。
3.基本・型の動作に入る前には、立礼をします。
4.組手の場合は、上の写真のように、お互いに立礼をします。
5.稽古が終わったら、指導者に対して立礼又は座礼をし、最後に正面に立礼又は座礼をします。
6.なるべく、人の前を横切らないようにします。
 以上のような事が、習慣となれば、『礼節』が身に付いたといえるのでしょうか。

 私の先生である故佐々木武師は、「押忍」という挨拶を好みませんでした。ですから、私の道場では、返事は「はい」といいます。大会や町で合っても、大声で「押忍」とは言いません。普通に「おはようございます」「失礼します」「こんにちは」「こんばんは」と、挨拶が出来れば良いと思っています。

 この立礼や座礼は、礼の心を表わす儀礼であり、礼法です。

 船越義珍師の 松濤五条訓には、四つ目に「礼儀を重んじること」とあります。佐々木武先生の発案で、「礼儀を重んじます」と自発的な表現に変えています。

 私は永年この松濤五条訓を読み、他に松濤二十訓、糸洲十訓など、宮本武蔵の「独行道」を含め、訓戒を色々目にしてきましたが、最低この五つぐらいは、身に付けていたいと思っています。
 しかし、松濤五条訓を一万回唱えても、十万回唱えても、立礼、座礼を繰り返しても、『礼節』を身に付ける事にはならないのです。

 『礼節』は、時代と共に変遷していくものだと思っています。
 それにしても、最近の、と言うと、昔から言い続けられている、年寄りの懐古趣味か、時代についていけない老人のたわごと、あるいは愚痴になってしまうのでしょう。

 私がよく使う言葉ですが、「社会的な動物」である限り、守るべき習慣と心であると思っています。なぜなら、『 人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。』(デジタル大辞泉:小学館)とありますから、人類が発祥して間もなく、原始的な「礼節」があったのだと、推測します。でなければ、とっくに人類は滅びてしまっていたでしょう。
 それほど、『礼節』というのは、人間にとって欠く事のできない言動だと思います。

 次の回には、『礼節』の歴史的な部分にスポットを当てて、考えて見る事にします。